「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

北の七沢温泉=昆布温泉 特定??(akio)

2009-11-13 22:31:43 | 仲間たちから多喜二への手紙
私も一口・昆布温泉 (akio)
2009-11-13 22:27:48

こんばんは♪
「福元館」の最新記事を開きました。私も一口応援します。(遠く離れてなかなか行くことは出来ませんが、一度は、と思っています。)

 多喜二は、1930年2月(選挙前で又検束があると考え、札幌・地方に隠匿(逃げます)

 (1930年2月。「工場細胞」を執筆していた頃です。):昆布温泉に逗留していることが先学者で知られていますが。旅館名がはっきりしていませんでした。
 当時(1930年2月)、昆布温泉(宿泊・女中常勤)には2軒しか在りませんでした。     

① 北大のスキー部の合宿・皇室(1928・3)が宿泊(秩父宮殿下)=現在廃業している。

② 1930年小樽の経済人によって再建・小樽 高商スキー部合宿・現在も湯船は当時(1930年)のままである。(管理人)
 
※ 過去の「村史」・「新聞記事」を検証したところ。多喜二が逗留した「温泉旅館」が特定出来る段階になりました。いずれ「北の七沢温泉=昆布温泉」に招待できる  かな???   akio
  

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