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さて、本題に入ります。
ルーチョ・フォンタナ(ルチオ・フォンターナ,Lucio Fontana, 1899 - 1968)というイタリアの美術家、彫刻家、画家をご存知ですか?彼のことを知らない方も、もしかしたらキャンバスを切り裂いた作品の画像をご覧になったことがあるのかもしれません。
「国立近代美術館」公式サイト『空間概念 期待』フォンターナ、 ルーチョ(1961)
https://www.momat.go.jp/collection/o01144
私はある事情から、この美術家について少し調べてみました。そうすると、手ごろな画集や評論、伝記などの本がなくて、私自身もほとんどフォンタナさんについて知らないことに気が付きました。
そこでとりあえず、この美術家について知る手がかりを見つけたので、それを皆さんと共有するところから始めたいと思います。
手始めにこの作家に関する情報としては、つぎの『美術手帖』の記事がコンパクトでわかりやすいと思います。
ルーチョ・フォンタナは1899年アルゼンチン生まれのイタリア人画家・彫刻家。建築を学んだ後、ミラノのブレラ美術学校で彫刻を習得。初期には主に陶芸による作品を制作する。1935年にパリの抽象美術のグループ「アプストラクシオン・クレアシオン」に参加。同グループには、ピート・モンドリアン、ワシリー・カンディンスキー、岡本太郎らが集まった。第二次世界大戦が勃発し、ブエノスアイレスに滞在。46年、教鞭を執っていたアルタミラ・アカデミーの仲間や生徒たちと「白の宣言」を起草し、既存の絵画や彫刻を超えて新時代に見合う芸術が必要であることを説く。
戦後はミラノに帰還。47年に「空間主義」を宣言する。49年よりキャンバスに穴を開ける絵画の制作を開始し、51年からはネオン・ライトやブラック・ライトを天井につるすなどした実験的な作品を発表。絵画や彫刻の既存の枠組みを超え、科学の発展とともにある芸術を唱える。代表作の「空間概念」シリーズは、空間とは何かを考察し、キャンバスに穴を開け、ナイフで切り裂き、時に小石やガラスといった伝統的な絵画では画材とならないものを使用。作家の行為の痕跡を見せるとともにキャンバスの奥行きに迫り、絵画の二次元性に縛られない、より開かれた表現を追求する。66年にヴェネチア・ビエンナーレ絵画部門で大賞を受賞。フォンタナの試みはイタリアの「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」をはじめ、戦後美術に大きな影響を与えている。68年没。
https://bijutsutecho.com/artists/1313
(「美術手帖」公式サイト 「ルーチョ・フォンタナ」)
この記事を読むとわかるように、フォンタナさんの代表作である「空間概念」シリーズが制作されたのは1949年からですから、彼が50歳の時だということになります。フォンタナさんは69歳で亡くなっていますから、私たちの知っているフォンタナさんは、晩年になってからのフォンタナさんだということになります。彼の芸術家としてのキャリアは彫刻家として始められ、それもちゃんとした伝統的な彫刻の技術を身につけていたのでした。それが抽象的な作品に発展し、ライトを使った空間構成なども作品化するようになり、やがて新たな空間の概念を創出するためにキャンバスに穴をあけるようになったのです。
キャンバスを切り裂いた作品しか知らないと、フォンタナさんのことを単なるひらめきのアーティストのように思ってしまいますが、実はイタリアの伝統的な彫刻と新しい芸術の概念が共存する複雑な内面を持つ芸術家だということがわかります。アルゼンチンとイタリアを行き来して、二つの国で教鞭をとったり、表現活動をしていたことも意外でした。
そんなフォンタナさんについて、日本でも優れた研究をしている方を二人ほど見つけました。(イタリアには、たくさんいるようですけど・・・)先ほども書いたように、手ごろな画集や本がない状況ですから、この方たちの研究は貴重です。お二人を紹介するとともに、その資料も共有したいと思います。
一人は谷藤史彦(たにふじ ふみひこ、1955 - )さんという研究者です。
この方は著名な美術館の要職(下瀬美術館副館長?)に就かれているようです。そして谷藤さんは、『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』(2016)という、かなり厚くてしっかりとした本を書かれています。これは手軽な本とは言えませんが、フォンタナさんばかりでなく、同時代のイタリア美術についても詳しく書かれていて参考になります。
