人が走っているのが此れほど人を魅了するのか・・・日陰で身を切るような寒さの中、年輩の人々が長い時間声援を送っていました。
人と人の触れ合いに飢えているのか、この場の雰囲気がそうさせるのか何処で見ていても小母さんが話しかけてくる、小母さんは後から来たのに図々しく前に前にと割り込んでくる{皆さん1時間前から待っているのに}そんな事お構いなし。
交通渋滞・陸の孤島地帯ができる等の問題はあるが、多くの人が楽しんだ事は間違いなく良いイベントだと思いました。
スタート9時から折り返し地点の浅草に先頭が付いたのが10時過ぎ、地元小学生の可愛らしいブラスバンドが始まって間も無く、車イスの先頭集団が「あっ!」というまに行き過ぎました。
浅草芸者は年輩の人が多いと言われていますが、今回応援に馳せ参じた御姐さんは成ってから2・3年と若い人が笛や太鼓で東京マラソンを周りを盛上げた、
金龍の舞もイベントを盛上げます。
ヘルメットおじさん
ボランティアで手伝いに来ているのか老後の楽しみか警備の警察官の間にいた小父さん、ヘルメットに救急サポート?と書かれている。この小父さんカメラを持っていてマラソンランナーが来ると振り向いて写真を撮り始めた、この場所は横断歩道で「立ち止まる事は出来ません歩いて下さい」と注意される場所だった。
警察官も気が付いて「小父さん、この格好で警備するのは良いのですが写真は困りますね」と・・・小父さん苦笑いをしていたが立ち去る事もしないでその場に立ちすくしていた。
ヘルメットと、それらしき証明書を首からかけて赤い棒を持っている用意周到の見物人では?、謎が深まるばかりの小父さんでした。
建国記念を祝う
「神武建国」の表現を削除し「天皇陛下萬歳三唱」と止めて「日本国萬歳」と改めるようにと政府からの申し込みがあり、その案は呑めないと昭和63年以降に民間主催の「奉祝を祝う会」と政府後援の「国民式典」と2つに分裂したみたいです、「国民式典」は平成18年に主催者の高齢化を理由に取りやめられた。
日の丸や君が代の強制は軍国主義に結びつくので「紀元節復活反対」と唱える護憲派の市民団体の集会もあったと聞きます。
天皇陛下は日本の象徴でもあり世界平和や日本の外交・災害時の心の支え等一番御活躍しているので尊敬しています。
敬い尊敬する事は当たり前ですがイデオロギー的に祭り上げては決していけない。
国民の祝日なのに政府が主催する式典がないのもおかしいし、マスコミも取り上げていないような気がする、日本人として建国を祝い御即位20年目に入る天皇陛下のお祝いもしたいと思います。
澄み切った青空の下で「奉祝パレード」は居木神社宮司の森田先生が音頭をとり行なわれました。
青山通りから表参道を抜けて明治神宮まで、大学のブラスバンドを先頭に勇壮な神輿と山車が続きます。
居木神社の城南神輿と明治神宮に奉納された各地の酒樽{中味は入っていません}。桐若の皆さんお疲れ様でした。
関東近県から8基の神輿(3基万灯神輿)と2台の山車 が参加しました。
肩車をされた子供の手から日の丸の旗が落ちました、沿道で見ていた女性が自分の荷物を放り出し素早く拾い子供に手渡した、何気無い事だが何か嬉しくなる場面です。
帰りは山ちゃん・豊さん・のぶちゃんと青山通りにある「伊豆栄」で反省会{昨年に続き2度目・・・}その後2次会は大崎の「日本海」で居木会と桐若会の皆さんと合流して盛り上がりました。楽しい酒だが飲みすぎた・・・・・
昨日三ツ星の頭と中山競馬場金杯に勝負に行きました。
その後浅草に戻り一杯飲んでいる時に「明日は出初式だから早く帰るよ」と話していた。最近は平日に行なわれるていたので中々観る事が出来ませんでしたが、本日は日曜日なので久し振りに見ることが出来ました。
