1981年の米ロサンゼルス銃撃事件に絡み、殺人の共謀容疑で拘置先の米自治領サイパンからロスに移送された三浦和義・元会社社長(61)=日本では無罪確定=が10日午後10時(日本時間11日午後2時)ごろ、ロス市警本部の留置場で自殺を図り、搬送先の病院で死亡が確認された。在ロサンゼルス日本総領事館に市警から連絡が入った。
元社長の死亡で、うわさされた「新証拠」も含め、今回の逮捕に至った根拠などは示されないことになった。元社長は10日朝、サイパンから訴追手続き開始のため移送され到着したばかり。ロス移送後、最初の夜だった。14日に罪状認否の出廷を控えていた。
元社長は今年2月、サイパンの空港で、妻一美さん=当時(28)=の殺人と共謀容疑でロス市警の逮捕状により身柄を拘束された。その後、現地で人身保護請求やロスで逮捕状取り消し請求を起こしたが、サイパンの裁判所が移送を命令。
さらに9月26日、ロス郡地裁が殺人容疑は無効としたものの、日本にはない共謀容疑での訴追は可能と判断し、司法手続き開始の道を開いた。
元社長はロスへの移送前、弁護士らに「カリフォルニアに行く時が来た」と決意を述べ、10日にもロスの領事と面会、「元気だ」と答えていたという。
カリフォルニア州の刑事手続きでは、罪状認否後、公判開始が妥当かどうかを決める予備審理がある。元社長をめぐっては、日本と米国で同じ事件で再び訴追するのを禁じた「一事不再理」原則に反するとの議論があり、弁護側は予備審理でも訴追の合法性を争うと述べ、長期戦が予想されていた。(中日新聞)
【ロサンゼルス=共同】米ロサンゼルスの関係者は11日、ロス市警関係者の話として、三浦和義元社長は収容先の警備担当者による20-30分ごとの見回りの間に、Tシャツで首つり自殺を図ったと語った。
あの当時この胡散臭さが人気あったんだけんど、なんの事件だったのかよくわかりませんでした
最近では万引きかなんかして「あの人は今的なあれに・・・」
と思ってたらまた「あの人は今みたいに再逮捕」
の次は自殺
やっぱりこの人のことはよくわかりません
三浦和義ラストインタビューhttp://jp.youtube.com/watch?v=ecrFWM7VUv8&feature=related
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事件発生
1981年8月31日、輸入雑貨商を営む三浦和義が妻A子とロサンゼルス旅行中、A子が宿泊していたリトル東京のホテルニューオータニの部屋で一人になったとき、日本人女性が上がり込んできて、A子の頭部を鈍器で殴打、軽症を負う。
同年11月18日午前11時5分頃(現地時間)、三浦夫妻はロサンゼルス市内の駐車場で2人組の男に銃撃され、A子は頭を撃たれて意識不明の重体。夫の三浦も足を撃たれた。1982年1月、A子は日本に移送され神奈川県伊勢原にある東海大付属病院に入院した。しかし、意識が戻ることはなく11月30日に死亡した。三浦は、保険会社3社から1億5500万円の保険金を受け取った。
「疑惑の銃弾」報道
1984年に週刊文春が「疑惑の銃弾」というタイトルで、三浦が保険金目当てに仕組んだ事件ではないかとする内容を連載した。この影響でマスコミは「三浦犯人説」を強調する報道が目立つようになり、三浦の自宅前にはテレビのワイドショーや週刊誌の記者が列をなし、三浦の自宅に不法侵入するものが出る始末であった。1985年に三浦の愛人B子が1981年8月のA子傷害事件における犯行を産経新聞上で告白する。
逮捕
同年9月11日、警視庁は三浦をA子殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕。同12日はB子も同容疑で逮捕した。1998年に釈放される。拘置所にいたのは13年。
殴打事件有罪
殴打事件では、B子に懲役2年6ヶ月、三浦には懲役6年が確定した。有罪判決確定の4ヶ月前に釈放されたが、宮城刑務所に収監され2年2ヶ月刑務所に服役。三浦が一連の事件で拘置所・刑務所にいたのは通算16年間。
銃撃事件無罪
殴打事件公判中の1988年10月20日、三浦夫妻銃撃事件で三浦と実行犯とされたロサンゼルスで駐車場を経営していた人物C男が殺人容疑で逮捕された。東京地裁はC男には証拠不十分で無罪、三浦には無期懲役の判決が下った。三浦は東京高裁に控訴、高裁では証拠不十分で逆転無罪となる。検察は最高裁に上告し、2003年3月5日に無罪となり、銃撃事件の日本における三浦の無罪が確定した。
しかし、3社の保険会社から返還訴訟を起こされる。訴訟では2社は三浦の敗訴、1社は三浦と和解した(和解金額は不明)。
再逮捕
2008年2月22日にアメリカの自治領であるサイパンにおいて三浦は、現地に出向いていたロサンゼルス市警の警官に殺人容疑で逮捕された。これは、「ロス疑惑」の捜査がアメリカでは未だ進行中(アメリカでは時効制度は存在するが殺人に関しては時効は存在しない)であり、それに基づいての被告人身柄確保と思われる。今後、ロサンゼルスへの移送を予定しているという。ただし、被告側は日本の最高裁での無罪判決の確定を根拠として、「一事不再理」の原則を盾にアメリカ当局の身柄拘束を不当なものと見なし、ロサンゼルスへの身柄移送の中止と身柄の解放を訴えて、法定で争っていたが、10月10日にロス市警に身柄移送、10月11日、ロス市警にて三浦は自殺を図り死亡した。
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