もはや日本維新の会は「日本失言・放言の会」と名称変更した方が良い。現在大阪府知事をしている松井氏はともかく、共同代表のお二方は歩く時限爆弾であるのは間違いない。石原慎太郎氏はご自身が作家であるという自負があるためか、ほとんど差別的意味しか残されていない言葉を平然と「差別的ではない」として使い物議を醸す。
共同代表のもうひとり、橋下徹大阪市長は、大阪市長という地方自治体の長の権限を越えた「外交」を沖縄にまで行って行う。その際の「風俗の活用」などを米軍司令官に進言したという。米国でのプロの風俗と言えば、それは日本の建前とは違って売春婦である。日本の風俗だって、合法非合法の境目は、パンティ一枚の薄さで仕切られている程度のものである。
橋下は言う。現在の風俗嬢は、かっての日本の貧困が産み出したものとは違う、と。本当か?多くの風俗嬢は「他に金を稼ぐ方法がなく、しかも稼がなければならない理由がある」から風俗に行っているわけである。貧困の別の局面でもある。
かってフジテレビが日曜の競馬中継の前に1時間程度の枠で流していたドキュメント番組で、リーマンショックの後、親の仕事が左前となって借金塗れとなった元女子大生が大学を辞めて風俗嬢に至る経緯を訥訥と語るものが放映された。
オレの小学・中学の同級生の中には、橋の下に違法なバラックを建て、電気も引かずに家族で住んでいた。そうした貧しさは存在していたし、今も存在するのではないか。母子が餓死し、数ヵ月後発見されたのも大阪である。覚悟の死だったらしく、餓死した子供への「食べさせてあげられなくてごめんね」という書置きがあったと言う。
他人との関係性を上手く作れない人というのは存在する。救いを求めたくても、その救いがどこにあるのか分からない人も多い。どこに救いがあるのか探す方法すら分からない人だっている。そうした人の多くは、この社会が生き難いものだ、と感じている。サッカーの日本代表のW杯本戦決定での渋谷あたりでの大騒ぎは、そうした日常への鬱積したものを晴らすための乱痴気騒ぎだともいえる。乱痴気騒ぎの輪に入れない人は、餓死するか、あるいは処刑は終えたが、宅間死刑囚や金川死刑囚のように、自ら死刑になるという目的のために、多くの人を無差別に殺傷するような、変な爆発が起きる。
こうした実情の中で、橋下氏は「貧困が風俗に身を売る原因となったのは過去の話」だと言う。餓死する町の市政を司る人間が、こんなトンチンカンで実情を見ない姿では、現在の貧しさの質を理解しているとは思えない。身を売りたいと切望して身を売る女性など、ほとんど存在しないのである。そうした職業を選択したのだと橋下氏は言う。それは違う。選択の余地が無い中で生きている人間だっているのだ。そうした人たちには未来は明るいものではなく、延々と人生の終端まで続く、雲が厚く垂れ込めた夕景の今にも夜が暮れる直前の黄昏が続くだけなのだ。
橋下氏が希望の星に見えた人も多かった。でも、それは太陽の死に際して爆発的に光を出す超新星の輝きで、その輝きが消えた後に残るのは、人を破滅という重力によって弾きつけ潰してしまう中性子星やブラックホールなのである。