「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

松田解子をしのぶ

2009-12-07 13:17:26 | つぶやきサブロー
かわいい女性だった。
眼がくるくるしてさ。

それでいて、ものずごいアジテーターだった。
そのシワが、その眼の光が迫力だった。

その松田さんの「乳を売る」という初期の作品は、痛切だ。

本来ならば息子のための母乳を ブルジョアの子どもに授乳する。
それを売ることによってようやく生き延びることができるのだ。
その一方で、わが息子が乳を求めて泣き叫ぶ声を聞く・・・・・・。

母の哀しみ、母のたたかい・・・・・・。
屈辱があろうと、苦難があろうと息子とともに生き延びなくてはならないのだ。

松田解子はこうして生きてきた。
そして12月に亡くなった。

多喜二を同志として、
百合子を同志として、
語り続け、闘いつづけ。
やっと 99歳にして眠りにつくことをやっと許されたのだ。

本当によく闘ったね、松田さん。
※松田さんが乳をあげたのは、銀座四丁目の服部時計店の息子だった。
松田さんの母乳は、その母の母乳よりも濃かったことだろう。






平和を守るという運動は誰にでもできる運動だ。
政党や組織がなければできないというのでは、本当ではない。

多喜二もまた、平和を守る"一滴"であることをなにより重んじた。
いまひとりひとりが、平和を願う祈りを、みんなの一歩で 大きなながれを作り出そう。
平和をつくる、歌声よおこれ、もっと広く、もっと深く!!


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