「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

人間の尊厳を問う多喜二の闘いをいかし、資本主義の持続を??? (神奈川新聞社説)

2009-05-04 10:01:26 | つぶやきサブロー
憲法記念日の5/3。
新聞各社は社説を掲げた。
異色は「神奈川新聞」だろう。

ざっくりいうと、表題のとおり。
それでもいいと思う。

なぜなら、
「蟹工船」のなかの労働者が掲げた要求は、資本主義内で実現が可能の範囲だから。
現日本国憲法も、第25条で生存の権利を掲げている。

要は、この要求を現内閣が実現する意欲があるか、ないかではないだろうか。

ないのなら、「ある」内閣をということだ。



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以下は「神奈川新聞」5/3よりの引用。



憲法記念日

* 2009/05/03

社会保障の抜本改革を

 貧困、格差、派遣切り…。かつてない経済危機、社会不安の中で憲法記念日を迎えた。憲法は、人類が幾多の危機を乗り越え、よりよい社会をつくろうとしてきた努力の結晶である。今こそ、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とした生存権(二五条)や、勤労の権利(二七条)、労働基本権(二八条)など、日本国憲法が定める社会権の意義を再確認し、社会保障制度の立て直しを進めたい。

 ブームになった小林多喜二の小説「蟹工船」に見られる通り、二十世紀前半までの労働現場では、むきだしの資本主義が労働者を苦しめ、命さえも奪っていた。人間の尊厳を問う激しい闘いが続いた。

 そうした労働者の闘い、大恐慌や第二次大戦の経験によって、資本主義の持続には人権の尊重と、豊かな消費者、労働者の存在が不可欠であることが確認された。戦後の西側社会は憲法に社会権を規定し、福祉国家建設へと進んだ。豊かな社会の実現はその果実である。

 その後、福祉国家の“行き過ぎ”を是正するものとして、「新自由主義」が英国などで力を得た。しかし、日本ではそもそも行き過ぎるほどの福祉国家を建設できていなかったのが実態だ。小泉改革など新自由主義的政策は、結果的に時代の針を戻すような取り組みとなった。セーフティーネットが不完全なまま経済危機に襲われ、「貧困」が深刻化している。

 今年は総選挙が行われる。年金、生活保護など社会保障制度の抜本的改革が問われている。とりわけ大きな課題は、正規・非正規の枠を超えた新たな雇用制度の創造であろう。

 ワーキングプア(働く貧困層)をなくし、ワークシェアリング、労働時間短縮による生活の質の向上を実現するには、対症療法ではない抜本的な雇用改革が必要だ。欧州では、政府、経済界、労働組合が合意してつくった「オランダ・モデル」「デンマーク・モデル」などの事例もある。国情の相違はあるものの、参考にすべき点は多い。各政党は英知を結集し、国民に具体案を示してほしい。

 将来への安心を確保しなければ、内需の拡大も、少子化に歯止めをかけることも望めない。憲法が規定する社会権を現実化し、真の福祉国家を建設することが求められている。

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2 コメント

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「平和憲法~世界的な存在感もつ」辻井喬氏 (御影暢雄)
2009-05-04 15:36:44
 昨日の全国での護憲集会のなかで、NHKラジオは護憲派の代表意見として、早稲田大学での辻井喬氏の講演要旨を報道していました。
「世界の認識と日本の政治家の認識が大きくちがってきています。オバマ大統領が、広島・長崎に原爆を投下した核保有国として核兵器のない平和で安全な世界を追求する道義的責任があると述べました。同じころ日本の政治家の間では北朝鮮のロケット問題で日本も核武装するべきではないかという議論をしていたようです。そのずれは、日に日に広がってきている感じがします。兵器が発展して人類が絶滅する危険性があるとき、日本が平和憲法をもっていることは世界的な存在感をもつものです。今の世界的な恐慌のトンネルを抜けた時、どういう世界が待っているのか。その時憲法を守りぬいて、平和で安定した日本であれば、一つの極として日本の存在は大きな意味をもっているのかも知れません」
(辻井喬氏5月3日早稲田大学での憲法記念講演”経済と思想の両面から見た日本国憲法の意義”の要旨)
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「それから」の背後の姦通罪 (御影暢雄)
2009-05-04 19:41:55
 夏目漱石「それから」は、私の好きな小説なのですが、いまの若い人たちには理解しがたいでしょうが、この小説の背景には旧憲法下での「姦通罪」の存在を念頭に置くことなしには、主人公代助らの心の葛藤を理解できないと私は教えられてきました。絶対主義天皇制の柱としての家父長制のもとでは、「妻」は主人の所有物であり、自由な意志や行動は禁じられていたのです。多喜二が「蟹工船」で逮捕・勾留された罪状が「不敬罪」ですが、これら二つの法律が現行憲法で無くなったことは、九条の戦争放棄とともに、あらためて現行憲法の尊さとして振り返りたいと思います。
「漱石の悲劇」(林田茂雄著)という本の題名がありますが、漱石は「それから」の中で”大日本国憲法と個人の自由の桎梏”を問いたかったのではと思い始めています。
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