「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

毒ガス戦の視角からとらえた「党生活者」の世界 〈目次〉

2014-12-29 18:17:51 | 「党生活者」論 序曲

第一部        舞台-倉田工業の虚と実

1地下鉄サリン事件が呼び出したもの

2 党生活者が描いた「倉田工業」

3「倉田工業」を蔵原惟人はどう受けとめたか

4 「党生活者」のモデル工場についての証言、検証・研究の歩み

5 毒ガス戦のなかの「藤倉工業」

6 「党生活者」の舞台、「藤倉工業」の現在

 

第二部          時代 上海事変

1「党生活者」のモチーフ

2党生活者・小林多喜二

3最初の結実

4反帝同盟、台湾「霧社事件」と毒ガス戦 

5もう一つの「党生活者」物語

第三部     多喜二「党生活者」は何を描いたか 

1〈文学〉が〈戦争〉を描く意味―多喜二「党生活者」と旧日本軍の生物化学戦準備

2〈あらすじ〉

3〈生活〉

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・蔵原惟人「生活組織としての芸術と無産階級」が提起した課題

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4〈党〉

5〈群像〉

6「党生活者」に描かれた、毒ガス戦準備と闘う反戦労働者たち

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7 工場を描くー工場細胞

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●登場人物

太田

佐々木

伊藤

須山

下宿のおばちゃん

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●前衛を描く 山本懸藏 渡辺政之輔

「東倶知安行」、「一九二八・三・一五」、「工場細胞」・「オルグ」、「暴風警戒報」

(1)「三・一五」 登場人物モデルと喪われた末尾の原稿

 登場人物のモデルとなった人々について、ノートには以下の通り記されている。

「小川龍吉―古川友一。渡―渡辺利右衛門。鈴本―鈴木。阪西―大西、斎藤―鮒田、高橋、石田―X(理想的な人物に伊藤信二)、佐多―寺田行雄」なお、「理想的な人物に」は「渡―渡辺」とも線で結ばれているという。

 特に、龍吉のモデルである古川と、佐多のモデルである寺田とは多喜二は深く関係していた。

 また、多喜二の原稿ではタイトルは「一九二八・三・一五」となっているが、『戦旗』の編集者・立野信之が「一九二八年三月十五日」と改題し、以降そのままになっているほか、「付記」を削除して発表され、その部分の原稿は喪われた。ただし、原稿帳にその下書きが残されていたので全集解題には採録されている。

 蔵原惟人は「プロレタリア文芸の画期的作品―小林多喜二の「一九二八年三月十五日」」都新聞 (1928.12.17)で、「本年度に現れた創作の中で最も注目に値するものの一つとして私は小林多喜二の小説「一九二八年三月十五日」を挙げる。

と絶賛。献呈を受けた志賀直哉も、1931年(昭和6)8月7日付返書で「一つの事件の色々な人の場合をよく集め、よく書いてあると思います」と評価した。

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●女性活動家たち ローザ

●宮本百合子「乳房」―タミノの形象の背景にあるもの―激浪のなかを生きた"をんな"たち

ふじ子

第四部          方法

1 志賀直哉 リアリズム

2 葉山嘉樹

3黒島伝治

4 ゴリキー

5ショーロホフ 静かなるドン

6一週間

蔵原惟人「プロレタリア・レアリズムへの道」「一九三〇年の第2回大会で、作家同盟は『文学のボルシェビキ化』を決議した。そして『前衛の目をもって書く』ことを目標としてやって来た。

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●多喜二「蟹工船」ルポ・モンタージュ的手法

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三一年七月、多喜二は無署名で「『政治的明確性』の把握の問題に寄せて」という論文を『プロレタリア文学』(第1巻9号)に掲載した。

       鹿地亘

●ソ連における社会主義リアリズムの提唱

 1932年4月、ソ連で共産党中央委員会によってプロレトクリト、ラップその他の文化団体は解散を命じられ、同時に「社会主義建設に参加しようとする意向をもつすべての作家を単一なソヴェート作家同盟に統一する」ことが要求された。社会主義リアリズムは、「唯物弁証法的創作方法」という作家の世界観がすなわち創作方法であるとし、作品が形骸化していたラップに対する批判として、「創作上の創意を発揮する可能性、および形式・スタイル・ジャンルの多様な選択の可能性を完全に保証する」芸術の方法として提起

●〈私〉とは

●多喜二の長編作について触れた宮本顕治の二つの言葉 

●宮本顕治「小林多喜二の回想」(『前衛』1947/5)

=「『党生活者』を書いたころ、小林はトルストイの『戦争と平和』を読んでいたことが知られている。」

「世界文学の高い峰からみて”綴り方“程度であっては駄目だ。私たちはそう言って、日本のプロレタリア文学のなかからも、世界文学の頂につらなるようなものを生まなくてはと語り合った。」「新しい時代の『戦争と平和」は、困難な時代の課題に直面して、良心的に発展的にそれを乗り越えて力闘する生活の地盤から生まれるものでなくてはならなかった。」

 ●手塚英孝が多喜二の長編について触れた文章は、多喜二の大きなトランク」( 『新人会』no.3 1972)に=かれはこうした生活のなかで、長編「転形期の人々」の続稿を考え、「党生活者」時代の大きな長編を考えていました。

 は、ということとイコールの意味ではない。

1932年の時間を1931年満州事変という戦時下での生活擁護、反戦・革命の国際主義の活動とそれをめぐる弾圧と分裂・敗北主義との闘争ということになるのだろうかと思う。

