暖かい日が続くようになってきました。
先週の日曜日。毎年恒例の3月の2週目の日曜日。
1日に卒業した3年生二人のために、改めて「立花学園バドミントン部」として送別会を開きました。
一つ上のOB達が集まってくれて大会運営をしてくれます。
第1部は、これまた恒例となりつつある「親子バドミントン大会」を開催。
3年生キャプテン「泉野親子ペア」
副キャプテン「栗田親子ペア」
その他、1・2年生の保護者の方にも全ての家庭に参加していただいて、参加数は22組!!
ルールは、たちバドは利き手と反対にラケットを持つこと。
スタートすると、お父さんもお母さんもコートの中で頑張ってくださいました!
すっかり一大イベントです!!
結果
優勝「栗田親子ペア」
準優勝「桑原親子ペア」
3位「梅蔭兄弟ペア」
3位「福岡コーチとその後輩さんペア」
審査員特別賞!?「泉野親子ペア」
みなさん、すっかりクタクタですが、いい汗かいていました!
第2部は現役生と指導者・OBとのマジゲーム!
久しぶりに見る「泉野&栗田」のダブルスに、なんだか懐かしさと、久しぶりに見れた嬉しさでほっこりしました。
そして、クライマックスの第3部。
2年生キャプテン横山と、副キャプテン尾上から、3年生へ、そして現役保護者から3年生保護者のお二方へ感謝の気持ちを伝えました。
今年度の3年生は、泉野と栗田のたった2人。なのに2年生は11人、1年生は5人。
二人しかいなかったせいか、学年問わず、後輩たちと和気あいあいとしたチームを作ってきました。
寛人は、3つ上に在籍していた兄の後を追うように入部してきてくれました。
入部前から、お母さんから「もしかしたら兄以上にバドミントンが好きで、家の中でも動画を見てイメージをして腕振ってますよ」なんて言われ、入部前から一緒にできることをとても楽しみにしていました。
家ではうるさいぐらいによくしゃべると聞いてたのに、私にはいつもボソッと話します笑
1年生の下積みの時以上に、2年生になって、キャプテンになって、その責任感と負けず嫌いの性格から、苦しい時期が続いたと思います。
埼玉県で行われた全国私学の初日の夜。
キャプテンとして、ダブルスプレーヤーとして、1年生を上回る努力を寛人に求めました。
そこから後輩に負けまいとダブルスプレーヤーとしての技術を懸命に学び、急激に上達しました。
その成長には、本当に驚かされました。
線が細くてパワーに欠ける分、スマッシュの角度と前衛のイメージの高さは天下一品。
懸命にダブルスの技術の向上に努めてきました。
前衛プレーヤーとして、タッチの速さと球の作りは、歴代にみても抜群でした。
背もどんどん高くなって、それでもダブルスでサーブをする表情は、中学生の時の立花カップの時のまま。
インターハイ予選の時の写真と同じ。
ずっと、懸命にダブルスを極め続けてくれました。
翔太郎は、実は私、彼がまだ幼稚園・小学生ぐらいの頃から知ってました。
私もその頃はまだちょこっとプレーをしていた時期。翔太郎はご両親に連れられて、体育館のコートサイドで宿題したり、ラケットを振ってみたりしてました。
だから、まさか高校生になってたちバドに入ってくるなんて・・・時がたつのは早いな、なんてつくづく思いました。
幼いころからお父さんのシングルスのプレースタイルを追いかけ、成長してきて、スマッシュの威力もシングルの組み立ても抜群でした。
そんな翔太郎が高校生になって、技術と体力とスピードをさらに身に付けて、あっというまにシングルとダブルを兼ねるエースに成長してくれました。
最後の春。インターハイをかけた最後の団体戦で回ってきたシングルスでのプレーが翔太郎の集大成。
中学時代には勝つことの出来なかった相手を圧倒しました。
結果的にインターハイに手は届かなかったものの、どこかやり切った顔をしてくれたことに私は救われました。
長くなりましたが・・・
そんな二人に、私は沢山のことを教えられ、考えさせられ、成長させてもらったと感謝しています。
ある意味「難しい二人」でしたが、一緒に過ごせた時間は、本当に大切な思い出になっています。
送別会の後、二人からもらった手紙に目を通してから、スマホの中の写真を開き、「ピープル機能」をタッチすると、数え切れない枚数の二人の写真が出てきました。
二人のことは、沢山怒りました。数え切れないほど怒鳴りもしました。
関東予選の敗退、インハイのダブルス予選の敗退の後、すっかり心が折れてしまった二人になんて声をかけていいか分かりませんでした。
全ては私の責任です。
私は彼らに心から感謝していますが、彼らにとって私は決して良い指導者ではなかったと思います。
これから私にできることは、彼らのぶんもこれから続く後輩たちをしっかりと育てていくことだと思っています。
それが私にできる彼らへの恩返しだと思っています。
私はいつまでたっても半人前ですが、二人は立派に成長してくれました。本当にありがとう。
そして、寛人、翔太郎、卒業おめでとう。
そして、沢山のご協力を頂いた泉野さん、栗田さん、本当にありがとうございました。
先週の日曜日。毎年恒例の3月の2週目の日曜日。
1日に卒業した3年生二人のために、改めて「立花学園バドミントン部」として送別会を開きました。
一つ上のOB達が集まってくれて大会運営をしてくれます。
第1部は、これまた恒例となりつつある「親子バドミントン大会」を開催。
3年生キャプテン「泉野親子ペア」
副キャプテン「栗田親子ペア」
その他、1・2年生の保護者の方にも全ての家庭に参加していただいて、参加数は22組!!
