昭和15年の太宰のエッセイ「自信の無さ」
同じ朝日新聞の文芸時評で現代の新人について、しかも太宰の作品を例
に挙げて、
「今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついている」
と指摘されたことの反論として掲載されたようです。
反論といってもこの頃の太宰さんはもう30になり少し大人になってな
す。かつて川端康成に「刺す」と言った無頼さ加減は影を潜めています。
「けれども私たちは、自信を持つことが出来ません。どうしたのでしょ
う。私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りま
せん。ひそかに読書もしている筈であります。けれども、努力と共に、
いよいよ自信が無くなります。」
実際、太宰は再婚をし、つつましい「小市民生活」をし、この年「走れ
メロス」「駈込み訴え」「春の盗賊」などの中期の傑作を生み出してま
す。そんな太宰はこう、この文を結びます。
「今は大過渡期だと思います。私たちは、当分、自信の無さから、のが
れる事は出来ません。・・・私たちはこの「自信の無さ」を大事にした
いと思います。卑屈の克服で無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前
例のない見事な花の咲くことを、私は祈念しています。」
文化という言葉にハニカミとルビを振る太宰のこの感覚を私は受け継ぎ
たいと思う。
克服でなしに、肯定から。
これが大事なんじゃないか。
弱いところは直さなきゃ、と思うのが普通。
でも、それは、それでいいじゃん、と言ってしまう。
そして、前例のない花を咲かせようとする理想を抱く。
甘い、と言えばそれまで、でも、この態度で臨むのが自分にとって、
「真っ当」だと思う。