後藤政志講演会 「原発の重大事故(過酷事故)は防げるか」-安全神話の再構築を許してはいけない-
小出裕章さんの指摘していることや、この後藤政志さんの指摘していること、更に西尾正道さんの指摘していることに、実は原子力規制委員会はマトモに答えない。これは、ICRPにしろIAEAにしろ、同じである。
答えないのではない。答えられないのだ、とオレが気づいたのは、様々な指摘に対する反応が、論拠のあるものではなく、デマだという言い訳だけだ。小出さんや後藤さんは、つまりデマだという風評を流された被害者である。風評被害は福島の農産物の事ではなく、小出さんや後藤さんへの、真っ当な論拠を持たぬ感情的反発だけのものだということだ。
事実、汚染水騒ぎで話題となっているトリチウムだが、「放射線医学総合研究所中井さやか遺伝研究部長らによって突き止められ,七日から徳島市・徳島県郷土文化会館で開かれた日本放射線影響学会第17回大会で堀研究員が発表」したのは「原子力発電所などから大量に排出されるトリチウム(三重水素)はごく低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常を起こさせる」という事である。
β線核種であるトリチウムは、β線核種の中でも弱いβ線しか放出しないとされている。通常の水分子が3~5eVで結合しているとされるのに、トリチウムの出すβ線はストロンチウム90などの200分の1程度の15eV見当だと言われ、世界各地の原発で大量に海中に投棄されてきた。その「弱い」はずのトリチウムですら、低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常を引き起こすわけだ。
少なくとも、トリチウムですらそうなのだから、現在の汚染水にも大量に含まれていると思われるストロンチウム90では、当然ごく微量でも影響は大きい。
西尾正道医師の講演は、このブログでも参照しいるのだが、セシウム137はβ線も出す。通常の線量計や携帯型の放射線測定器で検知できるのはγ線である。セシウム137はβ線を出して崩壊し、バリウム137となってγ線を出し、γ線を幾度かの半減期を経て出さなくなると、単なるバリウムとして残るという話である。つまり、セシウム1bqが通常の測定器で計測できた場合、β線も対になって出ていて、合計は2bqという事になるのだと、西尾先生は癌の放射線治療を長年行ってきた経験から語る。
ICRPは、いわゆるNGOであり任意団体である。ただ、その基礎研究の部分は、ABCCから引き継いでいる知見が占める。それは日本の放射能影響研究所と一体となっている。そこの知見とは別の知見が、似たようで違う放射線医学総合研究所の研究員から発表される。では、今まで放射能影響研究所は何をどう研究していたのだろうか。存在そのものが意味不明化している。
ABCCの知見は、直接致死量と思われる放射線被曝を受けたと思われる広島・長崎の原爆の爆心地から1.5kmの範囲での「認定被爆者」への研究によってのみもたらされたものだ。すなわち、残留放射能を大量に含んだ「黒い雨」などによる被曝は完全に無視している。原爆炸裂後に救援隊として入市被曝で亡くなった人については、衛生状態が悪かったから赤痢が蔓延したため、それによる死として片付けられている。
こうした残留放射能被曝による死が否定されるのには理由がある。残留放射能が存在して、その被曝によって死ぬということは、爆弾の炸裂によって直接死ぬわけではない。ウィーン条約には、攻撃兵器が攻撃後も死傷残留物を残す事を禁じている。つまり、毒ガスなどの非人道兵器という事に核爆弾が認定されてしまうからだ。
核保有という力の支配が、核兵器がウイーン条約対象兵器になった瞬間、その保有や使用が「人類に対する罪」と認定されてしまう。多くの核保有国は、核を保有していることで国際的な力を持ち、発言力を高めている。その根底が崩れるという事なのである。そんな「不利」で「不都合」な「事実」を、発言力が強く立場も強固な現在の核保有国が認めるわけがない。
つまり、核そのものが科学ではなく、政治化し利権化しているわけだ。
日本では核と原子力が使い分けられている。英語では同じnuclearである。つまり同じなのである。日本では原子力発電所と言い換えているのだが、つまりは核発電所という事である。そういう意味では、日本は実は立派な核保有国である。爆弾だけが核ではないのだが、ご都合主義的に意図的に本質を隠すために使い分けられている。もう、その段階で、この発電方式のイカガワシサがわかろうというものだ。つまり、原子力ムラと呼ばれている集団は、核ムラという事なのである。