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拷問の家

2021年10月22日 | 社会

ナイジェリアの「拷問の家」から500人を救出、

被害者が虐待語る


ナイジェリアの北部カドゥナで、「拷問の家」と呼ばれる場所から500人近くの男性や少年が救出された。警察の強制捜査によって救出された被害者は、拷問の家での生活は「地獄の業火の中で暮らすようだった」と語った。 

 

イサ・イブラヒムさん(29)はBBCの取材で、「祈っていれば殴られた。勉強していても殴られた」と話した。

約500人の被害者は、イスラム教の学校や更正施設として使われていた場所から救出された。

警察によると、拷問の家では人間が奴隷として扱われ、多くの人が鎖でつながれた状態で発見されたという。

また、一部の被害者は拷問や性的虐待を受けていた。

現場を訪れたBBCのイシャク・ハリド記者は、他の似たような施設でも同様の虐待が行われているのではないかとの懸念があると説明する。

イスラム教徒の多いこの地域では、多くの家庭が子どもを学校に入れる余裕がなく、代わりに監督不十分なこうした施設に送っている現状があるという。


施設の入り口に掲げられた看板には、アフマド・ビン・ハンバル・イスラム教センターと書かれているが、若い男性を対象にした更正施設としても使われていた。

ロイター通信によると、カドゥナ州警察のヤクブ・サボ報道官は、被害者の「人間性を奪うような扱い」は、イスラム教の学校では考えられないものだと話した。この施設は学校や更正施設として登録されていなかったが、子供の親に費用を請求していたという。

立ち入り捜査の結果、従業員を含む7人が逮捕された。ナイジェリア政府は、イスラム教の聖典コーランを教えるとうたっているほかの施設も調査するとしている。

ナイジェリア北部では、コーラン教育を掲げる学校における虐待報告が相次いでいる。中には、生徒に強制的に道端で物乞いをさせているという事例もある。

イブラヒムさんは2週間前、両親によってこの施設に送られた。「しつけ」が目的だったとされる。

警察の捜査が入る前日には、この場所から逃げ出そうとしていたという。

イブラヒムさんは古い発電機に鎖でつながれていたほか、手を縛られ、天井から吊るされた状態で放置される「タルキラ」という非常に残虐な虐待を受けていた。

「たくさんけがをした。ほとんど全身にけがをした。たとえ寝ていても、杖を使って起こされた」

イブラヒムさんは食事を取り上げられ、食べ物にはコメが与えられただけだった。施設に閉じ込められている人たちは、「動く元気を全部失っていた」という。

この施設は数年間、稼動していたと考えられており、救出された中には5歳の子どももいた。被害者の多くはナイジェリア北部出身だったが、隣国ブルキナファソ出身者も2人いた。

被害者は救出された後、カドゥナのキャンプにかくまわれた。未成年の被害者はここで家族と再会した。

保護者の中には、施設に預けた子どもと会わせてもらえなかったという人もいる。

とある家族は、「この学校でこうしたことが起きていると知っていたら、子どもたちを入れはしなかった。人間として成長してもらいたくて入れたのに、ひどい扱いを受けていた」と語った。

カドゥナ州政府は、州全土でコーラン学校の点検を行うとしている。

カドゥナ州の人的サービス・社会開発長官を務めるハフサット・ババ氏は、「我々の目を開かせる事件だ」と説明。都市部でこのような虐待が起きているなら、農村地域がどうなっているか分からないと付け加えた。

「全ての学校の場所を把握し、政府命令に違反しているなら完全に閉鎖しなくてはならない」

「子どもを拷問したり、今回目にしたような悲惨な状態の施設を見つけた場合は、訴追する」

ナイジェリアのムハンマド・ブハリ大統領も、衝撃的な虐待を非難する声明を発表した。

その上で、各地の宗教的・伝統的指導者に対し、当局と協力して「我々の地域社会で長い間見過ごされてきたあらゆる虐待を明らかにし、食い止める」よう求めた。


ピンク色の壁の2階建ての建物は、高い外壁と有刺鉄線に囲まれ、刑務所のような構造をしてている。人目を引く造りの門があり、10以上の部屋には小さな窓と通気孔がついている。

私がこの施設を訪ると、現場には強制捜査の後に残されたらしい品々が転がっていた。マットレスやバケツ、服、本などの家庭用品だ。

カドゥナ州警察のサボ報道官によると、警察の捜査が入ったとき、閉じ込められていた人の大半は鎖でつながれていた。私も鎖が転がっているのを見つけた。被害者が鎖でくくりつけられていたとみられる車のホイールやガソリンを使う発電機もあった。

近隣の住民は、混乱していた。このショッキングな発見を信じられないと語る人もいた。

この地域の伝統的なコーラン学校とは違い、この学校の「生徒」たちは街へ出て物乞いをすることはなかった。また、強制労働に駆り出されることもなかった。被害者の中には数年間、外の世界を見ていないと話す人もいた。

ここでは問題行動とみなされる振る舞いをただすという目的で、拷問がしつけの手段として行われていた。




(2019年9月30日 BBC NEWS JAPAN)
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