神田橋先生とYTはどっちが権威主義か。
これは私のように「社会性の欠如にバックアップされた対等感」を持っている人じゃないとそもそも思いつかない疑問かもしれませんが
実は私がヒマなときぼーっと考えるトピックです。
どっちも私の人生の同じような時期にかかわりがあった人物です。
神田橋先生とは非常にポジティブに。
YTとは非常にネガティブに。
ベクトルが違うだけで、ある時期かたちは違えと密度が濃くかかわってその後の進路を決定づけたということに違いはありません。
神田橋先生は「発達障害は、治りませんか?」という疑問に導いてくださったし
YTは「治さないといけないだろう」という確信に導いてくれました。
そしてどちらがより権威主義かというと
神田橋先生は、ある意味、カリスマ精神科医として権威が服を着て歩いているように見ている方もいるかもしれませんけど
私はYTの方が権威主義的だと思います。
そしてその意味で、彼はあれほど嫌っていたギョーカイととても親和性があると思います。
YTは岩永先生が医学博士であるけれども、医師免許はないこと
そのような人物を花風社が高く評価して本を出していることをさげすんでいます。
かたや花風社が神田橋先生とご縁を得たのは、岩永先生のお仕事を神田橋先生が高く評価されたからです。
「こころの科学」に載った神田橋先生による「もっと笑顔が見たいから」の書評から抜粋します。神田橋先生の岩永先生に対する評価がわかると思います。
=====
診断と治療・援助との互助関係が廃れ、一方向の流れ作業と化したために生み出された「マニュアル難民」がボクらの領域に氾濫している。発達障碍については殊に顕著である。専門家は分類作業の精緻化に専念し、現場医師の多くは二次障碍に対する薬物使用だけで、障碍は放置である。援助者は生活の場での不器用を克服するための訓練に工夫を凝らすが、サーカスの犬の曲芸訓練との異同に注目していないようにも見える。
発達障碍とは脳の発育の遅れであり、脳自体は絶えず発育しようとしているとの前提に立てば、脳の発達遅滞部位を同定し、そこで進んでいる発育努力に寄与しようという治療姿勢が生まれる。
=====
そう。神田橋先生は「脳の発達遅滞部位を同定し、そこで進んでいる発育努力に寄与しようという治療姿勢」を共有する人として、岩永先生に興味を持たれた、それが始まりです。
資格という「権威」でしか人を判断できないYTと
「プロとして障害当事者にどういう貢献をしようとしているか」という点を重視される神田橋先生。
YTの方が権威主義的だという私の主張がおわかりいただけるでしょう。
YTは診断書を印籠のごとくかざせば誰でも自分にひれ伏すと誤解し、自称貧乏で、高額なクリニックや高額な講演会を無料にせよとたかりました。そして死んだふりギョーカイはそれを許しました。
権威主義的で人間をランク付けする人たちは、それだけ被差別感を持つようですね。
ベムこと宮本晋はその昔「まともな医者が花風社を相手にするわけがない」と言いました。
「医者」に関しても「出版社」に関しても、ベムもまたYT同様、ランク付け大好きおじさんみたいですね。
彼の「まともな医者」の定義は知りません。
花風社で仕事をしてくださる先生たちだけではなく、お医者様に勧められて花風社の本を読んで次々読むようになったとか、待合室に置いてあった花風社の本をきっかけに読むようになったとか、そういうお話もたくさんありますが、花風社の本を評価して患者に勧めるようなお医者さんは彼に言わせると「まともな医者」ではないのでしょう。
おそらくギョーカイで「社会の理解ガー」をやり、治療より政治活動に明け暮れるような「有名医」がベムの定義による「まともな医者」なのでしょう。それならそれで結構。
それを振りかざされても「プーケットの浜辺でくりからもんもん見せびらかすちんぴら」みたいなもんです(前記事のコメント欄参照)。
私にとっての「まともな医者」って「治す医者」のことですから。
ただここでもわかるでしょう。「差別ガー」と被差別感の強い人って、実は権威主義的なんですよ。
さて、真打登場です。
この人も岩永先生を「発達障害の専門家」と評価していた花風社をあざ笑っていた。
その後、岩永先生が全国でひっぱりだこになり、国際的な会議でも評価され、という展開になりましたが
まあこの「男」が予想をはずすのはいつものこと。
誰かを口汚くののしっているようですね。「呪い」ってやつかな。

誰かに消えろと命令してます。言葉遣いが穏やかではないですね。
そして消えてほしいのは「男」のようですね。「野郎」っていう言葉を使っているのだから。
女性に「野郎」とは言わないでしょうから。
差別が差別がと蝉のように大合唱するこの「男」。
当然ののしるときも、ジェンダーには配慮するでしょう。もし彼が「消えろよ」と言っている「ヘイト野郎」がうっかり女性だとしたら、それは男性に対して不当だし。
ねえ。
面白いでしょ。
こうやってみていくと、被差別感を振り回す人たちって
ランク付けが好きな人たちだってわかります。
世の中を格付けし、勝手に自分や家族の属性をしたの方において憤る。
それを趣味にしている層が一定数いるみたいですね。
医師はエライらしいけど、その医師でありながら、ていうかカリスマ医師でありながら岩永先生のお仕事を発見され高く評価されている神田橋先生は、その対局にいる方。まっとうな対等感の持ち主です。
そしてその神田橋先生とYTを脳内の同じ土俵で比べている私は、社会性を欠いているからこそ、「プーケットの浜辺のくりからもんもん」にびびらないからこそ得られる対等感の持ち主なのです。
