ドコに地獄を見てドコに仏をみたか。
人の心にだろうか。
いきなり襲われるという行為そのものより、彼らに内在している心が恐ろしかった。
あの眼差し。。。
そしてその後も、すがる思いで助けを求めても、何十人の人に退けられ、時にはねつけられたとき。
異国の地で無一文で途方に暮れたとき。
泣く事もパニックになる事も許されない。
なんとかしなければならないから。
警察官にしかり一般人にしかり、同じアジア人にしかり。。。
あの虚無感と絶望感が膨らみ続け、飲込まれそうになっているとき、それを押さえつけながら助けを求めても所詮は「他人」
知らぬが「仏」か
これまで自身は、出来る事はしてきたつもり。
事故現場での見ず知らずの人への救命行為や、身近な「人助け」は日常的に行って来た。
特に考えずに。。。
しかしこの有様。
地獄とは、そこにある「モノ」でなくて、他者と共に作り出される「モノ」なのかもしれない。
そして仏。
知らぬ土地で手を差し伸べてくれ、溺れかけたところを救い上げてくれた。
見ず知らずの人間に、暖かいココアを飲ませてくれ、そして電話もかけさせてくれた。
涙しながら話を聞いてくれた。
そして思う。
仏もまた、そこにある「モノ」ではなく、他者により見いだされる「モノ」なのかもしれない。
そうに考えたとき、人の存在や気持ちなんてモノはなんて儚いものなのか。
そんな体験をさせてもらえた。
不思議と祖母の顔が頭に浮かぶ。
きっと祖母なら言うだろう。
「感謝」と。。。。。。
誓って言うが、僕は信心深い方ではないし、特定の宗教も持たない。
クリスマスも祝えば、寺にも神社にもよく考えずに行く。
それでも支えにする存在はある。
それが祖母の教えか。。。
とにかく今は「ありがとう」と言いたい。
特定の対象にではなく、ただ漠然と。
そんな1週間を過ごしてきた。
人の心にだろうか。
いきなり襲われるという行為そのものより、彼らに内在している心が恐ろしかった。
あの眼差し。。。
そしてその後も、すがる思いで助けを求めても、何十人の人に退けられ、時にはねつけられたとき。
異国の地で無一文で途方に暮れたとき。
泣く事もパニックになる事も許されない。
なんとかしなければならないから。
警察官にしかり一般人にしかり、同じアジア人にしかり。。。
あの虚無感と絶望感が膨らみ続け、飲込まれそうになっているとき、それを押さえつけながら助けを求めても所詮は「他人」
知らぬが「仏」か
これまで自身は、出来る事はしてきたつもり。
事故現場での見ず知らずの人への救命行為や、身近な「人助け」は日常的に行って来た。
特に考えずに。。。
しかしこの有様。
地獄とは、そこにある「モノ」でなくて、他者と共に作り出される「モノ」なのかもしれない。
そして仏。
知らぬ土地で手を差し伸べてくれ、溺れかけたところを救い上げてくれた。
見ず知らずの人間に、暖かいココアを飲ませてくれ、そして電話もかけさせてくれた。
涙しながら話を聞いてくれた。
そして思う。
仏もまた、そこにある「モノ」ではなく、他者により見いだされる「モノ」なのかもしれない。
そうに考えたとき、人の存在や気持ちなんてモノはなんて儚いものなのか。
そんな体験をさせてもらえた。
不思議と祖母の顔が頭に浮かぶ。
きっと祖母なら言うだろう。
「感謝」と。。。。。。
誓って言うが、僕は信心深い方ではないし、特定の宗教も持たない。
クリスマスも祝えば、寺にも神社にもよく考えずに行く。
それでも支えにする存在はある。
それが祖母の教えか。。。
とにかく今は「ありがとう」と言いたい。
特定の対象にではなく、ただ漠然と。
そんな1週間を過ごしてきた。