![]() | ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄河出書房新社このアイテムの詳細を見る |
エヴァンスは今でこそジャズジャイアンツの一人の数えられているジャズマンだが、当時は意外に売れなかったようだ。あの「ワルツフォーデビー」の録音された時、バンガードには数人の客しかいなかったらしい。(勿論、故意に客の少ない日曜を選んだという理由もあるのだが)
ピアノ(トリオ)自体軽んじられていたし、ましてや白人のジャズなどまだ認められていなかった。邪道、と考えられていたのだろう。
その後も60年代は『自己との対話』や『アローン』でグラミー賞をとり栄誉は与えられても、「売れっ子」にはなれなかった。
エヴァンス自身も「売れる」為に様々なことを試みた。エレピを弾いたり、オーケストラと共演したり。そしてその収入はドラッグに当てられていたというのは痛々しい事実だ。
結局本当に売れたのは死後、というのも悲しい。
エヴァンスは本国アメリカでは評価が低く、ヨーロッパと日本で熱狂的に受け入れられた。あの『モントルーフェスティバルのビルエヴァンス』での盛りあがりは「mad」という言葉を使うほどだったという。
これを読んでいて思ったのは、あれほど、死後リリースされているにも関わらず、まだまだ未発表の音源はたくさんあるということだ。
エヴァンスが許可しなかったもの、契約の関係でお蔵入りになったもの。
正規に発売されたものこそ、エヴァンスの考える美に近づけるのだとは思いつつ、「新発見」「発掘」モノに弱い、そして、そういう音源は須らく聴くに耐えない代物だったりする。私と同い年のエヴァンスの実息は自宅での練習テープや10代のエヴァンスの音源を出してくる。彼はそれを使命だと思ってくれているのか、どうか・・・。
また、太宰を引き合いに出すけれど、太宰さんの作品を読みこむことをせず、書簡集や彼の友人や親族の回想記を読んで太宰はこんなヤツだったんだ、と得意げな笑みを漏らしている姿と同じだ。美しいとは言えない。
でもそれを踏まえつつ、また作品に戻り、彼らの「思い」を汲み取りたい。
というのが、私の、「いいわけ」。