(1957年2月8日- )
東京都出身。
早稲田高等学校を経て、1981年、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。司法修習35期。
1983年、検事任官、東京地方検察庁検事。新潟地方検察庁、名古屋地方検察庁、青森地方検察庁等の地方検察庁に勤務。のち法務省に異動、司法制度改革で中枢的な役割を担った。2001年12月 法務省大臣官房司法法制部司法法制課長、2005年1月 刑事局総務課長、2006年7月 大臣官房秘書課長、2008年1月 大臣官房審議官、2010年8月松山地方検察庁検事正。2010年10月大臣官房付に異動、検察の在り方検討会議事務局を担当した。2011年8月 大臣官房長。2016年9月5日、法務事務次官。2019年1月18日東京高等検察庁検事長。2020年5月22日東京高等検察庁検事長辞任。
2020年5月20日、新型コロナウイルス感染症流行拡大に伴う緊急事態宣言が出されている期間中、同月1日から2日、および13日にかけて東京都内の知人の産経新聞記者の自宅を訪問し、産経新聞社の記者2人と朝日新聞社の元検察担当記者の社員とともに賭け麻雀をしていた疑いがあると『週刊文春』が報じた。
これについて朝日新聞社は、東京本社に勤務する50代の男性社員が黒川との麻雀に参加していたことを認め、謝罪した。一方、産経新聞社は「取材源の秘匿は報道機関にとって重い責務だと考えており」文春側に対して「取材に関することにはお答えしておりません」と回答していたが、その後の社内調査で所属記者が数年前から複数回にわたり賭け麻雀をしたことを認め、謝罪した。
黒川の報道に対して、与野党から批判が相次ぎ、石田祝稔公明党幹事長は「事実であれば職務を続けられる話ではない」、立憲民主党の安住淳国会対策委員長は「組織のリーダーとして失格と言わざるを得ない。直ちに辞任すべきだ」などと黒川の進退を問う声が上がった。菅義偉内閣官房長官は会見で「事実関係については詳細を承知しておらずコメントは差し控えたい。法務省が適切に対応する」と述べた。
同日、法務省は黒川に対する聞き取り調査を行い、黒川は賭け麻雀をしたことを認め、辞意を示した。森雅子法務大臣は官邸に調査内容を報告し、政府は黒川の進退について検討することとなった。同月21日、森法相は黒川を訓告処分としたうえで、黒川が安倍晋三首相に辞表を提出したことを公表した。これを受けて翌22日の閣議で黒川の検事長辞職が承認された。
人事院の指針では、賭博をした者は減給または戒告の処分とすると定めているが、黒川の処分はこれらより軽い「訓告」となった。黒川の「訓告」処分に関して、安倍首相と森法務大臣の間で説明が大きく異なっている。森法務大臣は、内閣と法務省が処分内容を実質的に決めたと説明したが、首相は「検事総長が適切に処分を行った」と強調した。さらに、法務省側は懲戒処分が相当だと判断していたが、官邸側が懲戒にしないと結論づけ、結果的に訓告となった事がわかった。
賭けマージャン、黒川氏を告発 朝日新聞社員ら3人も
東京高検の黒川弘務・前検事長(63)=22日付で辞職=が新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言中に産経新聞記者や朝日新聞社員と賭けマージャンをしていた問題で、岐阜県の弁護士らが25日、常習賭博の疑いで黒川氏と記者ら計4人に対する告発状を東京地検に郵送した。
告発内容は、黒川氏ら4人は常習として5月1日と13日、産経記者の自宅で、マージャンをして金銭を賭けていたというもの。1回で現金のやりとりは数千円から2万円程度だったと指摘。4人は3年前から月に数回、同様の賭けマージャンをしていたとした。
その上で「常習性は明らかで、賭け金も多額だ」と指摘。4人はいずれも「高度の倫理観を維持して、社会に範を示し、法律を遵守(じゅんしゅ)すべき立場にあることからすれば、違法性は極めて高い」と主張している。
告発した岐阜県弁護士会の美和勇夫弁護士は「賭博の常習性があることは明らかだ」と話している。
朝日新聞社広報部の話 社員が、定年延長などの問題の渦中にあった前東京高検検事長と賭けマージャンをしていたことは、緊急事態宣言中だったこととあわせ、極めて不適切でした。告発に至ったことを重く受け止め、皆さまの信頼を損ねたことを改めておわびします。すでに役職を外して人事部付としており、処分を含めて適切に対応いたします。
