![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f9/e3b5f981ffffcc5f3c9344874a17c706.jpg)
写真は私が初めてプロレス観戦行った時のチケットです。
現在のコンビニで発券出来る機械的なモノと違い
この頃のチケットって夢が有るモノですね。
「テリーファンクさよならシリーズ最終戦」で引退試合と
早合点し恥をかいたモノでした。会場は東京水道橋、後楽園ホール。
この日のテリーのカードは鶴田と組んでvsタイガージェットシン、上田馬之助で
乱戦の中、両者リングアウトでした。
メインイベントのテリーの試合が近付くと私設応援団の
テリーファンクチアガール達がボチボチ準備始め
試合後に「スピニングトーホールド」が流れボンボンを降っている光景に
「やっぱり振っているんだ」と変に違和感有る納得をしました。
あの光景にはライバルだったブッチャーまで驚いたというのですから。
そして、蔵前国技館の盛大な引退試合。
元NWA世界ヘビー級チャンピオンのテリーが日本で引退すると。
この日はジャンボ鶴田がブルーザーブロディに挑む
インターナショナルヘビー級選手権の二本立て放送で
ウチにもまだビデオテープ有りますが(再生出来るかは不明)
力道山からのインターヘビー王座への巡りのVTRを作成、放送し
そして大流血戦の末、鶴田がリングアウトで
悲願のインターナショナルヘビー級王座戴冠という盛り上がり!
私を含めたファンの望むカードは
テリー、ドリーのファンクスvsハンセン、ブロディでした。
しかし同日、インターヘビー級選手権があるという名目なので
若き天才、テリーゴディーを起用するという。
後々考えれば、誰も寝る(負ける役)には出来ないし、
ブロディは絶対呑まない筈でしょう。
で、前のシリーズ辺りから登場したファビュラスフリーバーズの
テリーゴディーがハンセンのパートナー、と当時子供の私は
「何で???」と思いました。多くのファンがそう思ったでしょう。
この特番の日(土曜日だったかな?)塾でして
授業が終わったら自転車猛ダッシュで帰宅し
引退試合に間に合わせました。ビデオは撮ってありましたが
リングサウンドに駆けつけた鶴田インター王座戴冠にも驚きました。
それにしても壮大な引退式でしたね。
試合前にこれだけの大イベントをして、娘さんの泣く姿にも涙しそうになる。
(思い出し涙が)
G馬場/ドリー&テリーファンクvsスタンハンセン/ブルーザーブロディ/T・ゴディ Giant Baba/The Funks vs Stan Hansen/Bruiser Brody
いよいよ決戦の準備が出来上がり、憎きスタンハンセン組の入場!
殺伐としてきました!倉持アナウンサーが煽りまくります。
完全版を探したのですが、有りませんでした。
ハンセン組入場から試合はコレですね。
1983 .8.31 蔵前 テリーファンク引退試合 ザファンクス VS スタンハンセン テリーゴディ
いやぁ、ジョー樋口レフリーも含め、盛り上げまくりますね。
皆、超一流プロで全国を興奮と感動のるつぼへ。
徹底的にファンクスを痛めつけるハンセン、ゴディー。
怪我していない左膝に蹴りを入れ(ハンセン間違えた?)テリーがクルッと反転し
徹底的に膝攻撃を受ける展開。
そしてテリーのやられながらの徹底交戦。
引退する迄強かったハンセンにゴディー。
それにしてもテリーゴディーは良い意味でアメリカンスタイルのレスリング
試合を上手い展開へと持って行きますね。
ダイビングボディプレスを失敗したのを合図に
テリーがまさかのトップロープからのダイビングローリングクラッチホールドという技で
大逆転勝ち!
そして負けても暴れるハンセンのウエスタンラリアットの餌食になる
若き日の三沢光晴。(越中と共に進んでやられ役を買ったそうですね)
ラリアットも見せて場内は大盛り上がりですね。
TV観ても熱狂でした。
とにかく、日本人の心を掴みまくったファンクスにハンセンです。
これからが、もう大変。
兄ドリーに捕まりテリーのサヨナラ挨拶攻撃!
