泰山の山仲間達★ブログ版

周南山の会別館です。
平成2年結成以来22年となります。
日頃のご愛顧に感謝!感謝!、誠にありがとうございます。

sumann寄稿<韓国の山>そのⅢ

2008-05-11 19:35:03 | 山登り
「錦山」
 閑麗海上国立公園に指定されている三南(忠清南道、全羅南道、慶尚南道)第一の名山。
あらゆる伝説を盛り込んだ38景の奇岩怪石は金剛山を抜いたのと同じだ。とにかく小金剛或いは南海金剛と呼ばれる。普光山で太祖李成柱が長い間修道した結果、王位に着くや有難さの印として緋段の「錦」の字を使い名前を錦山と代え呼ぶようになった。

 二日目は錦山と菩提庵だ。朝からからっと晴れ上がった。バスで錦山登山口に到着し8時出発。少し行くと錦山探訪支援センターと横に水場がある。道は石の階段状に積まれていて歩きにくい。そのうち木製の丸太の階段に変わるが、再び石の階段になる。結局最後まで階段状の道が続くことになる。やがて自然保護地域に入り途中木製のりっぱな階段が現れ頂上まで0.7KM、登山口まで1.6KMの標柱が現れる。さらに急な上りを進むと雙虹門と呼ばれる大きな穴が二つ開いた洞窟が行く手正面に見えてきた。穴を取り囲む岩の形が二重の虹のようだとし名付けられたものである。向かってすぐ左手には四仙岩という立石と将軍岩が聳えている。この頃になると日差しも明るくなり遠くに目を向けると南海の海に浮かぶ島々や二つの海水浴場が絵を見るように飛び込んでくる。道は雙虹門の左から入り洞窟の中で右側の穴を通過して上っていく。分岐を右に取り菩提庵に着いた。登山口から1時間20分所要。実はこの山は反対側からは車道が延びていて菩提庵のすぐ横に駐車状があり、錦山山頂まで10分で登れる。その為スニーカやサンダルを履いた観光客が大勢山頂まで来ていた。錦山の山頂は南部の見晴らしの良い山として熢燧臺が設置されている。昔の通信手段で主には外敵からの侵入を知らせるのに使われたようで、敵の侵攻の程度によって煙を上げたり、火を炊いたりする回数を変えたそうである。
 山頂部は細長く広がっておりいろいろに命名された岩を見ながら一時間強で一周できる。
錦山頂上からは想思岩、座禅臺、帝釈峰、日月峰とまわったが岩のそれぞれに錦山38景の番号が付されている。
 下山後、バスで弥助に移動し昼食に刺身センターでフェードッパブを注文した。これも初めて食べるものだったがたっぷりの季節の野菜に刺身にごはんを入れた後酢唐辛子味噌で混ぜて食べる。それに一人前のメウンタンがついてこのボリュームでW10,000は安いし美味しくお腹いっぱいになった。弥助湾では不定期に遊覧船が就航していて待合所で30分位待っていたら、たちまち大勢の観光客が集まり1時間半の遊覧に出かけた。近くの島々や原始漁法、謂れのある松の話やいろいろと名前がついた岩の説明を船長の名調子で盛り上げてくれた。

