母の乳ガン闘病見舞いから始まった、毎年一回の帰郷は、これが最後になります。
毎回、今年も来れたという安堵感。何やらのやり繰りでどうにかなった時間とお金。
小さな旅、実家に帰って母の作ってくれた
カレーライス、弟と二人で食べた。折角帰ったと言うのに、毎日親父の自転車を借りて、隣町まで行ったり来たり。昼には、隣町のスーパーで買った、菓子パンと、ヨーグルトをお土産に帰ったり。
母が最後に、一番穏やかに過ごした時間
は多分、赤い大きなソファーでうたた寝
をしているときだったのかな。足元に
二匹の茶毛の親子猫。いつの間にか、ウチも大きな石油ストーブになってた。
親父は、相変わらず風呂上がりの、シャツ
姿。焼酎をチビリチビリやってた。
最後は、病気で苦しんでなくなったけれども。今、またあの時間の中へ戻れる事を
僕は願ってる。戦争が始まるまで、樺太
で看護婦さんになる夢を持ってた母さんに
僕は人目あいたかったな。勉強すきで、「家の光」を熟読していたあなたは、きっとたくましいナースになって活躍したなって思います。
また、北海道来ます。