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!グッドバイアイラブユー」
もう皆んなが泣き泣き!ミスター高橋迄泣いたというから。
私は家族の手前、必死で涙を堪えました。
これは後年、見事に大仁田が盗み、役者ぶりに磨きをかけました。
テリーファンク引退興行は見事な興行でしたね。
この83年当時、間違いなくテリーの人気が有ったのは日本ですね。
この試合、ジョー樋口のミスが気になって気になって。
肩を付いた所でフォールを数える樋口が
ハンセンの回転エビ固め失敗でドリーの肩付いてないのに遅れてカウントワン。
82年秋にビデオデッキを仕入れたので私は何度も巻き戻し検証しました。
しかし時代劇かカーボーイ映画の様なプロレスで
この興奮を懐かしんでしまいます。
が!・・・・。
鶴田がニックボックウィンクルからAWAのタイトル奪った試合に
テリーファンクを特別レフリーに起用します。
引退して1年半位ですか?当然我々ファンは喜びました。
そこに味をしめてしまったのが馬場なんでしょうな。
マイティー井上がラジオのゲストで出演した時、マシンガントークで
「テリーを復帰させたのは馬場さんでしょ?そう思いますよ。
テリーを復活させればグッズから何から売れるでしょ?
物凄い引退式だったんですよ!テリーも馬場さんに頼み込まれたんでしょうけど
ファンはウンともスンとも言わなかったでしょ?
ファンを馬鹿にしたら駄目ですよ!」と大仁田8回目の引退の流れから
テリーの話へと、国際プロレスから移ってまだ2年弱の井上でしたが確証は無いにしても
マシンガントークで井上は大仁田を含め、テリーを復活した馬場へ
「ファンを馬鹿にしたら駄目ですよ!男が一回引退すると言ったら引退せねば!」
というふうに話しまくっておりました。
確かに、日本のファンの反応は冷やかでしたね。
私も一瞬喜んだけど、あれだけの引退式と試合を観た後の早い復帰は
やはり冷めてましたね。
覚えがあるとしたらPWF戦で長州に完全ピンフォールされた姿。
そしてその後、同じく因縁のハンセンにラリアットでフォールされた所。
こんな感じなんですよね。
井上の確信通りなら馬場は思いっきりファン心理を外し
テリーファンクの価値を下げてしまう事になりましたね。
しかし大仁田の師でもあるテリーが只では転ばないのですよね。
ロングタイツにTシャツ姿でインディーとは云え
大仁田との電流爆破デスマッチ、そして川崎球場でカクタスジャックと
対決し、スタジアムに人を集めてしまうのですよね。
アメリカではECWでハードコアデスマッチを繰り返し
メジャーのWCWにまで登場!老いて尚、トップロープからの
ムーンサルトプレスを敢行してしまうのですよね。
只では転ばなかったですな。しぶといというか。
外道はテリーはずっとカッコいい!あのまんまと語ってました。
最近では体調がよろしくないとか。
年齢も年齢ですし、心配です。
現在のコンビニで発券出来る機械的なモノと違い
この頃のチケットって夢が有るモノですね。
「テリーファンクさよならシリーズ最終戦」で引退試合と
早合点し恥をかいたモノでした。会場は東京水道橋、後楽園ホール。
この日のテリーのカードは鶴田と組んでvsタイガージェットシン、上田馬之助で
乱戦の中、両者リングアウトでした。
メインイベントのテリーの試合が近付くと私設応援団の
テリーファンクチアガール達がボチボチ準備始め
試合後に「スピニングトーホールド」が流れボンボンを降っている光景に
「やっぱり振っているんだ」と変に違和感有る納得をしました。
あの光景にはライバルだったブッチャーまで驚いたというのですから。
そして、蔵前国技館の盛大な引退試合。
元NWA世界ヘビー級チャンピオンのテリーが日本で引退すると。
この日はジャンボ鶴田がブルーザーブロディに挑む
インターナショナルヘビー級選手権の二本立て放送で
ウチにもまだビデオテープ有りますが(再生出来るかは不明)
力道山からのインターヘビー王座への巡りのVTRを作成、放送し
そして大流血戦の末、鶴田がリングアウトで
悲願のインターナショナルヘビー級王座戴冠という盛り上がり!
私を含めたファンの望むカードは
テリー、ドリーのファンクスvsハンセン、ブロディでした。
しかし同日、インターヘビー級選手権があるという名目なので
若き天才、テリーゴディーを起用するという。
後々考えれば、誰も寝る(負ける役)には出来ないし、
ブロディは絶対呑まない筈でしょう。
で、前のシリーズ辺りから登場したファビュラスフリーバーズの
テリーゴディーがハンセンのパートナー、と当時子供の私は
「何で???」と思いました。多くのファンがそう思ったでしょう。
この特番の日(土曜日だったかな?)塾でして
授業が終わったら自転車猛ダッシュで帰宅し
引退試合に間に合わせました。ビデオは撮ってありましたが
リングサウンドに駆けつけた鶴田インター王座戴冠にも驚きました。
それにしても壮大な引退式でしたね。
試合前にこれだけの大イベントをして、娘さんの泣く姿にも涙しそうになる。
(思い出し涙が)
G馬場/ドリー&テリーファンクvsスタンハンセン/ブルーザーブロディ/T・ゴディ Giant Baba/The Funks vs Stan Hansen/Bruiser Brody
いよいよ決戦の準備が出来上がり、憎きスタンハンセン組の入場!