この本の紹介として出版社の公式サイトよりも、「美術手帖」の記事の方が詳しくてわかりやすいようですのでリンクを載せておきます。
【今月の1冊】同時代のイタリア美術から、フォンタナを読み解く
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s7/380
そしてこの本の要約ですが、実は次のサイト(京都大学の関係のようです)から読むことができます。ぜひ参照して、興味があるようなら『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』の本も手に取ってみてください。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/193554/1/gninr00039.pdf
さて、イタリア20世紀美術というと、私たちはデ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888 - 1978)さんの形而上絵画や、独自の静物画を描いたモランディ(Giorgio Morandi, 1890 - 1964)さんが頭に浮かびます。ジャコモ・バッラ(Giacomo Balla, 1871 - 1958)さんらの「未来派」の動向も同じころのことでした。
そして、その後の世代のフォンタナさん、アルベルト・ブッリ(Alberto Burri, 1915 - 1995)さん、ピエロ・マンゾーニ(Piero Manzoni, 1933 - 1963)さん、それに続くアルテ・ポーヴェラの作家たちが思い出されます。さらにポストモダニズムの時代に登場したエンツォ・クッキ(Enzo Cucchi, 1950 - )さんやフランチェスコ・クレメンテ(Francesco Clemente, 1952 - )さんなどが、今後どのように評価されていくのか・・・、というところでしょうか。(もうすでに彼らも大家として認められているのだと思いますが、私の評価は保留です。クレメンテさんの作品は、ちょっと面白いかもしれません。)
その評価はともかく、たぶん、多くの方が私のように知識としては断片的で、デ・キリコさんやモランディさんをのぞけば、イタリア美術の個々の作家について詳しくはわからない、というのが正直なところではないでしょうか。
それがこの本では、フォンタナさんの若い頃から晩年までが論じられていて、併せて同時代の動向やフォンタナさんからアルテ・ポーヴェラの作家たちへと続く流れなどが書かれています。これまでのイタリア美術に関する断片的な知識の一部が埋め合わせされたように感じました。そして日本におけるフォンタナさんの芸術の受容についても書かれていますが、アルゼンチンとイタリアを行き来して活躍したフォンタナさんを正しく認識しないままに論じた評論家もいたようで、日本の美術評論の薄ら寒い状況も浮き彫りになっていました。
それからもう一人、巖谷睦月 (いわや むつき)さんという研究者がいます。この方は東北学院大学の准教授をされている方のようです。年齢はわかりませんが、学歴を見ると私よりも20歳ぐらい若い方かもしれません。これからさらに大きな仕事をされることと思います。
その巖谷さんの論文を、ダウンロードして読むことができますが、例えば次の東京芸大のサイトから「本文1」をダウンロードすると、フォンタナさんに関する論文を読むことができます。
ルーチョ・フォンターナの空間主義 : 1946年から1958年までを中心に
https://geidai.repo.nii.ac.jp/records/414
このように、インターネットの時代になって、私が学生のころには読むことのできなかったはずのものが読めるようになりました。もっとも、これらの論文はその頃にはまだ書かれていませんでしたが、それはそれとして、現在の学生さんたちは勉強のし甲斐がありますね。これで外国語を読むことができれば、さらに世界が広がるのでしょうが、私にはもうその可能性はありません。翻訳ソフトでも活用して・・・、という前に、今のところはこれらの日本語の文献だけでも読み切れない状況です。今回も斜め読み程度で話を進めていきますので、ご容赦ください。
さて、そのフォンタナさんの作品に注目していきたいのですが、彼のキャリアの長さはわかったものの、やはり晩年の「空間概念」シリーズを見ていきたいと思います。
