「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

母が語る 多喜二の歩み (2011/7/15 朝日新聞)

2011-07-20 23:28:49 | 「党生活者」論 序曲

母が語る 多喜二の歩み 書庫で見つかる

2011年07月15日

 プロレタリア作家小林多喜二(1903~33)の母セキ(1873~1961)から聞き書きした原稿が、小樽商大の荻野富士夫教授=日本近代史=によって小樽文学館の書庫で見つかった。多喜二の生い立ちなどが記されており、「母の語る小林多喜二」(新日本出版社、1470円)として出版された。

■埋もれた聞き書き 本に
■小樽文学館の書庫で見つかる

 セキについては、作家三浦綾子の小説「母」で知られ、秋田弁でとつとつと話す姿は演劇にもなった。

 荻野教授が聞き書きの存在に気付いたのは、小樽商大の歴史を調べる中で、戦後に創刊された学術雑誌に目を通していた時。札幌市の出版社の「母の語る小林多喜二」という本の発刊予告広告を見つけた。しかし、予告と符合する文章は多喜二の全集にも収録されておらず、出版されなかった可能性が高いという。

 聞き書きをしたのは、小樽市朝里地区に住んでいた郷土史家小林廣氏(1895~1955)。多喜二の死後、近所に引っ越してきたセキと親しくなり、46年2月ごろに聞き取りをしたらしい。小林氏の死後、同氏の資料は小樽市総合博物館や小樽文学館に寄贈された。聞き書き原稿は一般向けに展示されず、文学館の書庫に保存されていた。

 荻野教授によると、聞き書きからは、セキの実家のパン店はまずまず繁盛し、3人の子どもを上級学校へ進学させたことや、セキが小樽の龍徳寺に頼み、多喜二に「物学荘厳信士」という戒名をもらったことなどが分かったという。

 荻野教授は「多喜二の母の証言というだけでなく、当時の庶民の女性の個人史でもある。三浦綾子が書いたセキと違う姿も随所に見える」と話している。

 本についての問い合わせは新日本出版社(03・3423・8402)へ。

(三木一哉)


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