(2020.5.25.朝日新聞)
黒川氏の退職金5900万円 自己都合退職で減額
森雅子法相は26日の衆院法務委員会で、緊急事態宣言発令中の賭けマージャンが発覚し、辞職した黒川弘務前東京高検検事長の退職金について、勤務年数や役職などを勘案した「一般論」として約5900万円になると明らかにした。また、「自己都合退職」となるため定年退職の場合より約800万円減額されていると説明した。野党共同会派の階猛氏らへの答弁。
賭けマージャン、黒川氏ら告発 弁護士4人、東京地検に
黒川氏の退職金をめぐり安倍晋三首相は25日の記者会見で「訓告処分に従って減額されている」と発言した。これに関して森氏は「(訓告の場合は)処分自体で支給額は影響を受けない」と答弁し、食い違いを見せた。
黒川氏処分、決めたのは誰 答弁迷走、首相は関与否定
賭けマージャンで東京高検検事長を辞職した黒川弘務氏の訓告処分を決めたのは、だれだったのか――。安倍晋三首相は官邸が判断したという指摘を否定するが、森雅子法相が食い違う答弁をするなど迷走が続く。法務省に信頼回復のための「刷新会議」を置き、批判をかわそうと必死だが、疑念を解消するのは容易ではない。
26日の参院厚生労働委員会で、立憲民主党の石橋通宏氏は首相に「どちらかが本当で、どちらかがウソだ」と迫った。しかし、首相は淡々と「検事総長において訓告が相当であると判断して処分した」と従来の答弁を繰り返した。
追及の背景には、産経新聞記者や朝日新聞社員と賭けマージャンをした黒川氏の処分について、首相と森氏が22日の時点で食い違う答弁をしたことがあった。黒川氏の訓告処分は国家公務員法の懲戒処分ではなく、検事総長による監督上の措置。「軽すぎる」「甘すぎる」と批判される処分をだれが判断したのかという点が焦点になっていた。
首相は同日の衆院厚労委で「検事総長が適切、適正に処分を行った。それを受けて、私は了承した」と答弁。処分を決めたのは法務・検察で、自らは報告を受けただけと強調。一方、森氏は同日の記者会見で「法務省内、内閣と様々協議を行った。この過程で、私は色々な意見も申し上げたが、最終的には内閣で決定された」と述べ、決定過程で、首相官邸と協議を行ったことを事実上認める内容だった。「最終的に内閣で決定されたものを、私が検事総長に『こういった処分が相当ではないか』と申し上げ、検事総長から訓告処分にするという知らせを受けた」とも語った。
その後、法務省が懲戒処分の「戒告」が相当と意見したが、官邸との協議を受けて、より軽い「訓告」になったことが報じられた。批判の矛先が官邸に向く状況になり、森氏の答弁も変化していった。
26日の参院厚生労働委員会で、立憲民主党の石橋通宏氏は首相に「どちらかが本当で、どちらかがウソだ」と迫った。しかし、首相は淡々と「検事総長において訓告が相当であると判断して処分した」と従来の答弁を繰り返した。
追及の背景には、産経新聞記者や朝日新聞社員と賭けマージャンをした黒川氏の処分について、首相と森氏が22日の時点で食い違う答弁をしたことがあった。黒川氏の訓告処分は国家公務員法の懲戒処分ではなく、検事総長による監督上の措置。「軽すぎる」「甘すぎる」と批判される処分をだれが判断したのかという点が焦点になっていた。
首相は同日の衆院厚労委で「検事総長が適切、適正に処分を行った。それを受けて、私は了承した」と答弁。処分を決めたのは法務・検察で、自らは報告を受けただけと強調。一方、森氏は同日の記者会見で「法務省内、内閣と様々協議を行った。この過程で、私は色々な意見も申し上げたが、最終的には内閣で決定された」と述べ、決定過程で、首相官邸と協議を行ったことを事実上認める内容だった。「最終的に内閣で決定されたものを、私が検事総長に『こういった処分が相当ではないか』と申し上げ、検事総長から訓告処分にするという知らせを受けた」とも語った。
その後、法務省が懲戒処分の「戒告」が相当と意見したが、官邸との協議を受けて、より軽い「訓告」になったことが報じられた。批判の矛先が官邸に向く状況になり、森氏の答弁も変化していった。
(2020年5月26日朝日新聞DEGITAL)
なぜ異例の出世ができた? 黒川前検事長が陰で呼ばれていた「意外なニックネーム」
