はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

20140129 UPLAN 【院内集会の一部と酷い政府交渉】地震動の過小評価は許せない!

2014年01月31日 | 日記

20140129 UPLAN 【院内集会の一部と酷い政府交渉】地震動の過小評価は許せない!

この動画の冒頭は北海道の方の発言である。オレは北海道でも厳冬地域の生まれ育ちであるから、氷点下30度という世界を知っているし、どのようなものであるかも知っている。

政府の地震などの自然災害に対する対策は、例えば学校の体育館を避難所にするなどの方法である。毛布を容易して云々という話だ。ところが、オレの生まれ育った地域だと、厳冬期にこうした災害が起きると、まず逃げる方法が失われる。路肩に山盛りに積まれた雪が崩れて道路を塞ぐ。晴れていれば良いのだが、吹雪いていたりすると夜間だったりするとホワイトアウトとブラックアウトが重なり、自分の向かっている方向すらわからなくなる。避難所にたどり着く前に遭難するのである。

幸いに避難所に辿りつけたとしても、着の身着のままであり、冬の防寒着のまま、外気温が氷点下20度以下、体育館内部でも氷点下10度程度の場所に集まって、しかも、暖房装置などは学校の体育館にはほとんど無い。

暖房無しに夜間を寝て過ごし、翌朝凍死せずに目覚めるためには、敷布団二枚、掛け布団二枚と毛布などが必須である。明け方が最も気温が下がる。特に早朝に晴れると、放射冷却で氷点下20度以下には簡単になってしまうし、吹雪の後の翌朝の晴れなどは、ほとんど空気が凍りついている。息を吸うと肺が痛いし、鼻の穴が呼吸のたびに粘膜通しがくっついてしまう。耳たぶは20分も空気に晒していると、凍傷の水ぶくれとなってしまい、10分であかぎれである。

机上で作り出された防災計画であろうが、オレの生まれ育った地域では、その防災計画の立案すら厳冬期については困難である。それは前述の具体的な記述による。つまり、様々な困難な要因が同時多発に起きる。

防災や避難のための想定は、常に複数の事象が考え得る最悪の場合を考えなければ無意味となる。それは東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故で実証された。いや、もっと前に、阪神淡路大震災で実証されている。岩手・宮城内陸地震では、山体崩壊が起き、山腹に沿って作られた道路などが見事に根こそぎ崩壊した。東日本大震災では日本地図が変わってしまった。被災地ではGPSが役に立たないほど地盤が移動したのである。

オレは、個人的には南海トラフの東海、東南海、南海の連動地震なんぞは起きて欲しくは無いが、その被害想定が実に甘いと感じる。震源域だけに津波が襲うという想定は、瀬戸内海のような内海が太平洋の療法から津波を受けるということを考えると、大阪あたりの被害想定は、いかにも小さいと思える。もちろん、小さい被害であって欲しいのは当然だが、最悪の想定、例えば太平洋での津波が、鳴門海峡と豊後水道の両方から瀬戸内海に雪崩れ込むという考え方が為されていないように見えるのは怖い。仮に同時に津波が鳴門海峡と豊後水道を撮って瀬戸内に雪崩れ込むと、広島とか岡山とか山口とか香川とか愛媛などの沖のどこかで、両方からの津波が衝突して、更に高い波を生み出すのではないか。


Pete Seeger 没する

2014年01月29日 | 日記

Pete Seeger - We shall overcome

このピート・シーガーという名前を知ったのは、中学生の頃か。高校に入って、自宅に放置してあったボロボロのガットギターを弾き始めた頃には、もうすでにこの人の名前や曲は知っていて、ベトナム反戦と公民権運動などが未だに跡を引いている時代だった。

FacebookのH氏の記述から訃報を知る。オレはフォークも好きだったのだが、本当は子供の頃に衝撃を受けたリトル・ウィリー・ジョンの歌う「フィーバー」のような曲の方が好きだったわけで、いや、ピート・シーガーやブラザーズ・フォーやキングストン・トリオやピータ・ポール&マリーや、ジョーン・バエズも知っていたし、もちろんボブ・ディランも知っていたけれども、むしろ、ピート・シーガーやジョーン・バエズ、ボブ・ディランが関わった公民権運動の方に、音楽以上に関心が高まった。

新宿西口広場は現在は西口通路となっているが、当時はあそこで反戦フォーク集会などがあったことも、経験はしていないが知っている。

オレは反戦にも賛同はしていたが、むしろ米国で平然と当時行なわれていた人種差別に対する怒りの方が強く、反戦曲の代表である「花はどこにいった」よりも、公民権運動の象徴曲としてのこの曲の方が好きだ。この曲の歌詞と、マーチン・ルーサー・キングの「I have a dream」が見事に連なる。