これは私のように「社会性の欠如にバックアップされた対等感」を持っている人じゃないとそもそも思いつかない疑問かもしれませんが
実は私がヒマなときぼーっと考えるトピックです。
どっちも私の人生の同じような時期にかかわりがあった人物です。
神田橋先生とは非常にポジティブに。
YTとは非常にネガティブに。
ベクトルが違うだけで、ある時期かたちは違えと密度が濃くかかわってその後の進路を決定づけたということに違いはありません。
神田橋先生は「発達障害は、治りませんか?」という疑問に導いてくださったし
YTは「治さないといけないだろう」という確信に導いてくれました。
そしてどちらがより権威主義かというと
神田橋先生は、ある意味、カリスマ精神科医として権威が服を着て歩いているように見ている方もいるかもしれませんけど
私はYTの方が権威主義的だと思います。
そしてその意味で、彼はあれほど嫌っていたギョーカイととても親和性があると思います。
YTは岩永先生が医学博士であるけれども、医師免許はないこと
そのような人物を花風社が高く評価して本を出していることをさげすんでいます。
かたや花風社が神田橋先生とご縁を得たのは、岩永先生のお仕事を神田橋先生が高く評価されたからです。
「こころの科学」に載った神田橋先生による「もっと笑顔が見たいから」の書評から抜粋します。神田橋先生の岩永先生に対する評価がわかると思います。
=====
診断と治療・援助との互助関係が廃れ、一方向の流れ作業と化したために生み出された「マニュアル難民」がボクらの領域に氾濫している。発達障碍については殊に顕著である。専門家は分類作業の精緻化に専念し、現場医師の多くは二次障碍に対する薬物使用だけで、障碍は放置である。援助者は生活の場での不器用を克服するための訓練に工夫を凝らすが、サーカスの犬の曲芸訓練との異同に注目していないようにも見える。
発達障碍とは脳の発育の遅れであり、脳自体は絶えず発育しようとしているとの前提に立てば、脳の発達遅滞部位を同定し、そこで進んでいる発育努力に寄与しようという治療姿勢が生まれる。
=====
そう。神田橋先生は「脳の発達遅滞部位を同定し、そこで進んでいる発育努力に寄与しようという治療姿勢」を共有する人として、岩永先生に興味を持たれた、それが始まりです。
資格という「権威」でしか人を判断できないYTと
「プロとして障害当事者にどういう貢献をしようとしているか」という点を重視される神田橋先生。
YTの方が権威主義的だという私の主張がおわかりいただけるでしょう。
YTは診断書を印籠のごとくかざせば誰でも自分にひれ伏すと誤解し、自称貧乏で、高額なクリニックや高額な講演会を無料にせよとたかりました。そして死んだふりギョーカイはそれを許しました。
権威主義的で人間をランク付けする人たちは、それだけ被差別感を持つようですね。
ベムこと宮本晋はその昔「まともな医者が花風社を相手にするわけがない」と言いました。
「医者」に関しても「出版社」に関しても、ベムもまたYT同様、ランク付け大好きおじさんみたいですね。
彼の「まともな医者」の定義は知りません。
花風社で仕事をしてくださる先生たちだけではなく、お医者様に勧められて花風社の本を読んで次々読むようになったとか、待合室に置いてあった花風社の本をきっかけに読むようになったとか、そういうお話もたくさんありますが、花風社の本を評価して患者に勧めるようなお医者さんは彼に言わせると「まともな医者」ではないのでしょう。
おそらくギョーカイで「社会の理解ガー」をやり、治療より政治活動に明け暮れるような「有名医」がベムの定義による「まともな医者」なのでしょう。それならそれで結構。
それを振りかざされても「プーケットの浜辺でくりからもんもん見せびらかすちんぴら」みたいなもんです(前記事のコメント欄参照)。
私にとっての「まともな医者」って「治す医者」のことですから。
ただここでもわかるでしょう。「差別ガー」と被差別感の強い人って、実は権威主義的なんですよ。
さて、真打登場です。
この人も岩永先生を「発達障害の専門家」と評価していた花風社をあざ笑っていた。
その後、岩永先生が全国でひっぱりだこになり、国際的な会議でも評価され、という展開になりましたが
まあこの「男」が予想をはずすのはいつものこと。
誰かを口汚くののしっているようですね。「呪い」ってやつかな。

誰かに消えろと命令してます。言葉遣いが穏やかではないですね。
そして消えてほしいのは「男」のようですね。「野郎」っていう言葉を使っているのだから。
女性に「野郎」とは言わないでしょうから。
差別が差別がと蝉のように大合唱するこの「男」。
当然ののしるときも、ジェンダーには配慮するでしょう。もし彼が「消えろよ」と言っている「ヘイト野郎」がうっかり女性だとしたら、それは男性に対して不当だし。
ねえ。
面白いでしょ。
こうやってみていくと、被差別感を振り回す人たちって
ランク付けが好きな人たちだってわかります。
世の中を格付けし、勝手に自分や家族の属性をしたの方において憤る。
それを趣味にしている層が一定数いるみたいですね。
医師はエライらしいけど、その医師でありながら、ていうかカリスマ医師でありながら岩永先生のお仕事を発見され高く評価されている神田橋先生は、その対局にいる方。まっとうな対等感の持ち主です。
そしてその神田橋先生とYTを脳内の同じ土俵で比べている私は、社会性を欠いているからこそ、「プーケットの浜辺のくりからもんもん」にびびらないからこそ得られる対等感の持ち主なのです。