「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

武田麟太郎「告別」 1933年5月

2010-02-26 00:29:51 | takiji_1932
僕は彼の演説が大好きであつた。――
 少く背延びするやうな格構で、はじめのうちは、あのう、あのう、と云ふ間投詞がはさまつて口ごもり勝ちであるが、次第に熱を持ちはじめると、北海道訛りのとれぬ言葉がいつやむとも知れず流れ出す。すると、僕は――聴衆たちは稍酔ひ心地でそれに耳をすます。よくきくと、同じ事を二度も三度も繰りかへしてゐるのであるが、それは、聴衆がなつとく行くまでは、しやベると云ふ意味からであつたらしい。彼自身大に昂奮して了つてゐる。その昂奮が聴衆にうつつて了ひ誰も彼も顔がほてる思ひで、彼の演説が終ると、何故とはなしに、あつい息を吐くのであつた。所謂演説の上手でもなくまた煽動家によくあるその場限り燃え立つて、冷めれば何ともない口調を弄するでもない。それでゐて、恐ろしく腕の中に動くものを、彼の演説は伝へた。僕は彼の演説に接したあとは、頭がよくなつたやうな気のするのも、妙であつた。このことは、単なる雑談の間にも云へる。その時、不思議に、彼の処女性(と云ふとあたらぬかも知れぬが、ういういしい飾らぬ正直さ、乃至田舎ものゝ持つ魅力、そんなもの)が、こちらに反映し、それによつて、彼が肩をあげて書いてゐる感想や論文からよりは、平易に教訓されアヂられるのであつた。純一さの持つ力、確信と彼特有の精力。時には、それがよい意味にも悪い意味にもヒロイズムとなつて現れてゐたやうである。

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