俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年遠足・・・
見た目が悪い母さんの弁当を友達に見られるのが嫌で
とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当は いらない!!」 と言ってしまった!
母さんはそんな馬鹿な俺に、「うまく作れなくて ごめんね」としか言わなかった・・・・。
時は過ぎ・・・
小・中は給食だったのだが高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、いきなり母さんが弁当を作ると言い出し作ってくれたのだ。
そしてその出来上がった弁当は、昔、遠足の時に作ってくれたものとは味も見た目もよくなっていた。
不自由な手で一生懸命作ってくれたのだ!
と、思ったのもつかの間・・・
肺炎で入院したかと思うとぽっくりと逝ってしまったのだ。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが
どうやら母さんは、俺のために定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、俺はその定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニューのハンバーグ・・・
その定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん・・・
ぼろぼろと涙がとめどなくとめどなくこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれたあのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかったあのハンバーグの味。
もう・・・
食べれない・・・・・
お わ り
大切なものは失くしてから解る
親が元気なうちは親孝行しないとですね(ρ_;)
私もひとついい話をします。
池ちゃんデビュー29周年おめでとうございます\(^ー^)/
お久し!!
来年は30周年と40周年だよ
お互い頑張るぞ~~~
と、メールしたよ
何かやらねば