OveJa neGrA

あっという間の34歳。気持ちにあった無意味な「楽観」も、今や少しの焦りとなってきた。チリに帰りたくなってしまうこのごろ。

チリでよく食べる食べ物

2008-10-31 19:54:52 | Weblog
代表的な料理は沢山あるのだが、簡単で良く口にするものといえば、エンパナーダとアンティクージョとかかな
エンパナーダはパンの生地のようなものにひき肉やらゆで卵やらが入っていて、それを焼いたり揚げたりして食べる。
生地だけを茹でたり揚げたりして食べる事もあり、それぞれ呼び名も変わる。

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焼く前はこんな感じ ちなみにパンも家庭でよく作られていて、時々頂く。
どっしりしていて腹持ちがいい。
で、食べきれなかったパンは、牛乳などに浸けてケーキにしてしまう。
これがまた、甘くてなかなかおいしい

アンティクージョは焼き鳥のようなもので、家庭や露店でよく見られる。
売っている物は1本60円くらいが多いかな。
鶏肉やらソーセージやらを焼いて、塩こしょうで食べるのだが、時々無性に食べたくなる。


写真は9月18日のチリの独立記念日のときにとある家庭で行われたパーティー。
こんなときにアンティクージョをいただける

食べ物は美味しい

村の名物??

2008-10-31 08:37:02 | Weblog
日本での生活とここでの生活様式は当然違って、色々な目新しい事があった.
先ずは生活様式。
ここにはいろいろな興味深い「人」が居る。
まずは糸紡ぎの人。
ここの村には羊が沢山いて、羊毛で毛糸を作る。
のだが、もこもこした毛を羊から刈り上げて、それかさえ箸のようなもので糸を紡いで行くのだ。
最初見た時はなんだろうと目を凝らしたが、日常的に行われている。


鼻歌まじりで器用に糸を紬、当たり前と言えば当たり前なのだがそれが均一の太さ。
あまりに感心して写真をとってみた
そして数日後、靴下を頂いた。
紡いだ糸を編んで作った靴下。
ここの寒さにはもってこいの代物
そして次は牛乳屋のおじさん。
時々気が向くと家に牛乳を届けてくれる。
だいたい1リットル100円くらい。
届いたら一回熱を通す必要があるのだが、でも美味しい
このおじさん、時々白馬に乗ってやってくる。
馬を飼っているらしい。
一回道であったときに乗せてもらった時の写真
ま、こんな人も居る訳だ。
ここに住んでから感じた事だが、生活するのにこれほど人とのつながりを感じずに居られないと思った事はない。
一人でなんて生きられないな

そしてその斧は。。

2008-10-30 10:16:57 | Weblog
大きな斧は頂き物。
近所のおじさんが使っていたものらしいが、とても年期のはいっている斧。
しかも最初は刃が平。
面で薪を割る感じ。
最初の頃は「きっと斧は平らな面で割る物なんだ!」と自分に言い聞かせていたが、そんなことはなかった。
また違う近所のおじさん。
ある日外で薪割りをしていると、「駄目だそんな斧じゃ!!」
と言って薪割りを手伝ってくれたこともある。
そして訪問リハで通っているあるご家族が鉄鋼所を経営しているため、斧を磨いてもらう事に。
ものの10分で立派な斧に仕上がった。
そんな風に田舎ならではの近所付き合いに助けられ、時には苦しめられるのだが、それはおいおい。。。
そして近所の家。
どうやらチリ南部独特の家の作りらしい。
とてもかわいくて目を引くのだが、こういった工法は衰退しつつあるらしい。
乱伐採で木材が今は採れなくなってしまったとか。
こんなところでも環境問題に直面する

そして生活の様子は。。。

2008-10-30 10:06:04 | Weblog
まず最も大事にしなくてはならないのはこの薪のオーブン??
ガスがないため、調理とかはもっぱらこれに頼る生活だ。
そしてオーブンに欠かす事ができないのが、この斧。
これで薪をひたすら割るのだ。
朝一番で薪を炊く時は、だいたい1時間以上は必要。
火を起こしてから少しずつ火を大きくしてオーブンを暖める。
お湯を湧かすのにも朝一番はとても時間がかかる。
一度暖めてしまえば、後は結構早くにお湯が沸いたりご飯なんかも美味しくできるからありがたい。
ただ、ここの辺りは雨が多いため薪が湿気る。
湿気った薪は容易では乾かずに時にはご飯を食べそびれる事もあったりする
でもいい味出るんだな~~


今住んでいる村、何をしているか。。。

2008-10-29 09:20:39 | Weblog
ここは南米のチリ。
日本で有名なのはワインとかサーモンとかかな?
今ここで、生年海外協力隊として働いている。
仕事は作業療法士。
主にリハビリする事が仕事だが、ここではその他色々。
センターの運営に関してや、訓練道具作成、そして健康相談、などなど。
チリでの生活はもうすぐ10ヶ月、ここでは3ヶ月が過ぎた。
以前はチリの第州、Monte Patriaという村に居たのだが、転勤のような形で今の村、第州のLos Muermosという村に来る事になった。Monte Patriaもさして大きな村ではなかったが、ここでの生活はさらに自分にとっては未知のものだった。
まずガスがない。
薪を使った生活が軸になり、初めての薪割り、薪で作るご飯、そして水(ほぼ)のシャワー。
ここでは当たり前の事が、自身にとってはとても驚愕に値するものばかりだった。
住み始めた当初は、火をうまく起こせなくてご飯が作れず、1週間ほどお菓子とパンで過ごした事もあった。
しかも一人暮らしのため、村の様子も商店の場所もわからない時、空腹がこれほど悲しいものかと涙した事もあった(^^;
嘘みたいな本当の話。
数日振りに街まで行ってレストランでスープを口にした時は涙が滲んだ。
ここではスペイン語を標準語として使っている。
当然最低限の教育はなされているわけだが、元来物を覚える事が病的に苦手な自身にとっては、未だにコミュニケーションがままならない。
それでも生きて行くため、そして仕事をする為には身振り手振りで過ごす日々。
そんな環境で仕事をしている。
センター開設が僕の到着した日に行われた為、まだ若い職場。
常勤は僕の他に1人。
後はボランティアさんの手助け。
それでもどうにか今ではそれらしい「リハビリセンター」になってはきた。
まだまだ課題は多いが、後で振り返ったときにより鮮明に思い出せるよう、このブログを綴って行きたいと思う。
と、硬くなってしまったがそんな感じです。
どうぞよろしくお願いします(^0^)