法務・検察関係者が語る。
「検察庁法では検事総長を除く検察官の定年を63歳、総長を65歳と規定していますが、現在の稲田伸夫総長は1956年8月生まれのため、最長で来年8月まで今のポストにいられる計算になります。ただ、総長在任は2年間が相場のため、この夏までです。検察内部で従前から稲田総長の後任と目されてきた林真琴・名古屋高検検事長は1957年7月生まれなので、63歳を迎えようとするこの夏までのタイミングで“禅譲”が行われるはずだったのです。
しかし、安倍政権が政権ベッタリの黒川氏を総長に据えようと、稲田総長に退任をいくら迫っても総長がどうしても首を縦に振らなかったことから、黒川氏が63歳の定年を迎える2月8日を前に、定年延長制に基づき定年延長を決めたというわけです。しかし、検察官は定年延長制の対象外とした1981年の政府見解があると指摘されると、安倍政権は法解釈を変更したと強弁。変更の経緯が文書で残っていないと追及されると、口頭で決裁したと釈明し、ついには脱法措置を正当化させるかのように定年延長制度を盛り込んだ検察庁法改正案を国会に提出したのです」
結局、安倍総理は5月18日、自民党の二階幹事長と会談し、改正案の今国会での可決・成立を事実上見送る方針で一致した。「週刊文春」が黒川氏の緊急事態宣言下での賭けマージャンについて同17日に黒川氏を直撃したことに加え、俳優の西田敏行さんや歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんら著名人を含めインターネット上に批判の声があふれたことが大きかった。それでなくとも「アベノマスク」など新型コロナウイルスへのまずい対応で支持率が落ちていることに危機感を強めていた。そして、「週刊文春」がスクープ速報で同20日、賭けマージャンを報じたことで、黒川氏は辞任の意志を固め、同21日に辞表を提出したという顛末だ。
「『花の35期』と呼ばれた司法修習35期の黒川、林の両氏について、当初から2人が検事総長の有力候補としてシノギを削っていたといった報道が一部でありますが、それは事実ではありません。確かに35期にはほかにも、東京地検特捜部長を務めた佐久間達哉弁護士、特捜部の副部長を務め、一時は代議士も務めた若狭勝弁護士、特捜部経験がありテレビのコメンテーターなどもしている郷原信郎弁護士らタレントぞろいです。ですが、当初同期のトップと目されていた人物はほかにいました。
ただ、若くして病になり、その後、35期は法務官僚畑の『赤レンガ派』は林氏、特捜部畑の『捜査現場派』は佐久間氏と言われるようになりました。黒川氏も若い頃は特捜部で四大証券利益供与事件などの捜査に関わりましたが、ぱっとはせず、法務官僚畑の道を進むことになりました。林氏が稲田氏の後任として法務省の人事を差配する人事課長に就任した2008年1月の異動で、黒川氏は秘書課長から官房審議官に就任しています。『すでに検事総長コースに乗っていた稲田氏の後継者は林氏』という規定路線はこの時点で鮮明となっており、黒川さんが後塵を拝している印象は拭えませんでした。
ただ、この頃から黒川氏の“特異”な感性が発揮されるようになってゆきました。政治家の扱いがとてもうまいのです。法務大臣の秘書業務を担う秘書課長としては、第1次安倍内閣改造内閣で鳩山邦夫法相に、次の福田内閣でも鳩山法相に仕えました。鳩山氏は法務省が死刑執行を公表するようになって以降、当時最多となる13人の死刑執行を法相として命令してますが、その執行に先鞭をつけたのが黒川氏です。鳩山氏は法相時代に『友人の友人がアルカイダ』と問題発言をしていたため、黒川氏は陰で『猛獣使い』などと呼ばれていたのです。そのことは自民党政権内部でもよく知られていたはずです」(同前)
ただ、黒川氏の本領が発揮され始めたのは、民主党政権下だったと言われている。別の法務・検察関係者が解説する。
「政務を担う官房審議官として黒川氏は、言葉は悪いですが千葉景子法相を完全に“手なずける”ことに成功したのです。黒川氏は千葉法相の歓心を買うべく努め、厚い信頼を得ました。その証左が、アムネスティ議員連盟の事務局長を務めるなど人権派の弁護士として知られた千葉法相が、2人の死刑執行の命令書にサインをしたという事実です。また、黒川氏は2010年8月に松山地検検事正へ転出しましたが、なんと2カ月後の10月に法務省官房付として本省に戻されています。
