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岩崎被告に懲役14年6か月の有罪判決

2017年03月01日 | 社会

小金井事件 懲役14年6か月の有罪判決

2016年5月、東京・小金井市で芸能活動をしていた女子大学生・冨田真由をナイフで刺して殺害しようとした罪に問われた岩崎友宏被告の裁判員裁判で、東京地裁立川支部は28日午後、岩崎被告に懲役14年6か月の有罪判決を言い渡した。

去年5月、東京・小金井市で芸能活動をしていた女子大学生をナイフで刺して殺害しようとした罪に問われた男の裁判員裁判で、東京地裁立川支部は、男に懲役14年6か月の有罪判決を言い渡した。

 岩崎友宏被告は、冨田真由さんの首や胸などをナイフで刺して殺害しようとした罪に問われている。これまでの裁判で、岩崎被告は起訴内容を認めたが、冨田さんが自ら意見陳述を行った際、突然「じゃあ、殺せよ!」などと叫び、退廷を命じられる場面もあった。検察側は「類例を見ない悪質性、反社会性がある犯行で謝罪がパフォーマンスだったことは法廷での言動で証明された」などとして、懲役17年を求刑していた。

 東京地裁立川支部は28日午後、岩崎被告に懲役14年6か月の有罪判決を言い渡した。

(日テレニュース 2017.2.28)

アイドル刺傷事件の岩埼被告が「岩崎」に戸籍変更


東京都小金井市で、音楽活動をしていた大学生冨田真由さん(21)に付きまとい、刺したとして殺人未遂罪などに問われた無職岩崎友宏被告(28=群馬県伊勢崎市)に、東京地裁立川支部の裁判員裁判は28日、「ファンの立場を超えて一方的に恋愛感情を抱き、逆恨みした」として、懲役14年6月(求刑は懲役17年)の判決を言い渡した。

 阿部浩巳裁判長は判決後、裁判員からのメッセージとして「被害者の夢を奪った重大さを自覚する必要がある。社会に戻っても長い人生がある。自分をコントロールし、社会で生活していく姿勢を身に付けてほしい」と被告に語り掛けた。

 判決理由では「被害者が抵抗できなくなっても執拗に刺し続けており、危険かつ悪質。死亡してもおかしくない容体だった。一定の計画性があり、殺意は非常に強固だった」と指摘した。

23日の公判で冨田さんは「(被告は)今度こそ殺しに来ると思う」と意見陳述し、厳罰を求めていた。判決公判には姿を見せず、弁護士が内容を伝えると「17年でも短いと思っていたのに」と話し、後は言葉にならない様子だったという。

 被告は判決直前に意見陳述し「二度と冨田さんに近づかない、関わらないことを誓います」と述べた。一方で「殺意は認めません」とも強調。弁護士は閉廷後、「控訴するかどうかはコメントできない」と話した。

 判決によると、冨田さんからプレゼントを返送されるなどして怒りを募らせ、昨年5月21日午後5時5分ごろ、小金井市本町のライブハウスが入る建物で、出演予定だった冨田さんの首や胸をナイフで多数回刺し、殺害しようとした。

 地裁立川支部は「岩埼」としていた被告名の表記を「岩崎」に変更した。戸籍が変更になったとしている。(共同)

(2017年2月28日)


「口や右足の親指にもまひ」「頭がおかしくなるくらい悔しい」冨田さん意見陳述要旨

東京都小金井市で昨年5月、芸能活動をしていた大学生の冨田真由さん(21)をナイフで刺したとして、殺人未遂罪などに問われた群馬県伊勢崎市の無職、岩埼(いわざき)友宏被告(28)の裁判員裁判の第4回公判が23日、開かれ、冨田さんが意見陳述を行った。要旨は次の通り。

      ◇

 事件で意識を失って、病院で目が覚めたとき、すぐに何があったのか理解できました。事件後は今までよりはるかに大きい不安や恐怖を感じています。入院中、処置のはさみを見るたび、刺されるかもしれないとびくびくし、お見舞いに来る人も私を殺しに来たのではと思い、不安で気が休まりませんでした。退院後も気持ちは変わりません。

 事件の日から本当にすべて変わってしまいました。家族と過ごした時間、友人とたわいもない話をして笑っていた時間、大学で大好きな勉強をすること、大好きな音楽やお芝居をすること。大切に積み重ねてきたものや時間の全てが一瞬で奪われてしまいました。

 普通に過ごしていたはずだった毎日を返してほしい。傷のない元の体を返してほしい。傷を保護するテープを毎日張り替えるたび、事件を思い出してしまい、何でこんなことになったのかと何度も苦しくなります。

 毎日リハビリを続けていますが、思うように体が動きません。歌うことも食べることも口にまひが残り、苦痛です。視力が低下し、視野も狭くなったので、少し歩くと人や物にぶつかりそうになります。右足の親指にもまひがあります。

 体をこんなにめちゃめちゃにした犯人に腹立たしさを感じ、頭がおかしくなるんじゃないかと思うぐらい悔しく、毎日気が付けば泣いています。

 犯人やその家族から謝罪はありません。私の調書が法廷で読み上げられたときは笑っていたようですが、どうして笑うことができるのか。今、私が意見陳述している間も、きっと心の中では笑っていて、反省はしていないと思います。また絶対に同じことをする。こんな人を野放しにしてはいけない。絶対に許してはいけない。

 一方的に感情を抱き、思い通りにならなければ人を殺そうとする人です。今度こそ私を殺しにくるかもしれません。もう世の中に出てきてほしくない。今すぐに消えてほしい。

 生きていてよかったと思う気持ちと、傷だらけの姿やまひの残った口をみて苦しくなる気持ちが毎日繰り返されます。裁判官や裁判員の方々には、後遺症を抱えてどんな生活をしていかなければならないのかも理解してもらいたいです。

 私みたいに苦しむ人がいなくなるように、厳しい判決を出していただきたいです。

(産経新聞 2/24)

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