<1928>
10月 28日、「蟹工船」を起稿。
小樽海員組合の北方海上属員倶楽部発行の『海上生活者新聞』の文芸欄を担当。
<1929>
3月 30日、「蟹工船」を完成し、『戦旗』5、6月号に発表。
●『文芸首都』(6月号) 古沢安二郎「五月号の創作評「蟹工船」を含む文芸時評
●『新潮』(6月号)文芸時評「「蟹工船」他」加藤武雄/
「「蟹工船」―後半読後直後」小宮山明敏
●『新潮』(7月号) 勝本清一郎「「『蟹工船』が刊行、<定本日本プロレタリア作家叢書 第2篇>(戦旗社 9月25日発売) 内容:蟹工船/一九二八年三月十五日 装幀 須山計一 224p 紙装仮綴 70銭 四六判)、即日「安寧禁止処分」に付され、発売禁止になる。
●『蟹工船』改訂版〈定本日本プロレタリア作家叢書〉(戦旗社 昭和4年11月8日) 小林多喜二著内容:蟹工船/後記(装幀 浅野方夫)が発売された。127p 紙装仮綴 50銭 四六判。*「後記」に〈初版「蟹工船」は「蟹工船」と「一九二八年・三月一五日」の二編をその内容としてゐた。共に「戦旗」誌上に発表されたものである。改訂版を発行するに当つて「一九二八年・三月一五日」はその全部を削除するの止むなきに至つた。/「三月一五日」そのものが、現在の検閲制度治下では発売頒布を禁ぜられるものとなつてゐる。兎も角、我々は「蟹工船」の再版を急いでゐる。簡単に右の事情を、読著諸君の前に明らかにして置くと共に、象々の真意がかゝる障害に逡巡して終わるものでないことを附言する。〉とある。
昭和5年2月15日安寧禁止処分に付された
●帝国劇場で「蟹工船」改題、「北緯五十度以北」(5幕12場)が新築地劇団により上演。
●『文学』(11月号)書評 立野信之「小林多喜二著『蟹工船』」
●『新潮』(10月号) 中村多羅夫「プロレタリア文学理論とその作家の吟味」
●『読売新聞』(11/2.5.7) 青野季吉「「蟹工船」と「セムガ」」
●『戦旗』(11)新刊紹介立野信之「「蟹工船」について」
16日、「不在地主」が直接の理由で拓殖銀行を解雇された。
●『東京朝日新聞』(29/617-21)蔵原惟人「『蟹工船』について」
●小林多喜二著/潘念之訳『蟹工船』への作者序文 大江書鋪 1930年
支那プロレタリアの英雄的な奮起は、膚を隣り合せている日本のプロレタリアをどの位力付け、はげましているか分らない。――私は今「蟹工船」が、同志潘念之の尊敬すべき努力によって、その英雄的な支那プロレタリアの中に読まれるであろうことを考え、異常な興奮を感じている。この作で取扱われている事実は、日本のそれのようには支那のプロレタリアには或いは縁遠いかも知れない。然し! 仮に、「蟹工船」の残虐を極めている原始的搾取、囚人的労働が、各国帝国主義の鉄の鎖にしばられて、動物線以下の虐使を強いられている支那プロレタリアの現状と、そのまゝ置きかえられることが出来ないだろうか。出来るのだ! とすれば、この貧しい一作は、貧しいといえども一つの『力』となり得る。私は何よりもこのことを信じている。
では、道を同じくする支那の仲間よ、私は、君達が、常に健康で、朗らかであることを望んでいるのだ。堅き握手を送る。(一九二九・一二・七 )
<1930>
●中国左翼作家連盟の『拓荒者』創刊号で(1930/1月号 《于"蟹工船》,若沁,《拓荒者》)で、夏衍は中国左翼作家・崔若沁のペンネームで、中国人民に小林多喜二と彼の代表作「蟹工船」を紹介した。
――夏衍はこの評論の中で小林多喜二の小説を日本プロ文学上の「新しい時期」の代表的作品と位置付け、小林多喜二が「まじめな作家として、氷雪の世界の北海道で、プロレタリアの勝利と解放のために活動を組織した先陣である」、蟹工船で蟹缶を作った労働者がこき使われた場面と資本家の圧迫を反対するためにたちあがったストライキの場面や最後に失敗したストーリーを詳しく紹介した。夏衍は結末の「彼等は、立ち上った。――もう一度。」というセンテンスが好きで、「すべてのブルジョア評論家を驚かせたこの作品の力はテーマと内容にあった。一定の利潤は資本主義の発展を阻止した。彼らは所属する階級の成長と資本主義から帝国主義の使命を果たすために、どんなことでもやり、どこでも行き、北極地と近い海まで侵入した。」と言った。この小説が「一人一人の労働者の生活要求と歴史的事件の発展で特殊な織物を作って、この繊維の結合の中に限りない力を貯めた。作品の中で、主人公が一人もいないし、特殊な性格が一つも表さない。しかし、全体的に見ると、この闘う場面で、代表的なモデルが二つあり、一つは悪夢の中の悪魔のようにものすごい勢いで北海を漂う帝国主義、一つはこの死の脅迫の下で絶えずに成長し、階級的に目覚めた民衆」。「蟹工船」の発表は確かに日本プロレタリア文学上の画期的な事である。暴露文学の面では、辛克莱の「屠場」より深く、より大きな収穫となったと評価した。夏衍は「読者の感情を奮い立たせ、読者の心を興奮させ、明かりをもらえ」、その上に、「この意識が組織された行動に変わる」ことを希望し、「蟹工船」が画期的なプロレタリア文学の傑作であると大胆に推薦した。