これは実は、大阪地検特捜部による証拠改竄事件に絡んで設置された検察の在り方検討会議の座長に、法相を退任したばかりの千葉氏が指名されたことを受けて、検討会議の事務局は黒川氏に任せたいと千葉氏たっての希望があったからなのです。ようするに黒川氏は、類い希なる『政治家たらし』なのです。それが現在の安倍政権内でも、いかんなく発揮されてきたということなのです」
「週刊文春」の2016年1月28日号がスクープした、当時の甘利明経済再生担当相と公設秘書が建設業者から口利きの見返りに現金を受け取りながら政治資金収支報告書に記載していなかった問題では、甘利氏の大臣辞任後にあっせん利得処罰法違反容疑で2人は東京地検特捜部に刑事告発されたが、不起訴となるなど、黒川氏の“暗躍”が噂された「政治とカネ」の疑惑も少なくない。
「あっせん利得処罰法はもともと適用しづらい法体系になっているので、暗躍はあくまでも噂でしょう。ただ、安倍官邸が2016年に林氏の前に割り込ませる形で黒川氏を事務次官に据え、さらに黒川氏を次官に留任させるために林氏を名古屋高検検事長に追いやったのは、政治家案件で行われる検察首脳会議に出席できる事務次官に黒川氏を留まらせ、森友学園と加計学園をめぐる問題で重しとなることを期待したからだと思います。捜査を止めることはできませんが、次官ポストに安倍官邸の“代理人”がいることで現場にはプレッシャーとなるうえに、官邸側としても黒川氏を通じて検察側の思惑を知ることができるからです。黒川氏はその役割を十分に果たしたのです」(同前)
検察ナンバー2のポストは安倍政権が最も窮地に立たされたモリカケ問題を無事乗り切ることができたことへの論功行賞というわけだ。だが、安倍政権に新たな疑惑が発覚する。桜を見る会の問題だ。そしてこの問題は昨年末の国会閉会段階でも収束せず、越年となったことで、今年2月8日に黒川氏を定年退官させるわけにはいかなくなってしまったというわけである。
「そもそも、検察権力と政治権力のあるべき距離感が分かっていないという点で、安倍政権は民主党政権とよく似ています。検察人事に手を突っ込み、検察庁法まで改正しようとした安倍政権は、法相が検事総長に捜査の是非について指示することができると検察庁法で規定している『指揮権』の発動は、聖域ではなく、発動すべきものだと主張した民主党政権と変わりません。
歴史上唯一、法相に指揮権を発動させて逮捕を免れた佐藤栄作を大叔父に持つ安倍総理が検察権力を恐れ、コントロールしたがるのは、民主党政権の実力者だった小沢一郎氏が田中角栄と金丸信という2人の『オヤジ』を検察によって逮捕され、自身も陸山会事件で窮地に立たされたことから、検察を目の敵にしていたことと重なります。安倍総理は民主党政権を悪夢と評していますが、実は似たもの同士なのです」(同前)
東京地検特捜部でロッキード事件を手掛けた吉永祐介氏は検事総長時代の1995年7月、次期総長と目されていた根來泰周・東京高検検事長(当時)が政界に近すぎることを嫌い、総長ポストを譲らずに根來氏を63歳で定年退官させている。この定年年齢の“ラグ”は、このように検察権力と政治権力の距離感を維持することにも寄与してきた歴史的背景もあるのだ。
「ロッキード事件で逮捕された田中角栄さんは、逮捕後も『今太閤』などと呼ばれ、キングメーカーとして政権の中枢で影響力を発揮していました。検察を恐れた角栄さんは田中派の政治家や『隠れ田中派』と呼ばれた自分の息がかかった他派閥の政治家を歴代法相に据えて、検察を牽制していましたが、それ以上のことは一切しませんでした。検察権力と政治権力のあるべき距離感を熟知していたからです。そういった意味でも安倍政権は未成熟で幼稚だと言えるのではないでしょうか」(同前)
検察とは「治安の両輪の関係にある」と言われる警察の最高幹部に以前、黒川氏の人物評を聞いてみたことがあるが、「能吏だと思うが、彼には正義がない」と言っていたのを思い出す。黒川問題の本質とは、正義を体現すべき検察官としての自覚に乏しく、犯罪である賭けマージャンに興じる奇異な官僚と、未熟な政権が組み合わさったことで起きた悲喜劇だったということではなかろうか。
(文春オンライン2020年05月26日)
法務・検察関係者が語る。