フォンタナさんは、なぜキャンバスに穴をあけたり、切り裂いたりしたのでしょうか。このシリーズの作品を見たときに、誰もがそのような疑問を抱くことと思います。
私のこれまでの解釈では、アメリカの現代美術が評論家のクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)さんの主導によって絵画の平面性を追求したのに対し、フォンタナさんはその平面を切り裂くことで、「絵画」という概念を転覆させようとしたのではないか、ということです。あるいは『空間概念-神の終末』という作品のように穴がたくさん穿たれて、物質性が露になった作品を見ると、「絵画」の概念を転覆させると同時に、その物質性を顕在化しようとしたのではないか、というふうに解釈しました。
しかし、実はフォンタナさんのねらいは、もっと壮大なものでした。
フォンタナさんは20世紀の美術がそれまでの表現様式を超えて、その物質性を強調していったのに対し、さらにその物質性を超えた新しい空間概念を追求したのでした。そのときにフォンタナさんが考え出したのが「無」という概念です。フォンタナさんがキャンバスを切り裂いて穿った「穴」は空虚な「無」を表現したものであり、その「無」は「無限の空間性」へとつながるというのです。さらにフォンタナさんによれば、「無」が無限性へとつながるものであるならば、「神は無であり、かつすべてである」ということになり、フォンタナさんが穿った「穴」は「神」を表現するものになるのです。それは「神」を表現する唯一の手段、いわばそれは最後の方法ということになるのでしょう。だから最晩年の「空間概念」シリーズは、「神の終末」と名づけられたのです。
かなり論理の飛躍が見られますね。
谷藤さんは、フォンタナさんの言葉を引用しつつ、次のように説明します。
(評論家の)クリスポルティは、「穴」そのものを、無限の、宇宙的な次元を開くものとしているが、それはあくまでも物理的な記号、あるいは青写真の一種であると述べている。「穴」や「切り裂き」は、画面上の画像の領域の拡大したもの、その制作行為は、「エネルギーと物質の間、行為の主体と客体の間」における関係の象徴でもあるという観点も示している。
これに対して、フォンタナはあくまでもその「穴」における無限性を強調する。
宇宙におけるアインシュタインの発見は、終わりのない無限の次元である。ならば、一次元、二次元、三次元と(・・・)これらの次元の更に向こうに行くために私のすべきことは何か?何のことはない、(・・・)「私は穴をあけ、それを突き抜けて無限を通過し、光を突き抜ける、したがって描く必要がなかった」というだけだ。
次元を突き抜ける「穴」の無限性を、アインシュタインになぞらえ、「終わりのない無限の次元」としてとらえていく。そこには、物質的なものを越える、「物質の死」があり、さらには「無」の考え方に結びついていくものがあると思われる。
<中略>
穴や切り裂きが「無」の表現であることは、「自然」シリーズを発表するパリでの個展について書いたフォンタナのヴェルヘイエンへの手紙で明確に述べる。
私はパガーニ画廊で彫刻展を開催し、とても愛着のある、切り裂きと穴のテラコッタの球体の一群を展示するだろう。それらは、無であり、すべての原初である。
フォンタナは穴や切り裂きが、「無」(il nulla)であり、「すべての原初」(il principio di tutto)であると強調する。フォンタナの考える「無」というのは、まったく何もないという絶対無ではなく、万有の根源としての「無」を意味している。別のところでは「創造の無」(un niente creazone)とも述べる。
<中略>
フォンタナは、絵画において試みてきた「切り裂き」や「穴」の表現が最終的には「無の哲学」に裏付けられた「創造の無」であったと強調する。「穴」や「切り裂き」とは、「無」の考え方のあらわれであり、絵画を越えた次元への「解放」であったというのである。さらに「『神の終末』シリーズをご存じですか。ここにある穴は常に無を表しています、そう思いませんか。神とは無であり、これが私の考え方です」とも述べる。
『神の終末』シリーズとは、1963、64年頃の絵画シリーズで、楕円形のカンヴァスに大小の穴を無数に空けた作品である。ここにおいて、「穴」=「無」という考え方の究極を示したと強調する。さらにフォンタナは、次のように述べる。
<中略>
そして私は「神を信じる」と言った。そして皆は来て「これはどういう意味だ」と言った。(・・・)「信仰の行為、私ができる唯一の身振りがこれである。神を信じることである」と私は言った。(・・・)したがって、神は無であるが、彼はすべてである。違いますか?