米国の人種差別の実態について学んだのは、猿谷要氏の書籍だ。人種差別や人種的偏見は、世界には確実に存在する。しかし、それを超克する事でこそ、世界がひとつとなるのだ、という、実はその理想を掲げる事が、多くの現実の利権を損なう。奴隷制度の存続があって、南部のプランテーションの多くは成立していたし、奴隷制度が建前として無くなった後ですら、差別によって成立していたわけだ。等しく権利を分け与えることは、それまでの経済基盤などを根底から揺るがす事である。

こうした人種の対立や、移民などの問題を包含しつつ、国家を維持してきたのは、こうした公民権運動やベトナム反戦運動に伴う兵役忌避などの事態が、「国家と個人」との対峙という形で表面化され、その対峙の状態をメディアが可能な限り「国民の側」に立って報じた結果としてあったためである。この曲は、いわばその象徴であり、ある勝利を得たという結実点でもある。

多様な民族が混在する社会では、例えば星条旗に集わなければ国家そのものが瓦解する。そのための国旗であるのだ。むしろ日本が単一民族国家だと称するならば、国旗や国歌などは不要なのである。国家を象徴するものは国民そのものだからだ。日本では、こうした「国家と国民」の対立がある際、メディアは国家に加担する。政治家個人を攻撃しても、政府そのものの在り方を論じるのは、メディアではなく、メディアに委託された評論家や学識経験者と言われるメディア部外者に丸投げする。メディアが自分達の存在を賭して政府に対し、国民の立場から対峙するという姿は皆無だ。原発報道などは、その実例であるし、その姿勢はいよいよ強まり大勢翼賛の風は吹き荒れてきた。

この時期にピート・シーガーの訃報である。彼の成してきた事は、この国では検証も継承もされずにいる。今、日本は貧困率が上昇し、餓死する人まで毎年のように出現する国となっている。貧困は世代を跨ぎ継承され、連鎖し続けている。その貧困の連鎖の中で、本来は手を携えなければならない在日外国人に対して、立場の弱い人間が、より立場の弱いものイジメである差別的言辞の流布を平然と行い、政治家の中にはそれを称揚し、自らの貧しさを自覚する国民が増える事を抑えようとする手合まで登場している。貧困が生み出す暗愚が、世相を覆い尽くしている。

オレたちは、その愚昧で低劣な立ち位置から抜け出し、実は手を携えて差別される人たちと連帯し、戦い続けなければならないのだ。敵は、差別を扇動し、実際には何も与えずに、自己満足の優越感にだけ浸る事を推し進める「人々を暗愚の底に追いやろうとする狡猾な手合」である事をわすれてはいけない。


John Lee Hooker - Rare Live (1960 - 1984)

2014年01月29日 | 日記

John Lee Hooker - Rare Live (1960 - 1984)

弾き語り二曲に続いてのバックバンドを率いての二曲のライブ演奏は、ニューポート・ジャス・フェスティバルのもの。ピアノのきらびやかさからはオーティス・スパンだろうと思える。思うに多分マディ・ウオーターズのバックバンドをそのまま借りての演奏だったのではないか。チェスのオールスターズである。時代から考えると、ブルースハープはジュニア・ウェルズあたりではないのか。五曲目からは白人ロック系ミュージシャンとの共演。こちらは形式がしっかししていて、事前のリハーサルをしっかりと行った気配がある。

でも、オレは小節数なんぞを無視して歌うジョン・リーにすかさずタイミングを併せて演奏するニューポート・ジャズ・フェスティバルのバックが最強だと思える。歌詞を聴きながら、臨機応変にフレーズとコードチェンジに追随する技は、何度もそうした演奏を経験した人間でなければできない。

実は、ライトニン・ホプキンスの来日ステージを見ている。中野のサンプラザホールである。ベースとドラムスは二人の日本人だが、ライトニンの気ままな小節を変えたりする演奏に付いて来られなかった。不定形の演奏に追随するのは、演奏の腕よりもむしろ、そうした経験と歌手との阿吽の呼吸なのだろう。上手下手はあるにはあるが、それ以上にバックをつとめるバンドメンバーが、その人となりを理解している事が重要なのだろう。呼吸が分かるという事が重要だ。

若い頃のチンピラ顔が、年齢を経ていく中で、好々爺然としながらも大物感を漂わせるように変貌していく様が、ああ、一芸に秀でるという事は、こういう事なのだ、などと妙に納得させてくれる。