 ●宮本顕治「一つの感想」(『多喜二と百合子』 1961/3)=「このごろ感じている問題の一つだが、小林多喜二や宮本百合子がすぐれた文学者であったが、同時に彼らが日本共産党員であった意義について、すくなくとも日本共産党はもっとふかく考えふかめる必要がある。(略)小林多喜二も宮本百合子も共産党中央委員会の有力なはたらき手であった。小林多喜二は地下にあった日本共産党の働き手として文学運動だけではなく、芸術・文化全体の指導的な活動家であった。宮本百合子は再建まもない党の中央委員候補であり、第六回党大会では健康上などの事情から辞退したが、党の統制委員に推された。少なくとも日本共産党は、この二人の文学者の生活のこうした側面に新しく深い注意を向ける必要がある。(略)彼らが日本共産党員として生き死んだ意義をも重視して明らかにすることが、過去と未来にたいする新しい責任であると考える。」

宮本顕治は、 といいながらも、せいぜい芸術・文化分野の活動家としているだけだ。ところが貴司山治が編集した戦前のナウカ版『多喜二全集』の略歴では、赤旗の編集委員となっているし、反帝同盟執行委員であり、共産青年同盟員でもあるとしている。

第五部          戦争観

 ・日本近代文学と戦争―「十五年戦争」期の文学を通じて」をテーマとしたシンポジウムが二〇一〇年十一月、愛知県立大学で開催された。この論文集『日本近代文学と戦争』(三弥井書店 二〇一二)が今春に刊行され、ノーマ・フィールド(米国・シカゴ大学教授)の「「党生活者」はなにを訴えてきたのだろうか」が収録された▼ノーマは、島村輝「「党生活者」序論」(『「文学」としての小林多喜二』(『国文学解釈と鑑賞』別冊・至文堂所収)での、前篇で多喜二は時の権力によってその生命を絶たれ、作品は中絶させられたが、もし多喜二が生きて「党生活者」の中篇、後篇を書くことができたら、《笠原に対する扱いや感覚が、やがて根本的に批判》されたのではないかとの指摘に共感を示した。▼ここにこそ多喜二が、「党生活者」への改題を編集者に宛てた手紙のなかで、「この作品で私は『カニ工船』や『工場細胞』などのような私の今迄の行き方とちがった冒険的試みをやってみました。」(八月二日付)、「今までのプロレタリア小説の型から抜け出ようと、努力してみた作品です。今迄の私の一系列の作品から見ても、私はこの作品の成果を特に注目しています。単なる失敗をおそれずに書いたものです」(八月下旬)と、その狙いがあることを明らかにした。

▼ノーマは、この前の節で、平野謙VS中野重治などの「ハウスキーパー論争」を概括し、

イ)「論争は《ハウスキーパー問題》の核心に迫ることはできなかった。簡単にいってしまえば、……彼らは笠原の扱いを評する際、多喜二の作品群はおろか、「党生活者」の全体を考慮しようとしなかった。擁護する側、中野重治についても、ほぼ同じことがいえよう」としたうえで、(ロ)「ハウスキーパー論争からは戦争(丶 丶)がぬけていた。もともと一つの作品の両面であったものが切り離されてしまったのであれば、それをつなぎあわせる努力なしには、「党生活者」が私たちに向けた問いかけに応えることはできない」。

(ハ)多喜二が「生命をかけた運動についての根本的問いかけ」であり、「そこには当面の闘いだけでなく、党の未来、平和が勝ち取られたときの党のありかたも延長線にあったのではないか」

と、これまでの歪んだ読みを修正する、目からウロコが落ちるような貴重な指摘をしている。

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●「満州事変」は多喜二にとってどういう意味があったのか。

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  多喜二は「右翼的偏向の諸問題」「続右翼的偏向の諸問題」などの評論を連続して執筆し、文学・文化運動の階級的発展の指導に献身するとともに、自分自身も小説「地区の人々」、「転形期の人々(断稿)」などの執筆に果敢にとりくんだ。

 

●中国の政治情勢の変転をあらまし理解しておくことが必要である。では、この時期に日本は、中国との関係でどのような行動をとってきたのか。その中心点をあげると、次のとおりです。

 小林多喜二、「戦争と文学」(完三二年)

石原莞爾と満州事変:「満州事変から日中戦争」を読む

 西沢舜一

伊豆利彦

大田 努

津田 孝

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●多喜二の日本革命の展望ーふじ子に残された27テーゼ

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27テーゼ

31テーゼ草案

32テーゼ

 

8・1反戦デー

「七月二十六日の経験」

 

●小樽高商での震災義捐英語劇での多喜二

「銀行のはなし」

「ある老体操教師」

「蟹工船

「工場細胞」

「戦争から帰ってきた職工 ―8・1(反戦)デー近づく」

●反戦文学に高い峰を築いた黒島伝治

〈運動〉エンゲルスの『ドイツ農民戦争』の翻訳 北海道農民運動のかがやき

        天皇制

        労農同盟

    極東反戦会議

 

第六部     党生活者・多喜二と天皇、弾圧の手先・スパイ三船たち

●権力-暴力装置 警察・軍隊

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多喜二入党をめぐって

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資金供与

作家同盟

コップ結成と展開

青年同盟

アジ・プロ

赤旗

反帝同盟

 

生江健二予審調査

蔵原惟人予審終結決定

・笹森

・松村

・三船

 

 

第七部     論争史

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ハウスキーパー

大泉兼蔵 予審調書

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林房雄

平野謙

 

第八部     資料

多喜二三一年出獄からの年譜

毒ガス

池田寿夫

今村恒夫

原発

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蟹工船ブーム

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国際化

 

まとめ

 



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