時間が判らずに早めに浅草寺に着いて参拝客で賑う境内を見学しながら時間を潰しました、昔は鳶の頭と的屋と博徒等の付合いがあった時代を思わせる暖簾が掛かった出店が多くあった、先代・先々代三ツ星の頭も仲間と送ったのか纏が入った懐かしい暖簾が掛かっていた。
粋でいなせな鳶頭による梯子乗り
雲一つない青空に向かい若い頭が梯子の上で妙技を披露します、周りにいた観客からは「凄い格好がいい」と声援が送られていた。雷門堤燈にシルエットが・・・・・。
雷門
浅草寺
雷門で梯子乗りを待っていると近くにいた車屋さんとお客の会話
山龍金と雷門に表札が掛かっています、お客が「こんりゅうざんと読むんですか?」「いいえ・きんりゅうざんとよむんですよ私も最初は判らなく左から読んでしまい・さんりゅうきんと説明していました」と近くに居た人達からも笑いが漏れていました皆もただで説明を聞いていたんだ(笑)
浅草二の酉
ちょっいと早い忘年会を会社の仲間と浅草とんかつ「はせ川」で行ないました。
「はせ川」は休だったのですが、忘年会をするんだったら開けるよとマスターが言ってくれた。午後から浅草に向い競馬をしながら時間を潰してから向いました5時からの開始です、最初は2・3人の予定が花火で呼んだ仲間も誘おうと思い、声をかけたら後2人増え5人で盛り上がりました。
小寒の今日は寒くて凍えるような1日だったのでマスターが気を利かせて{よせ鍋}を用意してくれました。寒い日は鍋に限るな・・〆はうどんすき、こしが有り美味かった。
19時半近くになり、ウォーカーさん・あかねさんも向っているかなと思い仲間も誘い店を出ました。酉の市が始めての伊藤さんとのぶちゃんは熊手を売る店と露店の多さに「驚いた凄いね気に入ったね、今度は家族を連れてくるよ」と大感激をしていました、それだけで浅草生まれの私は連れてきて良かったと嬉しくなりました。
ウォーカーさん・あかねさん・ブログで知合った仲間が会って酒を酌み交わすとは夢にも思っていませんでした、それが現実となるとは・・・良い仲間が出来て嬉しく思います。私の仲間も喜んでいました、ありがとうございました。
これかも宜しくお願いしますね。
ウォーカーさん・あかねさん・お疲れ様でした。
私は小川夫婦、山口宮司、竹若のぶちゃん、浩志君と御酉様に向かいましたが混んでいたので、観音裏の{おきゃん}で一杯飲んでから行くことにしました。
携帯でプログを覘くとウォーカーさん・あかねさんが8時に待合わせをすることを知り時計を見ると7時30分を周っていた、私も行かなければと仲間を残し席を外しました、急いで「あ○○あ旅館」に向かいましたが間に合わなかったみたいです(8時5分から30分待っていました)、あ○○あのバザーをひやかしコーヒーを頼んで椅子に座らせて貰おうかとも思いましたが、図々しいので遠慮して立っていました。(笑)・・・・・・・あ~疲れた。
友人の小川君が会社用にと付き合いのある吉田さんで熊手を買いました。
店の若女将京子さんとは久し振りでお会いしましたが相変わらず半纏が似合う綺麗な人だ、0時からの売り声と手締めで声がかすれていましたが私達の為に手締めをしてくれました{小川家が買った熊手に・・・・}頑張っているな~!
橘 右之吉さん{写真手前の方}が熊手に貼る札に字を入れてくれます(これだけでも値打ち物)ウォーカーさんの写真の2番です。
雷と雨の中待合わせのマ○○マホテル、外国人が多く泊まるグローバルなホテルです。脇道に逸れて人通りも少なくなるで酉の市での待合わせにうってつけです。
コメントは後程・・・・・・!
