目覚め

2010年12月20日(月)

真我への入口

2019年06月16日 | 修行・他
真我覚醒に向け、瞑想内観をし自我を受け入れて(滅して)行くのですが、
自我の受け入れを始めるには、覚悟のような決意の様な、ある種の勇気が要ります。

最初に覚悟し、内観、瞑想が習慣になるまでの間、ほんの少し辛抱も必要になります。
これが私と思いたい自我は、受け入れられ(滅され)るのを嫌います。
滅した先には真我が在るとわかっていても、まず出てくるのは滅する事への恐れです。
最初の恐れを乗り越えるためには若干の勇気が必要で、
それは自我に対し「目を背けずしっかり見る!」と覚悟する勇気とでも言ったらいいでしょうか。

中途半端な気持ちでは、真っ向から自我を見る事はできません。
苦そのものは思考により作り出された幻想(ドラマ)であり、
思考しなければ苦も生じないという真理があります。

ただ、小さいころから「よく考えるように」と周りの人たちに教えられ、
思考しなければ生きてゆけないと思い込んでいるので、
怖くて思考をとめることなんてできないと思ってしまっているのです。

しかし、人は大きな壁にぶつかると、この苦しさから解放されたいとも思います。
真我覚醒した人が悟りを解き続けるのは、苦は滅することができ、
幸せを感じながら生きることができるのを、体感として得ているからです。

幸せを感じながら生きるか、今までと同じように苦を味わい続けるか、
どちらでも選ぶことができますとお伝えしているのです。

内観や瞑想の、作業そのものは地味なもので、出てきたものをただ見続ける、意味を付ける事無くただ観察し続けます。 
それだけで思考で付けた意味づけは、外れてゆきます。

本当の私とは何ぞやを、修行のように問い続け、行きつく先が真我なのです。
あなたもほんの少し、勇気を持って自我と向き合い、永遠の幸せを知ってみませんか。


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樹慧(じゅえ): エネルギーワーカー
2010年クンダリーニ昇華~意識変化~宇宙意識~梵我一如 
8歳より私とは何ぞやを探求し始め今に至る。
詳しいPFはHPからご覧ください。

HP: https://jeweln.amebaownd.com/

Twitter:https://twitter.com/jewel_2


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