SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

裏切られた青年の姿

2004-10-29 12:45:15 | 太宰
どうだね、君も一緒に蟹田へ行かないか、と昔の私ならば、気軽に言へたのでもあらうが、私も流石にとしをとつて少しは遠慮といふ事を覚えて来たせゐか、それとも、いや、気持のややこしい説明はよさう。つまり、お互ひ、大人になつたのであらう。

大人といふものは侘しいものだ。愛し合つてゐても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだらう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、といふ発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。

私は黙つて歩いてゐた。突然、T君のはうから言ひ出した。
「私は、あした蟹田へ行きます。あしたの朝、一番のバスで行きます。Nさんの家で逢ひませう。」
「病院のはうは?」
「あしたは日曜です。」
「なあんだ、さうか。早く言へばいいのに。」
 私たちには、まだ、たわいない少年の部分も残つてゐた。

『津軽』


長い引用ですが、ここまで引用にないと、この文のいいところが見えてこないので・・・。
これは太宰さんの故郷、津軽の旅行記です。
大抵は、改行部の所だけ挙げられて、大人の侘しさだけがクローズアップされるのですが、ここでの「オチ」まで読まないと、太宰さんの本領はわからないと思います。
「大人って・・・」なんて言っていじけながらも、
「なあんだ、まだまだ子供ぢゃん」
と反転させる太宰さんのバランス感覚。
かわいい。
太宰さん、この時36歳。




如是我聞 3

2004-10-29 12:19:58 | 太宰
彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、

なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしい

『如是我聞』


ここでの「キリスト」を「太宰」に変えるてみると、そのまま現代の

太宰評になると思う。

最近は、そうでもないのかも知れないけれど、

「ああ、太宰ね。あれは、青春のハシカだよ」

という、安易な切り捨てに「大人」のつまらない虚栄をみる。

いいものは、いいと言えばいいじゃないか。

世評を気にして、「若い頃は、読みましたよね」なんて・・・。

太宰=暗い

という図式にも・・・。

ま、いいか。

太宰さんの昂ぶりにおされて、ちょっと興奮してしまいましたわ。