●1930年3月1日に出版した『大衆文芸』第2巻第3期には、沈端先というペンネームで「一九二九年の日本文壇」を書いて、「第一、小林多喜二の「蟹工船」を推薦しなければならない」、「これは殖民地に於ける資本主義の侵入史の一ページだ」と評価した。
●多喜二が序文をつけた『蟹工船』中国語訳(潘念之訳 大江書鋪 戦旗版初版須山計一装丁を使っている)が上海で出版されたが、国民党政府により発売禁止された。
●1930年、王任叔は雑誌『現代小説』1月号(《小林多喜二底"蟹工船》,王任叔,《現代小説》第1卷第4期P182,1930年1月版)で独特な視角から、小林多喜二の「蟹工船」についての長編評論を発表した。冒頭の第一段は小林多喜二の「蟹工船」の中国語訳本のために書いた序である。「序」の中に溢れた熱烈な革命同志の友情がすでに読者を感動させ、中国労働者階級闘争と革命作家の創作活動に関心を寄せた小林多喜二の作品が「力」として徐々に上りつつある。王任叔は、(巴人)、左翼作家と社会活動家、生涯に於ける著作も多く、早期に労働人民の生活を素材した小説の創作を主にした。1927年、共産党の秘密活動を行って、逮捕され、その後、救い出され、1930年に中国左翼作家連盟に参加した。上述した評論はちょうどこの時に発表したもので、同じような体験と同じ価値の追求によって、「蟹工船」という小説に特別な関心を持ってきた。「蟹工船」の芸術成果を分析した時、「プロレタリアリアリズムを使った作家がすべての描写にプロレタリア文学の特別な旗を樹立し、しかも唯一で特殊な旗で、ここで作家の濃い筆致にある程度で可愛く感じた」と王任叔は高く評価した。現実主義とロマン主義を使って小林多喜二の「蟹工船」を評論した。
<1931>
●昭和6年5月5日『蟹工船・太陽のない街・鉄の話』 小林多喜二・徳永直・中野重治著 改造社内容:蟹工船(小林多喜二)/太陽のない街(徳永直)/鉄の話 中野重治〉 装丁・柳瀬正夢 400P 紙装仮綴1円 四六判
6月 多喜二は志賀直哉に『蟹工船』を送り、「私は自分の仕事の粗雑になっていることに気付き、全く参っています。」と批評を求める書簡を送る。(6月8日)志賀直哉から多喜二宛て書簡「お手紙も『蟹工船』もちゃんと頂いてゐます。…」(7
月15日)
●「蟹工船」「一九二八年三月十五日」が国際革命作家同盟機関誌『世界革命文学』ロシア語版第十号に訳載された。抄訳ではあるが前後して、英、ドイツ・モップル出版所、フランス語版に訳載された。
●『一九二八年三月十五日』が、ドイツ・プロレタリア作家同盟との協力で、滞在中の国崎定洞の訳で出版されたが、発売禁止になった。「蟹工船」「工場細胞」も訳されたが、出版されたかどうかはわからない
●『蟹工船』がソ連・モップル中央委員会出版所で出版された。
<1932>
●小林多喜二『蟹工船、不在地主』 ( 新潮文庫、4月)
●小林多喜二『蟹工船、一九二八年三月十五日』(『世界革命文学日本編』収、ロシア語訳 国立文学出版所)
●小林多喜二『蟹工船、一九二八年三月十五日』(『世界革命文学日本編』収、ロシア語訳 ウクラインシキーロビートニク出版所・ハリコフ)
<1933>
●小林多喜二『蟹工船』(「一九二八年三月十五日」、「市民のために!」収、英訳 インターナショナル出版社・ニューヨーク、マーティン・ロレンス社・ロンドン)
<1938>
●『日本プロレタリア文学集』(国際出版所 33年) Kobayashi Takiji. The Cannery Boat (and Other Japanese Short Stories). Translation anonymous. New York: New York International Publishers, 1933.
1938 年(昭和13)
アメリカの少年院が「民営化」されて、司法と結託して、補導程度の微罪でも長期に収容させるというひどい実態も取り上げています。その後に、アメリカでは飛行機パイロットが年収 200~300万円位ということも注目しています。JALが米航空会社に合併させられたらどうなることかと暗澹たる気持ちを抱きます。
アメリカのカジノ資本主義は、レーガン政権の頃から、大恐慌の教訓を踏まえて定められた金融規制を御破算にして、金融寡頭体制を強めたと、同映画は分析しています。レーガンはB級映画出身でCMにも多々露出していたので、ウオール街が彼の人気を自分達の政策実現のために担ぎ出した。黒子はリーガンという財閥代表が、手取り足取り指示していた様子も描かれています。
日本に関する映像も出てきます。終戦直後の廃墟の東京、現憲法制定の時の国会の模様。
昨年、アメリカのある工場が閉鎖に追い込まれて、労働者が工場を占拠して「蟹工船」のように立ち上がったエピソードも取り上げられています。(そのことは日本では全く知る機会がなかったように思われます。)
銀行や大会社に莫大な国費を援助して、失業や病気で困っている国民には援助が無いという、アメリカの政治の矛盾を告発しています。リーマンショックはカジノ資本主義の行き詰まりだったのではなく、パニックを演出して、税金から大企業・銀行への収奪を合理化させる出来事だったというのが、M・ムーア監督の主張です。
最後に、誰が歌っているのか(半世紀くらい昔?)、男性歌手の「インターナショナル」が流されます。