治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

来週のこと

2014-09-05 10:20:07 | 日記
さて、来週のワクワクセラピーの愛甲さんへの質問
今日が締め切りですよ、と皆さんにお伝えしようと思ったところ、兵庫県のMAさんから朝メールをいただきました。
こういうメールです。

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浅見様
おはようございます。
朝早くからすみません。
お伝えしたいことがありまして連絡させていただきました。
もし、講演会とか、質問とかないし、どうかな、って迷っていらっしゃる読者の方がいらっしゃったら、とりあえず参加してみることをおすすめします。
私は、前回の大阪講演では、何も質問していません。
でも、周りの熱心で明るい皆さんの影響を受けて、すぐに神田橋先生のところに行けました。
民間ですし、強制はしませんが、経験者の体験談と思ってください。
よろしくお願いします。

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なるほどなあ、と思いました。
これも客筋のいい効果でしょう。
皆さんの前向きなやりとりを聞いているうちに、やる気が出てきてしまって鹿児島まで行く勢いができたということですね。

来週の会、定員には達していますが、運動することを想定して広めに場所を取ってありますので
一応締め切らないで受け付けています。
今週末、7日までお受け付けいたします。
愛甲さんにご質問のある方、7日までにお送りください。
すでにご質問いただいている方、8日の時点で確認のメールを送付いたします。

それと13日は10時始まり、終わりの予定は一応15時半ですが、まあいつもなんだかんだ16時半くらいまでは引っ張りますね。途中退出はご自由に。
翌日我々は早くから飛行機に乗るので、打ち上げみたいなものはやらないつもりでいました。でもまあどっちみち夕食は食べるので、お酒はほどほどに時間は短く一緒に食事をしたい方がいらしたらやはり7日までにお知らせください。たぶん4000円くらいの中華屋さんになると思います。

あと次回はいつか、というお問い合わせもいただいていますが、次回は10月13日です。
ただしこのときには愛甲さんの質問会はありません。
愛甲さんにききたい方は今がチャンスです。

よろしくお願いいたします。

浅見淳子@花風社

ワンスアポンアタイム

2014-09-05 07:52:57 | 日記
ちゅん平のついーと。

そうそう。最近私もこの記事が出てきたのでファイルしておきました。
でも読まなかった。「なつかしいなあ」と思っただけ。
松崎先生と同じように「この頃はまだ顔が鳥だな」と思っただけ。今は人間の顔ですよ。

そうか内山医師がコメントしてたのか。

でも不思議じゃないよね。あの頃はそういう時代だった。
ちゅん平が当事者として登場し、内山医師が専門家としての意見を寄せる、みたいなのは不思議じゃなかった。
プレセグメント化時代ですよ。
私にしても内山医師になんの恨みもなかったし。ただの有名なお医者さんっていうだけ。

あの頃はみんなで「社会の理解ガー」をやっていたわけだ。
私が自閉っ子の身体的不具合と、それと社会性や認知とのつながりに気づき始めたころ。
たとえば聴覚過敏。どうやら思い過ごしとか根性がないとかじゃなく、本当に聞こえ方違うらしいよって世間に伝えることに力を入れてました。
だから耳栓とか学校で許可しようよ。っていうこと。今の言葉で言えば合理的配慮。
当時は耳栓すらワガママと思われたりしてたからね。

でもその後違ったのは
必要なら耳栓は使う権利を擁護しつつ、耳栓のいらなくなる場面が増える身体作りがあるのならそれ追求してみようということ。
そしてそういう支援にこそ資源を注ごうよ、ということ。

プレセグメント化時代に一緒に「社会の理解ガー」をやっていた人たちがずーっとその路線から離れなかった間に私たちは

当事者は修行
支援者は治療
医者なら治せんといかんわな

の時代に入っていったのです。

「この人たち違うから配慮が必要だ」

までは一緒だったと思う。

でもその違いをとにかく社会に認めろ、という方向に全力を注ぐ人と

なんか解消する方法があるのならやってみようよ

という私たちに別れたのだと思う。

その間に裁判があって、これは私、加害者が内山医師の患者だということで安心していたんですよね。
そんな高名なお医者さんならいつか治すだろう、と。

でも全然治らなかったとき、地元で話聞いたら「あそこ行っても何一つ治らないよ」っていうことを言われて
じゃあなんで名医なのか、心から不思議になり
そこからギョーカイのだめな部分をたくさん知って

そして「化外の民」を名乗るようになり

自分のところで開くセミナー等については、地理的に近いけど「よこはま発達クリニックの方お断り」にしました。

「そんなことしちゃいけない」って叱られたりしたんだけど
これだけは譲れなかった。

「他にないから仕方なく行っている人もいる」とか
「ブランドだと思って行っている人もいる」とか説得されたんですけど

「ブランドだから」な人はハナから気が合うわけないし(なんだかわからないし、ブランドって)

「仕方なく」の人もたぶん気が合わない。「仕方なく」何かやる人とは私は気が合わないんだ。
そして聴覚過敏の人が聴覚においてスイートスポット狭いように、私はつきあえる人間のスイートスポットが狭いの。
何しろ30代前半に独立した理由の一つが「嫌いな人間とかかわりたくない」なんだから。
今でも多少は我慢しなきゃいけない部分はあるけど
会社員でいるよりはマシだと思う。

なんというか、耳栓みたいなもんなんですよ。
聴覚過敏の人が音に耐えられないように耐えられないっていうこと。
だからこの点は自分の考えでやってきました。

でもまざっているんですよね。よこはま発達クリニックの患者さん。
黙ってきてたようです。知ったときはショックだった。
でもだましたわけじゃないのかな。言わないで来ただけ?
打ち明けてくれたのは、ついにあちらに別れを告げてからなんだけど。

でもまあ、いいやと思った。
それだけ苦しかったんでしょう。なんとかしたかったんでしょう。
なんとかなる方法が他に見つかったからやめたんだろうしね。

これがプレセグメント化時代からの流れです。
ちゅん平は顔が変わるほど発達した。
写真の二冊を読み比べているといいですよ。
布団の中でげーげー言ってたけど、今は外で働いている。
遅れてきた青春。楽しいミーハーライフを送っている。
ときにはおさんどんも担当している。

私たちが目指すのはこっちです、っていうだけ。