秋田魁新報の2/26付け社説に、新学期に高校で副読本『秋田の文学』が採用されるとのことだ。
もちろん、秋田出身の小林多喜二もとりあげられる。
これでようやく、小林多喜二も石川啄木とならぶ国民的作家としてこれからの時代を生きていくことになるだろう。
プロレタリア作家であり、国民的作家。
"小林多喜二は生きている。"
と私が叫びをあげたのは、2006年2月の多喜二祭を前にしてだったけれど、いまその認知がひろがっている。
嬉しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秋田魁新報 社説:秋田文学の副読本 高校生の「心」養う糧に
今春から県内で授業に「秋田の文学」を取り入れる高校が登場する。国語担当の教師らが2年がかりで編集に取り組んできた副読本が、3月末に出版の運びとなったからだ。次代を担う若者たちが、作家の生きざまや作品を通じて「秋田の心」に理解を深めるための格好の材料であり、教育現場での活用に期待したい。
『秋田—ふるさとの文学』と題した副読本はA5判、170ページ。
金子洋文や小林多喜二、石川達三など近・現代の作家ら54人(現在活躍中の作家も含む)を取り上げているほか、年表や作家の出身地図も添えるなど分かりやすい構成となっている。副読本であるため、授業で使うか使わないかは各教師の裁量に委ねられるが、高校生たちが秋田を見詰め直し、豊かな心をはぐくむ一助として授業で積極的に活用すべきだろう。
副読本づくりが持ち上がった背景には、県内の子どもたちが郷土の文学に接する度合いが低いことに対する教師たちの反省があった。例えば宮城県では『宮城の文芸』が発行され、以前から高校の授業で使われている。そうした先進地の状況も踏まえ、2008年夏から県高等学校教育研究会国語部会が大学の研究者らと共同で「秋田版」の編集を進めてきた。
編集で注目されるのは、原稿の執筆を30代の若手教師が中心になって担当した点だ。今後20年、30年先を見据えるとともに、自ら作家の業績や作品の歴史的背景などを調べ上げることでスキルアップを図るのが狙いという。「今の大学生たちは郷土の作家をほとんど知らない」という声も聞かれる中、新任教師たちを育成する上でも大いに役立つに違いない。
また、副読本作成は財政難で県教委の補助事業の対象とはならなかったものの、国語部会の教師たちが「出版の先延ばしはしたくない。自主事業として取り組もう」と立ち上がった点も評価したい。自主事業であるため、副読本が有料(高校生用850円、一般向け1050円)となるのは致し方ないだろう。
秋田の文学をめぐる新たな動きが高校教育で進む中、県内の大学が連携して取り組む「秋田戦略学」でも文学を生かしたまちづくりがテーマの一つとして議論されており、10年度に具体的な提言がまとめられる。さらに、秋田市のあきた文学資料館も同市の文学史マップ「あきた文学散歩」を発行するなど、近年、地域と文学を結び付けた企画や実践が活発化している。大切な視点の一つではないだろうか。
これからのまちづくりは拡大を基調とした米国型ではなく、独自の歴史や文化を生かして成熟さを目指す欧州型への転換が必要とされる。その意味からも秋田とゆかりのある文学に親しめる環境を整えることは重要であり、高校教育のみならず社会全体でその機運を高めたい。
もちろん、秋田出身の小林多喜二もとりあげられる。
これでようやく、小林多喜二も石川啄木とならぶ国民的作家としてこれからの時代を生きていくことになるだろう。
プロレタリア作家であり、国民的作家。
"小林多喜二は生きている。"
と私が叫びをあげたのは、2006年2月の多喜二祭を前にしてだったけれど、いまその認知がひろがっている。
嬉しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秋田魁新報 社説:秋田文学の副読本 高校生の「心」養う糧に
今春から県内で授業に「秋田の文学」を取り入れる高校が登場する。国語担当の教師らが2年がかりで編集に取り組んできた副読本が、3月末に出版の運びとなったからだ。次代を担う若者たちが、作家の生きざまや作品を通じて「秋田の心」に理解を深めるための格好の材料であり、教育現場での活用に期待したい。
『秋田—ふるさとの文学』と題した副読本はA5判、170ページ。
金子洋文や小林多喜二、石川達三など近・現代の作家ら54人(現在活躍中の作家も含む)を取り上げているほか、年表や作家の出身地図も添えるなど分かりやすい構成となっている。副読本であるため、授業で使うか使わないかは各教師の裁量に委ねられるが、高校生たちが秋田を見詰め直し、豊かな心をはぐくむ一助として授業で積極的に活用すべきだろう。
副読本づくりが持ち上がった背景には、県内の子どもたちが郷土の文学に接する度合いが低いことに対する教師たちの反省があった。例えば宮城県では『宮城の文芸』が発行され、以前から高校の授業で使われている。そうした先進地の状況も踏まえ、2008年夏から県高等学校教育研究会国語部会が大学の研究者らと共同で「秋田版」の編集を進めてきた。
編集で注目されるのは、原稿の執筆を30代の若手教師が中心になって担当した点だ。今後20年、30年先を見据えるとともに、自ら作家の業績や作品の歴史的背景などを調べ上げることでスキルアップを図るのが狙いという。「今の大学生たちは郷土の作家をほとんど知らない」という声も聞かれる中、新任教師たちを育成する上でも大いに役立つに違いない。
また、副読本作成は財政難で県教委の補助事業の対象とはならなかったものの、国語部会の教師たちが「出版の先延ばしはしたくない。自主事業として取り組もう」と立ち上がった点も評価したい。自主事業であるため、副読本が有料(高校生用850円、一般向け1050円)となるのは致し方ないだろう。
秋田の文学をめぐる新たな動きが高校教育で進む中、県内の大学が連携して取り組む「秋田戦略学」でも文学を生かしたまちづくりがテーマの一つとして議論されており、10年度に具体的な提言がまとめられる。さらに、秋田市のあきた文学資料館も同市の文学史マップ「あきた文学散歩」を発行するなど、近年、地域と文学を結び付けた企画や実践が活発化している。大切な視点の一つではないだろうか。
これからのまちづくりは拡大を基調とした米国型ではなく、独自の歴史や文化を生かして成熟さを目指す欧州型への転換が必要とされる。その意味からも秋田とゆかりのある文学に親しめる環境を整えることは重要であり、高校教育のみならず社会全体でその機運を高めたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます