“消えた”中野 よみがえる 区ホームページに写真館
2009年5月2日 13時50分
解体前の中野刑務所。奥は本館棟。手前の赤レンガの正門は今も残る=中野区提供
小説「蟹工船(かにこうせん)」の著者小林多喜二が収監されていた中野刑務所や蒸気機関車が停車する中野駅-。明治期からの東京都中野区の街並みの変化をとらえた貴重な写真が、区ホームページ(HP)に開設された「写真資料館」でよみがえった。いずれも区役所内の一室に眠っていた膨大な資料の一部を区が一年かけて整理した。担当者は「今はもう見られない街の姿に驚きを感じてほしい」と話している。 (小川慎一)
プロレタリア作家で共産党員だった多喜二は、非合法活動中に逮捕され、特高警察の拷問で虐殺された。代表作「蟹工船」は、今の格差社会に苦しむ若者の共感も得ている。
多喜二など多くの政治、思想犯が収監されたのが中野刑務所。HPには房内部や解体時などの写真が掲載されている。刑務所の面影は、現在の法務省矯正研修所東京支所内(同区新井三)の赤レンガ正門にしか残っておらず、当時を伝える資料としてとても貴重だ。区広報担当の船戸潔係長(56)は「歴史研究者が写真を見に来て、夢中になってました」と話す。
区では、住民や区職員が撮影した明治期からの写真約八千枚を区役所四階の記者室書棚で保管しているが、長年整理されず劣化も進んでいる。一九八三年に解体された中野刑務所を記録した冊子の表紙には「重要」と特記されていた。
このうち三千枚の写真を昨年五月からスキャナーで取り込み、デジタル画像として保存に取り組む。写真資料館には、大正時代の中野駅北口仲通商店街や、戦前の小学校で行われた空襲に備えたバケツリレーの様子など写真百八十枚を時代と地域別に掲載している。
同資料館には掲載されていないが、昭和の初めごろ撮影された陸軍中野電信隊の記念祭の写真には、高さ十メートルほどのロボットのような張りぼての人形も登場する。区は、半年に一回写真を入れ替えていく予定という。
(東京新聞)
2009年5月2日 13時50分
解体前の中野刑務所。奥は本館棟。手前の赤レンガの正門は今も残る=中野区提供
小説「蟹工船(かにこうせん)」の著者小林多喜二が収監されていた中野刑務所や蒸気機関車が停車する中野駅-。明治期からの東京都中野区の街並みの変化をとらえた貴重な写真が、区ホームページ(HP)に開設された「写真資料館」でよみがえった。いずれも区役所内の一室に眠っていた膨大な資料の一部を区が一年かけて整理した。担当者は「今はもう見られない街の姿に驚きを感じてほしい」と話している。 (小川慎一)
プロレタリア作家で共産党員だった多喜二は、非合法活動中に逮捕され、特高警察の拷問で虐殺された。代表作「蟹工船」は、今の格差社会に苦しむ若者の共感も得ている。
多喜二など多くの政治、思想犯が収監されたのが中野刑務所。HPには房内部や解体時などの写真が掲載されている。刑務所の面影は、現在の法務省矯正研修所東京支所内(同区新井三)の赤レンガ正門にしか残っておらず、当時を伝える資料としてとても貴重だ。区広報担当の船戸潔係長(56)は「歴史研究者が写真を見に来て、夢中になってました」と話す。
区では、住民や区職員が撮影した明治期からの写真約八千枚を区役所四階の記者室書棚で保管しているが、長年整理されず劣化も進んでいる。一九八三年に解体された中野刑務所を記録した冊子の表紙には「重要」と特記されていた。
このうち三千枚の写真を昨年五月からスキャナーで取り込み、デジタル画像として保存に取り組む。写真資料館には、大正時代の中野駅北口仲通商店街や、戦前の小学校で行われた空襲に備えたバケツリレーの様子など写真百八十枚を時代と地域別に掲載している。
同資料館には掲載されていないが、昭和の初めごろ撮影された陸軍中野電信隊の記念祭の写真には、高さ十メートルほどのロボットのような張りぼての人形も登場する。区は、半年に一回写真を入れ替えていく予定という。
(東京新聞)
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