殺伐としてきました!倉持アナウンサーが煽りまくります。
完全版を探したのですが、有りませんでした。
ハンセン組入場から試合はコレですね。
1983 .8.31 蔵前 テリーファンク引退試合 ザファンクス VS スタンハンセン テリーゴディ
いやぁ、ジョー樋口レフリーも含め、盛り上げまくりますね。
皆、超一流プロで全国を興奮と感動のるつぼへ。
徹底的にファンクスを痛めつけるハンセン、ゴディー。
怪我していない左膝に蹴りを入れ(ハンセン間違えた?)テリーがクルッと反転し
徹底的に膝攻撃を受ける展開。
そしてテリーのやられながらの徹底交戦。
引退する迄強かったハンセンにゴディー。
それにしてもテリーゴディーは良い意味でアメリカンスタイルのレスリング
試合を上手い展開へと持って行きますね。
ダイビングボディプレスを失敗したのを合図に
テリーがまさかのトップロープからのダイビングローリングクラッチホールドという技で
大逆転勝ち!
そして負けても暴れるハンセンのウエスタンラリアットの餌食になる
若き日の三沢光晴。(越中と共に進んでやられ役を買ったそうですね)
ラリアットも見せて場内は大盛り上がりですね。
TV観ても熱狂でした。
とにかく、日本人の心を掴みまくったファンクスにハンセンです。
これからが、もう大変。
兄ドリーに捕まりテリーのサヨナラ挨拶攻撃!
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!グッドバイアイラブユー」
もう皆んなが泣き泣き!ミスター高橋迄泣いたというから。
私は家族の手前、必死で涙を堪えました。
これは後年、見事に大仁田が盗み、役者ぶりに磨きをかけました。
テリーファンク引退興行は見事な興行でしたね。
この83年当時、間違いなくテリーの人気が有ったのは日本ですね。
この試合、ジョー樋口のミスが気になって気になって。
肩を付いた所でフォールを数える樋口が
ハンセンの回転エビ固め失敗でドリーの肩付いてないのに遅れてカウントワン。
82年秋にビデオデッキを仕入れたので私は何度も巻き戻し検証しました。
しかし時代劇かカーボーイ映画の様なプロレスで
この興奮を懐かしんでしまいます。
が!・・・・。
鶴田がニックボックウィンクルからAWAのタイトル奪った試合に
テリーファンクを特別レフリーに起用します。
引退して1年半位ですか?当然我々ファンは喜びました。
そこに味をしめてしまったのが馬場なんでしょうな。
マイティー井上がラジオのゲストで出演した時、マシンガントークで
「テリーを復帰させたのは馬場さんでしょ?そう思いますよ。
テリーを復活させればグッズから何から売れるでしょ?
物凄い引退式だったんですよ!テリーも馬場さんに頼み込まれたんでしょうけど
ファンはウンともスンとも言わなかったでしょ?