ルールは、たちバドは利き手と反対にラケットを持つこと。
スタートすると、お父さんもお母さんもコートの中で頑張ってくださいました!
すっかり一大イベントです!!
結果
優勝「栗田親子ペア」
準優勝「桑原親子ペア」
3位「梅蔭兄弟ペア」
3位「福岡コーチとその後輩さんペア」
審査員特別賞!?「泉野親子ペア」
みなさん、すっかりクタクタですが、いい汗かいていました!
第2部は現役生と指導者・OBとのマジゲーム!
久しぶりに見る「泉野&栗田」のダブルスに、なんだか懐かしさと、久しぶりに見れた嬉しさでほっこりしました。
そして、クライマックスの第3部。
2年生キャプテン横山と、副キャプテン尾上から、3年生へ、そして現役保護者から3年生保護者のお二方へ感謝の気持ちを伝えました。
今年度の3年生は、泉野と栗田のたった2人。なのに2年生は11人、1年生は5人。
二人しかいなかったせいか、学年問わず、後輩たちと和気あいあいとしたチームを作ってきました。
寛人は、3つ上に在籍していた兄の後を追うように入部してきてくれました。
入部前から、お母さんから「もしかしたら兄以上にバドミントンが好きで、家の中でも動画を見てイメージをして腕振ってますよ」なんて言われ、入部前から一緒にできることをとても楽しみにしていました。
家ではうるさいぐらいによくしゃべると聞いてたのに、私にはいつもボソッと話します笑
1年生の下積みの時以上に、2年生になって、キャプテンになって、その責任感と負けず嫌いの性格から、苦しい時期が続いたと思います。
埼玉県で行われた全国私学の初日の夜。
キャプテンとして、ダブルスプレーヤーとして、1年生を上回る努力を寛人に求めました。
そこから後輩に負けまいとダブルスプレーヤーとしての技術を懸命に学び、急激に上達しました。
その成長には、本当に驚かされました。
線が細くてパワーに欠ける分、スマッシュの角度と前衛のイメージの高さは天下一品。
懸命にダブルスの技術の向上に努めてきました。
前衛プレーヤーとして、タッチの速さと球の作りは、歴代にみても抜群でした。
背もどんどん高くなって、それでもダブルスでサーブをする表情は、中学生の時の立花カップの時のまま。
インターハイ予選の時の写真と同じ。
ずっと、懸命にダブルスを極め続けてくれました。
翔太郎は、実は私、彼がまだ幼稚園・小学生ぐらいの頃から知ってました。
私もその頃はまだちょこっとプレーをしていた時期。翔太郎はご両親に連れられて、体育館のコートサイドで宿題したり、ラケットを振ってみたりしてました。
だから、まさか高校生になってたちバドに入ってくるなんて・・・時がたつのは早いな、なんてつくづく思いました。
幼いころからお父さんのシングルスのプレースタイルを追いかけ、成長してきて、スマッシュの威力もシングルの組み立ても抜群でした。
そんな翔太郎が高校生になって、技術と体力とスピードをさらに身に付けて、あっというまにシングルとダブルを兼ねるエースに成長してくれました。
最後の春。インターハイをかけた最後の団体戦で回ってきたシングルスでのプレーが翔太郎の集大成。
中学時代には勝つことの出来なかった相手を圧倒しました。
結果的にインターハイに手は届かなかったものの、どこかやり切った顔をしてくれたことに私は救われました。
長くなりましたが・・・
そんな二人に、私は沢山のことを教えられ、考えさせられ、成長させてもらったと感謝しています。
ある意味「難しい二人」でしたが、一緒に過ごせた時間は、本当に大切な思い出になっています。
送別会の後、二人からもらった手紙に目を通してから、スマホの中の写真を開き、「ピープル機能」をタッチすると、数え切れない枚数の二人の写真が出てきました。
二人のことは、沢山怒りました。数え切れないほど怒鳴りもしました。
関東予選の敗退、インハイのダブルス予選の敗退の後、すっかり心が折れてしまった二人になんて声をかけていいか分かりませんでした。
全ては私の責任です。
私は彼らに心から感謝していますが、彼らにとって私は決して良い指導者ではなかったと思います。
これから私にできることは、彼らのぶんもこれから続く後輩たちをしっかりと育てていくことだと思っています。
それが私にできる彼らへの恩返しだと思っています。
私はいつまでたっても半人前ですが、二人は立派に成長してくれました。本当にありがとう。
そして、寛人、翔太郎、卒業おめでとう。
そして、沢山のご協力を頂いた泉野さん、栗田さん、本当にありがとうございました。