これはフォンタナがその晩年のインタビューにおいて応えていた言葉である。「神は無であり、かつすべてである」という考え方がフォンタナの晩年に達した到達点であるとした、その表現が、晩年に描かれた『神の終末』シリーズであった。
(『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』「第2章 革新性の問題」谷藤史彦)
谷藤さんは、このように当時の評論とフォンタナさんの言葉をていねいに追いかけながら、晩年のフォンタナさんの到達点に迫ります。そのときにフォンタナさんが考えていたことは、現在の私たちから見ると、いささか突飛な印象を受けます。
フォンタナさんは、自分が表現した作品の「穴」は「無」であると言います。そしてその「無」は何もないことを表す「無」ではなくて「原初」のもの、あるいは「無限」のものを表していると言うのです。「無」が「無限」であるなら、それは「神」であり、それが「神」ならば、それは「すべて」でもあるわけです。
一応、話の筋は通っているようですが、それにしてもキャンバスの穴が「神」であり、「無限」である、と言われても、正直に言って困ってしまいます。このフォンタナさんの考え方には、20世紀半ばまでのモダニズムの高揚感と、イタリアの伝統とが複雑に絡み合っているような気がします。前にもふれたように、フォンタナさんという芸術家の中には、伝統的な芸術に根ざしていたフォンタナさんと、モダニズムの先鋭的な表現を突き進むフォンタナさんと、言わば二つの傾向があるようです。その二つの関係をどのように解釈するのかが、この芸術家を論じるうえでは問題となるのです。
この点について、先ほど紹介したもう一人の研究者、巖谷さんが、その論文の中でとても興味深いことを書いています。
次の引用をお読みください。
この作家の研究においては、まず、空間主義宣言以前の作品と空間主義者としてのフォンターナの仕事の間に、通底するものを求めるかという大きな問題が存在する。
これについては、バッロの1970年のモノグラフィーをとりあげた際にも書いたとおり、フォンターナの逝去直後にはむしろ、それを求めないという見解が多かったと考えられる。近い時代でも、この立場からフォンターナを語る研究者にはブルーノ・コーラやサラ・ホワイトフィールドなどがいるものの、現代の研究においてそれはむしろ少数派である。対して後者の、初期と空間主義以降の作品制作に通底するものを求める側には、カリエーリ、バッロ、クリスポルティ、タピエなどフォンターナの研究の中心的な批評家・研究者が多い。
この問題について筆者は、後者の考え方を支持しており、フォンターナの「空間主義的なるもの」の萌芽はすでに1930年代に見られると考えている。
(『ルーチョ・フォンターナの空間主義 -1946年から1958年までを中心にー』「1章 ルーチョ・フォンターナの経歴と評価史」巖谷睦月)
私は一人の作家がいろいろな表現をしても構わないと考えますが、その表現がどのように違って見えても、どこかで通底するものがあるのだろう、と考えます。ですから、私からすると巖谷さんのように「後者の考え方を支持」するのが当たり前のように感じます。
そして伝統的な芸術表現をしっかりと身につけたフォンタナさんにとっては、彫刻作品のボリューム感の表現であったり、絵画におけるキャンバスという支持体であったり、ということの重要性は自明のことだったろう、と私は思います。それゆえにフォンタナさんはキャンバスに穴を穿ったのであり、それがどれほど美術表現にとって衝撃的なことであったのかもわかっていたのではないか、と思うのです。だからこそ、私たちは現在でもフォンタナさんの作品に感銘を受けるのです。
この点について、巖谷さんは論文の最後に的確なことを書いているので、引用しておきます。これ以上、書き足すことがないくらい素晴らしい文章です。
ここで心に留めておくべきは、それがカンヴァスという伝統的な絵画の支持体を用いておこなわれたという事実であろう。フォンターナは第二次世界大戦後のイタリアの前衛芸術の旗手でありながら、過去の芸術を放棄することも、破壊することも決して望まなかった。未来派の芸術を1950年代において最もアクチュアルだと考えることそれ自体、過去の芸術を破壊し、放棄しようとする未来派の精神とは対極にあるといえる。
過去の芸術の支持体を前に「別の手」と「別の眼」をもってそれにとりくむことでフォンターナは新たな表現に到達した。何かを破壊したり、超克したりして新しいものにたどり着くのではなく、これまでにない視点からものを見ることで、隠されていた真実にたどり着こうとする姿勢こそが、「空間主義」の基本的なあり方である。カンヴァスの裏側に500年ものあいだ隠されていた真実、隠されていた「Spazio=空間」に彼はたどり着いたのだ。
フォンターナの創造した切り口はさらに、鑑賞者の視線を吸い込み、そして跳ね返すことによって、鑑賞者に自らの存在する「空間」そのもの・・・つまり「空間の概念」を認識させる装置としても働くようになる。フォンターナはついに、鑑賞者が「空間」そのものに「別の眼」をもってふれるための装置を創りだしてしまった。
ここにおいてフォンターナはついに、この世のあらゆる空間、宇宙すらそのなかに含む”spazio”そのものを自らの主題とすることに成功したのだ。ルーチョ・フォンターナという芸術家が1958年にたどりついた『空間概念』シリーズ、『空間概念 期待』は、空間主義芸術の最高到達点であるといえる。
(『ルーチョ・フォンターナの空間主義 -1946年から1958年までを中心にー』「結文」巖谷睦月)
いかがでしょうか?
これ以上、何も書くことはないのですが、せっかく今回、フォンタナさんの芸術について論じ、その素晴らしい研究成果も手に入れたので、次回、あらためてこの巖谷さんの結論から考えられることを書いてみたいと思います。
出来れば、前回のマルクス・ガブリエルさんの「考覚」という概念を応用できれば・・・、と思います。まだ根拠はないのですが、巖谷さんの結論と「考覚」とは、何かつながるものがあるような気がするのです。
うまくいくかどうかわかりませんが、とりあえずご期待ください。