ファンを馬鹿にしたら駄目ですよ!」と大仁田8回目の引退の流れから
テリーの話へと、国際プロレスから移ってまだ2年弱の井上でしたが確証は無いにしても
マシンガントークで井上は大仁田を含め、テリーを復活した馬場へ
「ファンを馬鹿にしたら駄目ですよ!男が一回引退すると言ったら引退せねば!」
というふうに話しまくっておりました。
確かに、日本のファンの反応は冷やかでしたね。
私も一瞬喜んだけど、あれだけの引退式と試合を観た後の早い復帰は
やはり冷めてましたね。
覚えがあるとしたらPWF戦で長州に完全ピンフォールされた姿。
そしてその後、同じく因縁のハンセンにラリアットでフォールされた所。
こんな感じなんですよね。
井上の確信通りなら馬場は思いっきりファン心理を外し
テリーファンクの価値を下げてしまう事になりましたね。
しかし大仁田の師でもあるテリーが只では転ばないのですよね。
ロングタイツにTシャツ姿でインディーとは云え
大仁田との電流爆破デスマッチ、そして川崎球場でカクタスジャックと
対決し、スタジアムに人を集めてしまうのですよね。
アメリカではECWでハードコアデスマッチを繰り返し
メジャーのWCWにまで登場!老いて尚、トップロープからの
ムーンサルトプレスを敢行してしまうのですよね。
只では転ばなかったですな。しぶといというか。
外道はテリーはずっとカッコいい!あのまんまと語ってました。
最近では体調がよろしくないとか。
年齢も年齢ですし、心配です。
私、リアルタイムでテレビ見ましたわ、これ。忘れてましたが、ゴディって初来日だったんですね。こういう初来日をハンセンのパートナーにしてる時点で結末はお察しでしたが、あらためて見たらゴディは初来日とは思えないいい仕事してますね。動きもよく、
流れもよく見てて。ドリーとの絡みもうまくテリーにつなげて。
ドリー、ロブ・ハルフォードに似てるなぁと再認識(*´ω`*)。とっくに峠は越していますが、ドロップキック4連発と古典的バックドロップはお見事でした。
ハンセン、危険極まりないですね(*´ω`*)。個人的には最強外人レスラーだと思っています。あのパワー、スピード、スタミナ。エルボードロップ、ニードロップだけでも決め技になりそうな重さ。テリーの膝への攻撃は、見てて怖いほど。
テリー、頑張りましたね。その一語に尽きますわ。でも意外に若かったんだなぁ。それは知りませんでした。
いや、ええもん見させていただきました。倉持アナ・山田さんの名コンビにゴングの竹内さんの話も心地よく(*´ω`*)。
いやぁ、たまたまyoutubeでヒットし
「コレは頂き!」と思ってしまいました。
この頃の記憶は生々しいですし、興奮しました。
例え世の中に八百長と言われても抵抗しながら。
この試合、ドリーとゴディーが凄く良いタイミングで試合を動かしているなぁと
今観てつくづくゴディーに関心してしまいました。
本文でも書きましたがマイティー井上が言うには
天龍、鶴田離脱でトップを取った三沢や川田、小橋。
小さい体で当時、ハンセンやゴディーという巨漢且つ強いレスラー相手で
相当しんどかっただろう、と語ってました。井上の回の
真夜中のハーリー&レイス、凄く面白かったです。
この試合見てもテリーやドリーがハンセンやブロディーに勝てる気がしないんですよね。
ドリーなんておじいちゃんみたいでしたし。しかしエルボースマッシュは凄い!
私も昔一度、ロブとドリーを重ねた事あるんです。若き日から頭髪が‥。
無機質な原ぐんじ氏の司会や選手コールから
古舘一郎に負けない熱さの放送席ですね。
そうでしたそうでした。テリーは(よせばいいのに)復帰しましたよねぇ。って、まだ現役なんですか!?それは知りませんでした。
話はずれますが、大仁田が未だにやってる(もうプロレスとは言えないのかもですが)のは、やっぱりうまみがあるんでしょうね。日銭というか。国会議員までやれちゃったもんなぁ。
書いてて思い出しましたが、レオン・スピンクスも大仁田は呼べましたよね。「昔の名前」で食える世界ってあるんだなぁ。
私、最近のプロレスのことは全然わかってないので、的外れはご容赦くださいね。大仁田が何回引退しようが別にいいのですが、レスラー以外の人間と試合するってのは、どうなのかなって。今に始まったことではないのでしょうが。
そう言えば、ワカマツをアンドレと組ませてリングに上げましたが、苦労人ワカマツの晴れ舞台とは理解しながらも、既にレスラーじゃない人間に延髄かまして勝つってのもなぁ、と思ってみてました。
随分ずれちゃったので、一旦切り上げますね(*´ω`*)。
でも、テリーって人気あったんですよね。最強タッグ優勝戦の劇的ファイトがその要因だったのでしょうか。NWAチャンプ時代なんて全然知らないのですが、私含めて全日ファンは「NWAチャンプ=強い」と思ってますから(笑)、まぁよかったのですが。