「検察庁法では検事総長を除く検察官の定年を63歳、総長を65歳と規定していますが、現在の稲田伸夫総長は1956年8月生まれのため、最長で来年8月まで今のポストにいられる計算になります。ただ、総長在任は2年間が相場のため、この夏までです。検察内部で従前から稲田総長の後任と目されてきた林真琴・名古屋高検検事長は1957年7月生まれなので、63歳を迎えようとするこの夏までのタイミングで“禅譲”が行われるはずだったのです。
しかし、安倍政権が政権ベッタリの黒川氏を総長に据えようと、稲田総長に退任をいくら迫っても総長がどうしても首を縦に振らなかったことから、黒川氏が63歳の定年を迎える2月8日を前に、定年延長制に基づき定年延長を決めたというわけです。しかし、検察官は定年延長制の対象外とした1981年の政府見解があると指摘されると、安倍政権は法解釈を変更したと強弁。変更の経緯が文書で残っていないと追及されると、口頭で決裁したと釈明し、ついには脱法措置を正当化させるかのように定年延長制度を盛り込んだ検察庁法改正案を国会に提出したのです」
結局、安倍総理は5月18日、自民党の二階幹事長と会談し、改正案の今国会での可決・成立を事実上見送る方針で一致した。「週刊文春」が黒川氏の緊急事態宣言下での賭けマージャンについて同17日に黒川氏を直撃したことに加え、俳優の西田敏行さんや歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんら著名人を含めインターネット上に批判の声があふれたことが大きかった。それでなくとも「アベノマスク」など新型コロナウイルスへのまずい対応で支持率が落ちていることに危機感を強めていた。そして、「週刊文春」がスクープ速報で同20日、賭けマージャンを報じたことで、黒川氏は辞任の意志を固め、同21日に辞表を提出したという顛末だ。
「『花の35期』と呼ばれた司法修習35期の黒川、林の両氏について、当初から2人が検事総長の有力候補としてシノギを削っていたといった報道が一部でありますが、それは事実ではありません。確かに35期にはほかにも、東京地検特捜部長を務めた佐久間達哉弁護士、特捜部の副部長を務め、一時は代議士も務めた若狭勝弁護士、特捜部経験がありテレビのコメンテーターなどもしている郷原信郎弁護士らタレントぞろいです。ですが、当初同期のトップと目されていた人物はほかにいました。
ただ、若くして病になり、その後、35期は法務官僚畑の『赤レンガ派』は林氏、特捜部畑の『捜査現場派』は佐久間氏と言われるようになりました。黒川氏も若い頃は特捜部で四大証券利益供与事件などの捜査に関わりましたが、ぱっとはせず、法務官僚畑の道を進むことになりました。林氏が稲田氏の後任として法務省の人事を差配する人事課長に就任した2008年1月の異動で、黒川氏は秘書課長から官房審議官に就任しています。『すでに検事総長コースに乗っていた稲田氏の後継者は林氏』という規定路線はこの時点で鮮明となっており、黒川さんが後塵を拝している印象は拭えませんでした。
ただ、この頃から黒川氏の“特異”な感性が発揮されるようになってゆきました。政治家の扱いがとてもうまいのです。法務大臣の秘書業務を担う秘書課長としては、第1次安倍内閣改造内閣で鳩山邦夫法相に、次の福田内閣でも鳩山法相に仕えました。鳩山氏は法務省が死刑執行を公表するようになって以降、当時最多となる13人の死刑執行を法相として命令してますが、その執行に先鞭をつけたのが黒川氏です。鳩山氏は法相時代に『友人の友人がアルカイダ』と問題発言をしていたため、黒川氏は陰で『猛獣使い』などと呼ばれていたのです。そのことは自民党政権内部でもよく知られていたはずです」(同前)
ただ、黒川氏の本領が発揮され始めたのは、民主党政権下だったと言われている。別の法務・検察関係者が解説する。
「政務を担う官房審議官として黒川氏は、言葉は悪いですが千葉景子法相を完全に“手なずける”ことに成功したのです。黒川氏は千葉法相の歓心を買うべく努め、厚い信頼を得ました。その証左が、アムネスティ議員連盟の事務局長を務めるなど人権派の弁護士として知られた千葉法相が、2人の死刑執行の命令書にサインをしたという事実です。また、黒川氏は2010年8月に松山地検検事正へ転出しましたが、なんと2カ月後の10月に法務省官房付として本省に戻されています。