康夫君が数珠を作り氷川神社山口宮司が心を込めて御祓いしてくれた一つを、兄の豊彦さんから頂きました。
白い玉には私の干支の龍が彫られている縁起が良いものです。この数珠を左手にはめて1週間・・・効きました3年前から左肩から背中に掛けて違和感があったのですが和らぎました、その話しをクリスチャンの妻に話すと「あなたは単純だからね」・・・・娘が{とうちゃん信じる者は救われるだよね}と慰めてくれましたが、人類には解明されていない不思議な力が絶対にあると信じている私にとっては有難い贈り物になりました。
家内円満・商売繁盛・健康成就・・・・何故か交通安全はお祈りから外れているみたいです?(笑)交通事故には気を付けなければ・・・。
五反田氷川神社
残念な事に氷川神社では販売していません、個人で作った物を山口宮司に御祓いをして頂いたのです、悪しからず・・・。
午前中はうす曇で肌寒かったが、午後からは雲もなくなり絶好の行楽日和になりました。私は風邪気味で絶不調でしたが見たくて浅草まで出かけました。
いつも思うのだがどうして、この時代祭りは見物人を大事にしないのか?12時30分にスタートとパンフレットに書いてあるので観客は12時前から場所を確保して待っています、私もスタート近くの三社神社の前で待っていたのですがいつまで経ってもパレードが来ません、役人や地元のお偉方の挨拶が多く長い為にスタートが遅れるらしい・・・・?地方から来た小父さんがも怒っています「いつまで待っても来ないじゃないか、運営をする者の段取りが悪いよ」ご夫婦で見に来た奥様は「もう帰りましょうよ疲れたわ」旦那様「ここまで待ったのだからもう少し待とうよ」と周りは不満の声の洪水です。
1時半30分頃にやっと先頭の金竜の舞が来たが、その後が続かない・・・・その後30分経って行列が始まりました。
行列が始まると当時の情緒を今に伝えて江戸文化の絵巻物が蘇えりました。
金龍の舞
観音像が祀られたその三日後に天より金鱗の龍が舞い降りたと伝えられています、金龍山浅草寺の山号はその故事にちなんだものです。
白鷺の舞
「浅草寺慶安縁起絵巻」の祭礼行列の中にある「鷺舞」の姿を浅草観光連盟が昭和43年に東京百年の記念行事ととして復興した。「鷺舞」の神事は京都・八坂神社の祇園祭りが起源で千百年以上の前から悪疫退散の為に奉納伝承された。
江戸鳶
待ってました私がお目当ての江戸消防記念会の行列です、若い人が梯子乗りをしていましたが、安心して見る事が出来る上手さで感心しました。若い町娘が惚れるのも当たり前か・・・・。
今日は七五三で浅草神社も賑っていました、可愛らしい娘さんを父親がズボンの折り目も気にしないで一生懸命に写真を撮っていました。
私にも娘が二人います20年前にここで同じ様に写真を撮ったことを思い出し目頭が熱くなりました。歳かな~!
上野の病院に母が入院をしたのでお見舞いに行った時に合羽橋で道具祭りをやっているよと教えてくれました。
小雨が降る蒸し暑い日で雨のためスケジュールが一部中止になったみたいですが、多くの人で賑っていました。ニイミから言問い通りまで歩行者天国、この広い通りを通行止めにするとは意気込みを感じた。
合羽橋道具街の名物男です、お喋りは天下一品、優しさと人の良さは誰にも負けません!他称立川志の介では無く、横川しの介こと三木商店・横地の兄貴です。
サンプル商品驚くほどの出来栄えです美味そう・・・!以前は一軒だけのサンプル屋、今は4・5件に増えていたのには驚いた。外国の人も多くお土産で買っていくそうです。
中国のお店も3件ぐらいに増えています、中国人が日本にも増えている事です、浅草・神田界隈にも中国料理店が多いのにもうなずける。昼は田原町の萬里楼でした。
私が好きな小物屋、ランドセルや小物のキーホルダーなどが多くある可愛らしい店です。
合羽橋道具街は景気が悪くなった時に潰れた店も何件か有ったが、最近は新しい喫茶店も増え休憩できるし、小洒落たお店も多くなり魅力のある商店街になりつつある。