正直、引退一年前あたりの「もうキツイんちゃう」って雰囲気の頃から、毎シリーズのようにファンクスが来日しては辛い試合を見せられてたので、「やっと辞めるんだ。もう見なくていいんだ」って思ってました(´・ω・`)。ひどいなぁ、我ながら。
全日的には、若大将・鶴田にシフトしてた頃でしたから、世代交代期だったのかな。デストロイヤーとマスカラスは別格として。
太郎さんが紹介してくださった通り、三沢は本当に素晴らしいレスラーながらも大型の外人とはちょっと辛かったので、往年の全日らしさがこの世から消えた感じでした。
まぁ、そんな全日らしさってのが残すべきものかは、正直わかりません。八百長という言葉は好きではないのですが、水戸黄門的予定調和の心地よさ、悪い外人を日本人がやっつけるアナクロの楽しさがなくなったのは寂しかったなぁ。
ファンクスは外人ベビーの草分けでしたかね。私設応援団の女性達、本当に好きだったんだろうなぁ。不思議な光景でしたが、本気で応援してるのは感じてました。
テリーの初回復帰時にファンが冷めてたってのは興味深いです。やはり、何度も引退・復帰がご愛嬌のインディーズとは違う雰囲気があったのでしょうから。私設応援団の女性達も戸惑ったんじゃないかなぁ・・・。
あ、ファンクスでWWFにも出てましたよね。さすがに無茶過ぎですわ。
ファンクスのテーマだった「クリエーション」というロックバンドの Spinning Toe Hold はシングル盤で買ったくらい好きでしたが、Lynyrd Skynyrd 演奏によるゴディのテーマ Freebirds も好かったです。出来れば彼らのホームタウン Amarillo Texas で、この試合を観たかったですが、テリーが早々にカムバックして来たのには唖然としました。まだ日本でだったら、十分に“営業”できると考えたのでしょうか…??
全日で復帰した時はハンセンに痛めつけられて復帰というアングルだったかしら?
ハンセン本人はファンクが恩人でも鶴田を主役にさせずファンクスがTOPにいるのは
不本意で本気で引導渡す気持ちだったそうな。
本気で見る日本人の性質からして冷めるのも仕方ないですね。
ただ、両国駅でカクタスジャックに握手して貰った時
「ファ◯ン テリーファンク!」という絵の描かれているGジャン来ていたので
老いて尚テキサスブロンコ見せる敵のテリーをリスペクトしていた様です。
NWAチャンピオンとしてはやはりドリーファンクの方が優れていたそうですね。
ただテリーはブッチャーも書いてましたが「痛めつけてくれる選手の面倒を見てくれる」
そうなんです。痛めつけられ痛々しい中で逆転する、これも大仁田が参考にするスタイルですよね。
コレがテリースタイルですが、三沢、川田と身体が小さい選手が
壁となって立ちはだかったハンセンに一生懸命向かって行くのがファンの支持を得れたんですね。
ジョー樋口がHomeさんと同じ感覚だったのかも?
アメリカンプロレスを裁いて来た樋口が四天王プロレスについて行けず
和田京平にメインレフリーを譲った様です。
昔の名前で生きてますは大きいですね。FMWはスピンクスもウィリーウイリアムスも
上げてましたよね。
そういえばレジェンドマッチという名目でジョントロス迄上げましたね。
コレは痛々しく思いました。
選手じゃない人間をリングに上げてプロレスしてしまったのが
猪木ですよね。ジャニーズのタッキーとプロレスしちゃって。
何故かウチにそのDVD有ったんですがいたたまれなくなり捨てました。
ハッスルもありましたしね。武藤なんかそういう扱い上手いと
ケンコバが武藤と戦った感想で天才!武藤啓司!と言ってました。
新日本では出来ませんが、思い起こせば70年代アメリカでもプロレスラーがコメンテーターと戦ったり
NWOでNBAのロッドマンでしたっけ?
悪童が痛めつけられてましたね。
ワカマツにとって猪木、上田戦は一世一代の大舞台だったそうで感謝してるそうです。
技はボディースラムが精一杯でしたね。
他の技行こうとして、館内盛り上がるも失敗しましたし。
PWFでは高野俊二が毎回、試合に呼んでくれたそうで孝行息子と言ってましたな。
長くなりました。
和製アメリカンドリーム?早世でしたね。
娘さん達もテンガロンハット被っていたのは印象的でした。後ガム噛む姿も。
このテリー引退セレモニー、試合、マイク、全てが凄かったです。
83年のプロレスで一番興奮した興行でした。
「スピニングトーホールド」は私もスタジオで突然JAMが始まったりします。
「フリーバーズ」も良い曲ですな。如何にも南部という曲で。
井上の話通りでしたら馬場が盛大な引退興行で引退したテリーの使い方を
大きく間違え、テリーファンクというレスラーに対して当時酷い扱いをしてしまったという事になるでしょう。
ドリーは今でも若い選手を育て、日本で典型的な弟子が西村修でしょう。