これは実は、大阪地検特捜部による証拠改竄事件に絡んで設置された検察の在り方検討会議の座長に、法相を退任したばかりの千葉氏が指名されたことを受けて、検討会議の事務局は黒川氏に任せたいと千葉氏たっての希望があったからなのです。ようするに黒川氏は、類い希なる『政治家たらし』なのです。それが現在の安倍政権内でも、いかんなく発揮されてきたということなのです」
「週刊文春」の2016年1月28日号がスクープした、当時の甘利明経済再生担当相と公設秘書が建設業者から口利きの見返りに現金を受け取りながら政治資金収支報告書に記載していなかった問題では、甘利氏の大臣辞任後にあっせん利得処罰法違反容疑で2人は東京地検特捜部に刑事告発されたが、不起訴となるなど、黒川氏の“暗躍”が噂された「政治とカネ」の疑惑も少なくない。
「あっせん利得処罰法はもともと適用しづらい法体系になっているので、暗躍はあくまでも噂でしょう。ただ、安倍官邸が2016年に林氏の前に割り込ませる形で黒川氏を事務次官に据え、さらに黒川氏を次官に留任させるために林氏を名古屋高検検事長に追いやったのは、政治家案件で行われる検察首脳会議に出席できる事務次官に黒川氏を留まらせ、森友学園と加計学園をめぐる問題で重しとなることを期待したからだと思います。捜査を止めることはできませんが、次官ポストに安倍官邸の“代理人”がいることで現場にはプレッシャーとなるうえに、官邸側としても黒川氏を通じて検察側の思惑を知ることができるからです。黒川氏はその役割を十分に果たしたのです」(同前)
検察ナンバー2のポストは安倍政権が最も窮地に立たされたモリカケ問題を無事乗り切ることができたことへの論功行賞というわけだ。だが、安倍政権に新たな疑惑が発覚する。桜を見る会の問題だ。そしてこの問題は昨年末の国会閉会段階でも収束せず、越年となったことで、今年2月8日に黒川氏を定年退官させるわけにはいかなくなってしまったというわけである。
「そもそも、検察権力と政治権力のあるべき距離感が分かっていないという点で、安倍政権は民主党政権とよく似ています。検察人事に手を突っ込み、検察庁法まで改正しようとした安倍政権は、法相が検事総長に捜査の是非について指示することができると検察庁法で規定している『指揮権』の発動は、聖域ではなく、発動すべきものだと主張した民主党政権と変わりません。
歴史上唯一、法相に指揮権を発動させて逮捕を免れた佐藤栄作を大叔父に持つ安倍総理が検察権力を恐れ、コントロールしたがるのは、民主党政権の実力者だった小沢一郎氏が田中角栄と金丸信という2人の『オヤジ』を検察によって逮捕され、自身も陸山会事件で窮地に立たされたことから、検察を目の敵にしていたことと重なります。安倍総理は民主党政権を悪夢と評していますが、実は似たもの同士なのです」(同前)
東京地検特捜部でロッキード事件を手掛けた吉永祐介氏は検事総長時代の1995年7月、次期総長と目されていた根來泰周・東京高検検事長(当時)が政界に近すぎることを嫌い、総長ポストを譲らずに根來氏を63歳で定年退官させている。この定年年齢の“ラグ”は、このように検察権力と政治権力の距離感を維持することにも寄与してきた歴史的背景もあるのだ。
「ロッキード事件で逮捕された田中角栄さんは、逮捕後も『今太閤』などと呼ばれ、キングメーカーとして政権の中枢で影響力を発揮していました。検察を恐れた角栄さんは田中派の政治家や『隠れ田中派』と呼ばれた自分の息がかかった他派閥の政治家を歴代法相に据えて、検察を牽制していましたが、それ以上のことは一切しませんでした。検察権力と政治権力のあるべき距離感を熟知していたからです。そういった意味でも安倍政権は未成熟で幼稚だと言えるのではないでしょうか」(同前)
検察とは「治安の両輪の関係にある」と言われる警察の最高幹部に以前、黒川氏の人物評を聞いてみたことがあるが、「能吏だと思うが、彼には正義がない」と言っていたのを思い出す。黒川問題の本質とは、正義を体現すべき検察官としての自覚に乏しく、犯罪である賭けマージャンに興じる奇異な官僚と、未熟な政権が組み合わさったことで起きた悲喜劇だったということではなかろうか。
(文春オンライン2020年05月26日)
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