sumann寄稿<韓国の山>そのⅡ

2008-05-11 19:33:10 | 山登り
5月3日から5月5日は韓国も土日と5日の子供の日で三連休であった。朝9時半発の高速船に乗り釜山の国際ターミナルから地下鉄で移動し、沙上の釜山西部バスターミナルに着いた。ターミナルは故郷に帰省する家族連れやカップルで賑わっていた。南海行きのバスが来るまでには50人位の列ができ、列の後ろに並んでいた人は15時発のバスには乗れなかった程の混み様だった。バスはターミナルを出発後高速道路に乗ったがレジャーを楽しむ多くのマイカーで渋滞し、通常2時間10分の予定が3時間半もかかり南海邑に到着した。
 南海のバスターミナルからは町の中心街が見えており歩いて町の方に行きチャンス荘旅館に宿をとった。1日W25,000-、温い湯しか出ないがまあいいか。なんとか我慢しよう。
 翌日南海十二景の第一景の錦山と菩提庵を除いた第二景~第十二景を見ることにした。宿の近くの食堂でコムタンを食べた後、流しのタクシーを止めて価格交渉し時間あたりW15,000-で契約成立。まず李忠武公戦没遺墟に向かった。ここは1952年から始まった壬申の乱(壬申倭乱)の終結地であり1598年11月に小西行長軍と島津義弘軍が攻め入り、露梁沖の海域で戦闘が繰り広げられた所であり、日本軍は入り江に逃げ込んだところで撃退された。風光明媚で穏やかな海だが400年前の死闘の跡が案内板に記してあった。
 次に南海島の入り口になる南海大橋と忠烈祠を見学した。忠烈祠は歴史上国のために大きな貢献をした人を祭る祠で李忠武公が祀ってある。周りには刺身屋や土産屋が林立し歴史的雰囲気が損なわれている。
 南海邑方向に戻る途中から山に入り花芳寺に参詣した。釈迦誕生日が近く花提灯の飾りつけの最中であった。大雄殿の奥には建立中の大薬師如来像が鎮座している。この寺は望雲山の登山口にもなっており山岳会の印を貼り付けた多くのハイカーが押し寄せていた。
 花芳寺を出て西側の海岸を走る。南海地方はどこからでも海が臨めドライブコースとしても楽しめるところだ。加川邑には雄雌岩と呼ばれる陰陽石と狭い土地を階段状に整備した棚田の風景で有名だ。片田舎と思いきやツアーのバスを立ち寄る名所になっていて、見晴らしのいいところにはペンションが建ったりして土地の価格も何年か前の数倍にもあがっているらしい。
 加川で12時になり一軒の食堂でムルフェという魚となまこ等に千切りにした野菜を混ぜ酢唐辛子味噌で味付けし氷で冷たくしたものを初めて食べた。さっぱりしておいしい。
 食事後、虎丘山龍門寺に参詣した。ここは立派な四天王が迎えてくれた。この寺も壬申の乱の時、僧兵達の基地になった寺で護国寺院を示す文化財がある。
 さらに西浦・金萬重先生遺墟を訪ねた。この遺墟は櫓島という小さな島にあり、お客が集り次第小船が行き来きしている。タクシーの運ちゃんが船頭に頼んでくれて一人で船を出してくれた。この島は金萬重が島流しにされ流刑文学が発祥した地で彼が住んでいた草屋と墓が淋しく残っている。
 タクシーは島の南端部にさしかかり海水浴場が見えてきた。尚州海水浴場と松亭海水浴場が続いて現れる。弓形をした松林が形成され遠浅の海で夏は家族連れで大いに賑わうところだ。
 タクシーは東に海を臨む海岸に来ていた。景色のよい勿彌海岸道路を走り、台風や塩害から村を守っている勿巾防潮漁富林を見学し、島北端の昌善橋まで来た。この海峡は魚影が濃くクヌギの木片をV字形に並べ潮の満ち引きを利用して魚と捕らえる原始漁業が行われていて、潮の干満に合わせて一日二回の掬い上げるそうだ。
 さらに昌善橋を渡り昌善島の北端と泗川市を連結する昌善・三千浦大橋を見て一日目の
行程を終えた。南海邑に向かう途中から小雨が降り出した。雨具は持ってきていないし明日の山行きがどうなるやら心配だ。

そのⅢに続く・・・

sumann寄稿<韓国の山>そのⅠ

2008-05-11 19:31:59 | 山登り
南海十二景探訪
錦山・・・701m   慶尚南道南海郡尚州面
2008年5月3日~5月6日

 韓国は三方を海に囲まれていて‘海’の文字を含んだ都市が海岸線に点在している。東
北部から東海、平海と下りさらに南部に回ると金海、鎭海と続き、南海と全羅道の海南に
至る。
 今回の旅は東に統営や巨済島を望み、西は手が届きそうに近接した全羅道の麗水がある
半島と小さな島々の間に位置する南海である。巨済から麗水にかけては閑麗海上国立公園
に指定されていて海金剛と呼ばれる巨済島の奇岩怪石や多くの優れた海水浴場で有名であ
り、400年の歳月を遡れば壬辰の乱の激戦地としても知られている。李朝朝鮮は約50
0年続いたのであるが、壬辰の乱で祖国に勝利をもたらした海軍の李舜臣将軍はこの地域
だけでなく全国的に今でも韓国の英雄と崇められている。
 南海郡は南海島と昌善島の大きく二つの島からなり一邑と九面での行政区域で構成され
ている。それらは南海島にある南海邑、雪川面、古縣面、西面、南面、ニ東面、三東面、
尚州面、弥助面と昌善島全体がひとつの面である昌善面である。これらの島々には南海十
ニ景という景勝地が散在しているが、これらは単に景色が秀抜というだけでなく、歴史的、
文化的な価値の高いものであり景色と南海の地方文化を訪ねるのに最適で有意義な場所と
して今回訪問した。
 それでは南海十二景の位置と名称を挙げ、ひとつずつ味わって見て行くことにしよう。
 第一景  錦山と菩提庵(尚州面)
 第ニ景  南海大橋と忠烈祠(雪川面)
第三景  尚州海水浴場(尚州面)
第四景  昌善橋と原始漁業竹建網漁(昌善面、三東面)
第五景  李忠武公戦没遺墟(雪川面)
第六景  加川雌雄岩と南面海岸
第七景  西浦・金萬重先生遺墟(雪川面)
第八景  松亭海水浴場(雪川面)
第九景  望雲寺と花芳寺(西面)
第十景  勿巾防潮漁富林と勿彌海岸道路(三東面)
第十一景 虎丘山と龍門寺(ニ東面)
第十二景 昌善・三千浦大橋(昌善面)

なお、「海」の漢字が含まれる東海沿岸から南部海域の行政地域を詳しく調査すると下記の通りであり、意外と「海」の字がついた地域が多い。
盈徳郡 寧海面
迎日郡 東海面
善山郡 海平面
蔚珍郡 平海面
固城郡 東海面
南海郡 南海面
金海市
鎭海市
昇州郡 海龍面
海南郡 海南面
務安郡 海際面、押海面
咸平郡 海保面
高敞郡 海里面
そのⅡに続く・・・