はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

頭病みである。

2014年03月03日 | 日記

頭痛がひどい。脳梗塞を起こした時のような錐で刺すような痛みではないのだが、後頭部から前額部にまで全体的に鈍痛がある。ズキズキでもなくキリキリでもなく、ドンヨリと痛い。痛みがズキズキとかキリキリなどの、ある程度の鼓動に比する痛みならば分かるのだが、基底で痛みが続いていて、頭が思い中で平均して痛む。

ベースが痛みから始まるので、鼓動を感じると更に痛みがズーッと続く上にズキズキが重なるような痛みだ。脳神経外科にはかかったばかりである。夏から秋にかけて、MRIの予約の方式も決めた直後に、こうした状態である。やれやれ、少ない将来も見通しが立たない状態となっている。

父方の祖父はオレの年代で癌死した。胃癌であり、臨終の席に行ったのは、オレが小学四年の頃だから、もう50年近く前である。それから通夜、葬儀となる。オレは子供だったのだが、精進落としの料理は食べていない。オレの父親は長男だったのだが、オレとまだ幼稚園児だった妹は、精進落としの料理も食わせて貰えず、父親は腹を立てて葬儀を終えたらすぐに席を立った。

父親の親戚で交流があったのは、父の唯一の弟だけである。父と弟との間には何人か妹がいたわけだが、オレの家族とは疎遠となった。オレの母親と父の母親も折り合いが悪い。それがどうやら飛び火してのことだ。だから父方の従兄弟は何人かいるのだろうが、実はほとんど面識が無い。母方の従兄弟とは交流はあるが、それも、オレよりもオレの妹の方が付き合いが深いようだ。

オレは人付き合いが悪いし、ぶっきらぼうな人間である。基本的に人付き合いは苦手であるし、相手を観察し、言動から「言っても分からないだろうな」と判断すると、相手にしないという態度が表に出る。だから、小学や中学などのガキの時代には、どちらかといえば孤立することが多かった。

将来に対する夢も持たないこどもだったから、多分扱いにくい子供だったとは思う。「将来何になりたいか」などという学校の教師の問に、同級生は「プロ野球選手」などと言っていたのだが、オレが見ても野球が下手くそな手合が、臆面もなくそうした願望を言葉にするのを、オレはどうしても理解できなかった。なりたいものが何か、などと問われても、そもそもガキである。どんな仕事が世の中にあるのかすらわからん世代である。正直に「わかりません」と言うと「なぜ無いの」などとシツコク教師が問質してくる。それが面倒で「バスの運転手」などと答えたことがある。つまり、なりたいものなどは無く、手近な仕事している姿が見えるものを答えただけである。

未来に対する考え方も違ったし、人というものに対する考え方も違った。教師が期待していた回答と違うレイヤーの回答をして、言葉が足りずに「なぜこのバカ教師は理解できないのか」などと思ったことも多々ある。もちろん、これはオレが思いを言葉に託すだけの語彙と、思いを体系づけた思想の足りなさ故なのだが、しかし、オレはそれでもその周辺をなぞりながら答えたりしていたのである。周辺を多角的に描いていて否を言い続けると、その否の中心に本音があるのだ、という事ぐらいは理解して欲しかったのである。

集合的論理和を否を出す事で、解を求めるという能力も、多分教師なんぞには必要なのだろう。否の重ならない部分に本音があるのだ。

頭が痛いままである。ひどく痛むわけではないのだが。


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