ジョン・りー・フッカーの演奏動画は、いくつか所持しているのだが、ここでは初見のものもあって、これほどメジャーな人でも、そもそもマイナーなジャンルであるブルースの世界を考えると、良く残っていた映像があるなぁ、などと思うのである。


ゲシュタルト崩壊

2014年01月28日 | 日記

子供の頃から時々会話の「意味」が消失することがある。つまり、音は聞こえているし、相手も分かっているて話をしているのは分かっているのだが、その会話の意味がわからなくなるのだ。どうやら「ゲシュタルト崩壊」と言うらしい。

Wikipediaによると、「知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。幾何学図形文字など、視覚的なものがよく知られるが、聴覚皮膚感覚においても生じうる。」という事である。

オレの場合は、会話中などの言語のまとまり、つまり言葉が単なる一音ずつの音の断片となって、言葉としてまとまった理解が不能になる、という状態である。

実はあまりに頻繁に子供の頃には起きていたので、誰もが頻繁にそうした事が起きているのだと思っていたのだが、どうやら違うようである。gooの相談の回答の中に「暇人だからゲシュタルト崩壊を感じるのだ」というような、人を小馬鹿にしたような回答があったのだが、オレの場合は、例えば学校の授業中でも、教師の言葉を聴きながら、ある時間帯に突然起きて、しばらくするとすぐに意味認識が回復したのである。

こうした経験をしている人の多くが、例えば漢字の書き取りなどで何度も同じ漢字を書いている時に、その意味消失が起きるというのだが、オレの場合は突発的である。特に、上記のWikipediaで書かれているように、聴覚を通じた会話中や、人の話を聞いている時に、その言葉が音の羅列として聞こえ、言葉そのものの全体の意味が消失してしまうのである。

元来人見知りであるのだが、この状態が誰にでも起きているわけではないし、そうした認識も無い人が大半だという事に気付いてから、ますます人との会話などが億劫になってしまった。特に集中して聞かなければならぬような話の時に、もしこうした状態になったら、と言う恐怖があり、会話による情報伝達ではなく、書籍などの「後で確認ができる」方式の情報に頼る事になった。

亡くなった父親は、オレがこうした状態になっていることに気付かないままに亡くなったのだが、良く「ボーッとしてるな」と叱られたことを覚えている。しかし、したくて「ボーッと」していたわけではない。この意味消失の間、何をどうしたら良いのか未だに分からない。フリーズするしかない。

オレは車の運転をしない。この発作が何時出るか分からないからだ。例えば「右に曲がる」と考えた時に「右」という言葉が意味消失してしまう。つまり「右って何?右って何?」という状態で、一種のパニックになってしまうわけだ。当然次の「曲がる」という言葉に行き着かない。聞いた言葉だけではなく、考えた言葉そのものが意味消失してしまう場合もあるのだ。

識字障害というものがある。ところが、識字障害は文字と認識の不一致であり、認識はできるわけだ。オレの場合の問題は、その認識そのものが意味消失するという事である。

今でこそ、こうした「発作」の出現頻度は減ってはいるが、皆無ではない。人前に出るのが苦手で、人と交わるのが苦手な大きな理由でもある。外部からの刺激と、それに対する脳の情報処理の回路が、上手く働かない状態なのだ。


井戸川克隆講演会「西川知事に伝えたい!福島からのメッセージ」(2014.1.25 敦賀市)

2014年01月28日 | 日記

井戸川克隆講演会「西川知事に伝えたい!福島からのメッセージ」(2014.1.25 敦賀市)

この井戸川町長を罷免した議会の利権保守的な振る舞いは、住民の帰還を許さない町長とは対立する。原発の危険性を東電に確認し続けていた状況と、安全性に対する意識の低下、技術者の技量の低下状態を世代交代が更に促進している実態を語る。

ここで語られている中身は、井戸川さんの実体験である。実体験から思った事の、概略である。

最も衝撃的なのは、いわき市で起きた心筋梗塞による死亡事例の大半が、実は原発構内での心肺停止を発症してのものだった、という話だ。

このあたりは、セシウムが西尾正道先生の講演でも語られているように、心筋梗塞を生み出す可能性が高いという事である。米国での注射による死刑執行は、カリウム溶液を注射する事で行なわれる。カリウムとセシウムは体内での振る舞いが近似だという。では、当然のように心筋梗塞による死亡例の大半は、特に原発構内で発症したものは、どうやらセシウムによるものだろうと思える。同様に、原発構内ではないが、いわき市だったか、スポーツ少年が急性心筋梗塞で亡くなっている。これもまた、公式発表では放射能の影響ではないということになっているのだが、果たして本当だろうか。