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林眞澄の息子さん

2017年04月28日 | 社会



和歌山カレー事件、林真須美死刑囚・長男の壮絶人生 あだ名は「ポイズン」、苦しみ続く

 「人間として最底辺まで落ちた」。関西地方の男性(29)はこの19年近く、殺人犯あるいは死刑囚の息子という重い十字架を背負って人生を歩んできた。男性の母親は、平成10年に発生した「和歌山毒物カレー事件」の犯人として逮捕され、殺人罪などで死刑判決が確定した林真須美死刑囚(55)、その人だ。


 地域の夏祭りで出されたカレーを食べた住民4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった凶悪犯罪は、事件そのものの衝撃はもちろん、テレビインタビューに冗舌に応じたり、自宅前で待ち構える報道陣にホースで水をかけたりした林死刑囚の強烈なキャラクターと相まってメディアを席巻。ワイドショーが林死刑囚の一挙手一投足を追い続ける「カレー狂想曲」が繰り広げられた。

 間もなく林死刑囚は逮捕されるが、当時から一貫して無実を主張している。カレーにヒ素を混入したのは本当に母なのか。そんな葛藤に苦しみ続ける長男が、これまでの壮絶な歳月を振り返った。

 金庫の中に保管された数億円の札束、アクセサリー、腕時計など貴金属類、それに「ニンテンドー64」や「セガサターン」といった複数のゲーム機器…。カレー事件前、和歌山市園部地区の林家には、大金やぜいたくな品々があふれかえっていた。「おもちゃでも何でも、欲しい物は百貨店の外商で買ってもらえた。ふざけて札束を積み木のようにして遊ぶこともあった」。長男は通常とはかけ離れた幼少期の“異様”な暮らしぶりをこう打ち明けた。

 収入のからくりは両親が繰り返してきた保険金詐欺だ。父親(71)は以前、シロアリ駆除の仕事をしていたことから薬剤の知識があり、昭和63年ごろ、自らヒ素を口にして2億円もの保険金を受領。その後も元保険外交員だった林死刑囚とともに、詐欺を繰り返したとされる。金庫には多いときで5億円近くが保管されていたといい、長男は「今思うと、両親はお金にとりつかれていたのかもしれない」と話す。

 そんな破天荒な暮らしは小学4年の夏に発生したカレー事件とともに一変していく。現場の園部地区には、一般マスコミだけでなく、ワイドショーのクルーなども張り付き、前代未聞の凶悪犯罪を引き起こした犯人像を追う報道合戦が繰り広げられた。大勢の記者やカメラマンが大挙して押し寄せた当初の様子を、「不謹慎だが、お祭り騒ぎのようだった」と振り返る長男。だが、1カ月が過ぎたころから次第に報道陣は林家を集中的に取材するようになり、幼心に自分の家が疑われるのを感じていた。

 長男も各社の記者から両親の様子について探りを入れられるようになったという。このころから、林家では毎夜、「本当はどうなんな(どうなんだ)」とカレー事件への関与を問いただす父親と林死刑囚の口論が繰り返された。「ママがやったん?」。長男も、こう母親に問いかけたことがあったという。「やるはずがない」。ぴしゃりと否定されたが、結局、事件から約2カ月後、両親は保険金詐欺容疑で和歌山県警に逮捕された。当日は長男の小学校の運動会。前日に、来てくれるかどうかを尋ねる長男に、林死刑囚が「絶対行ってあげる」と応じたのが、逮捕前の最後の会話だったという。

 長男の両親は千人以上の報道陣が取り囲む衆人環視のもとで警察に連行された。「林さん、林さん」。午前6時ごろ、自宅のドアをノックする音がして、まもなく警察官が踏み込んできた。テレビをつけると、見慣れたわが家が報道陣に取り囲まれている光景が写っていたことを覚えている。林死刑囚は同年12月、カレー事件に関与したとして殺人などの容疑で再逮捕。殺人犯の息子という重い十字架を背負うことになった長男を待っていたのは、預けられた養護施設でのいじめだった。同じ施設に入所していた少年らから日常的な暴力を受けたといい、顔に傷ができれば職員らにいじめが発覚することから主に体を狙われ、生傷が絶えなかった。

 「ポイズン(毒)」。いじめを受けていた少年らからこんなあだ名で呼ばれることもあったという。給食のカレーに乾燥剤を入れられ、気付かずに食べておう吐したことも。何不自由なく暮らしてきた自分の身に、なぜこのようなことが起きているのか、信じられなかった。十字架は、数年後に施設を出てからも重くのしかかった。生計を立てるため飲食店でアルバイトをしていたとき、林死刑囚の家族だと分かると「衛生的に良くない」と言われ、その日のうちに解雇されたという。

 長男は現在、運送会社に勤務。保険金詐欺の刑期を終えて出所した後に脳出血で倒れ、車いす生活となった父親の自宅にも頻繁に行き来している。「カエルの子はカエル」。施設にいたころ、言われた言葉の悔しさから「万引一つでもすれば『死刑囚の息子だから』と後ろ指を指される」と道を踏み外さないように生きてきた。

 林死刑囚と面会するのは年に1回程度。最後に会った昨年6月には歯が抜け落ちてしまっていた。かつて、報道陣に水をかけた強気な性格は変わらず、「早めに老人ホームに入ったと思っている」とうそぶいていたというが、気丈にふるまうのは子供たちの前だけ。父親には「死刑台に連れて行かれる夢を見る」と弱音を漏らしたこともあったという。

 林死刑囚は死刑確定後も無罪主張を変えておらず、21年には和歌山地裁に再審請求を申し立てた。自宅などから見つかったヒ素と、現場に残されたヒ素は別物と主張したが、請求は今年3月、棄却された。林死刑囚の弁護団は大阪高裁に即時抗告しており、今後も無実を訴え続ける構えだ。そんな林死刑囚も、長男にとっては子煩悩で優しい母だった。国内外の観光地に頻繁に連れていってくれたり、長男やきょうだいの成長ぶりを写真に撮ってはアルバムを作ってくれたという。

 長男は事件から19年もの歳月が経過した今でも、そんな母と、メディアから希代の犯罪者と指弾され続けてきた林死刑囚が重ならずにいる。母は、カレー事件の犯人なのか。一方では事件で被害に遭った多くの人がいるのも事実だ。長男は苦しい胸の内をこう明かす。「家族だから、母を信じたい思いがある。何度も葛藤を繰り返している」


(産経新聞 2017・4・27)

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