第4回伊勢崎多喜二祭を記念して論文集の刊行準備が進められている。
タイトルは『多喜二文学と奪還事件』。
本日、8月28日付『しんぶん赤旗』日曜版に多喜二奪還事件80周年を記念した文章を多喜二・百合子研究会副代表の大田努氏の「伊勢崎事件80周年に寄せて」が掲載されている。
そこには、戦前の曰本が中国東北部への侵略戦争を開始した「満州事変」の前夜に当たる1931(昭和6)年9月6日、革命作家の小林多喜二らが講演に訪れた群馬県伊勢崎で検挙され、その釈放のための「多喜二奪還事件」が起こされてから80周年を迎えること。
この事件の80周年を前にして、多喜二らの消息を伝える新しい事実を発見されたことが大きく紹介されている。
それによると、日本プロレタリア作家同盟の機関紙「文学新聞」31年10月10日創刊号の
第3面「文壇ゴシップ」欄に掲載された「昔の牢(ろう)屋」という文章。
そこには多喜二本人の生々しい声が掲載されていた――という。
伊勢崎多喜二祭がスタートして4回目。
この事件はすでに60年代から関係者である村山知義や中野重治の著書や発言にみることができた。
1970年3月号『民主文学』の"小林多喜二総特集"で、村山知義が「思い出の多喜二」としてこの事件を印象的に語っている。
それなのに、手塚英孝の『小林多喜二』の伝記が触れていないことから、その事実自体に疑念を呈する人々がいた。
しかし、こうして多喜二本人の声が確認されてみれば、事実を否定するわけにはいかないだろう。
この事実の確認とこれまでの手塚英孝氏の『小林多喜二』の多喜二像との齟齬があったからこそ、「事実自体に疑念」を表明する人々や、否定する人々がいた。
ならば、今回確認された「事実」を踏まえた多喜二像の提示が今回の「論集」の役割だといえる。
多喜二生誕110年、没後80年を2013年に迎えるわけだが、近年の多喜二研究の前進を踏まえた総合的な成果をまとめるべき時期が近づいている。
「多喜二研究」の「論集」の成果を注視したい。