※ 以前アメブロにUPしたものを手直しし、こちらにも載せておきます。
アンマのダルシャンを受けてからは、苦手だったグラウンディングはできている様子です。
そもそもグラウンディングとは私の体感によると
天と地が一本の軸(光の柱)で完全につながっていて
軸とは真我そのものでありその領域には、僅かの自我も入り込んでいません。
真我の外側に自我が張り付いているような感覚で
真我は自我の全てを良しとし認め受け入れています。
そして分離での体験を表現する表現者が自我ともいえます。
真我と自我の間に境目はなく、そろって一つの物です。
【マハルシによる教え】
>カルマは、身体と真我の間に生じた自我と呼ばれる行為者に依存している。
>自我がその源のなかに溶けて姿を消してしまえば、
>それに依存しているカルマも生き残ることはできない。
また、これと同じような現象を起こしている感があります。
カルマらしき物は何一つ感じられません。
これが一時的なものなのか、ずっと続く物なのかは今のところ私には解りませんが
少なくてもこうしてブログに書いている時点では、
当然分離し言葉と言う分離のツールを用いて自我で伝えているわけです。
このような状態になってまず最初に気づいたのが、ツインレイと言う概念の捉え方です。
再三ブログに書いてきましたように、ツインレイが分離の概念だという認識はできていたのですが、
今回それを更にアリアリと体感しました。
原初の魂の片割れである事には間違いは無いのですが、
親子、兄弟、友人、知人...etcと同じ領域にあり、真我からの距離のようなものは
他のくくりと全く同じ場所にある物と感じました。
分離の視点で捉えると原初の分離なので真我に限りなく近い、
なにか特別なトンデモナイ関係の様に感じますが、
真我から見れば、分離の一側面でしかないのです。
ツインレイは、意識、認識が、ある一定の周波数を超えると、
自分の中の女性であれば男性性が、男性であれば女性性が具現化されて、姿を現します。
内なる男性性、女性性を統合し、魂が根源と同じ光、両性具有になるために、
内なる異性を見せてくれる存在です。
統合は、ツンレイに逢っても逢わなくても起こせます。
逢って統合するという流れを
プログラミングされて生まれてきた人のみが
出逢うものと思われます。
ツインレイとの関わりは、真我実現の流れの最終段階であり、
真我の外にある物は原初とは言えツインレイとて分離であり、
源と同じ両性具有になるための出逢いではあるけれど、
それと真我実現はまた異なるものです。
真我実現はその次元(ツインレイとの関わり)に留まっていてはあり得ず、
その概念を完全に超えた時にはじめて成されるものです。
ツインレイは恋愛ではありません。
勿論であった当初は、もう一人の私ですから、
愛しくて恋しくてという気持ちも湧き上がります。
しかし、いつまでもそこに留まっていられないのは、
今まで書いてきたような、一連の流れの中の出逢いであるからなのです。
人生とは楽しむ物である一方、一生学びでもあると感じていますが、
片割れ共々しっかりと真我実現に向かい、
真我と言う軸を捉えたままの一元の視点を持ち、
完全に自我をコントロールし、必要に応じて自我の選択をして、
分離の二元を楽しむという境地に達する事ができたならば、
片割れとは揺らぎない信頼と愛で結ばれることでしょう。
独身、既婚、結婚などの、分離の概念である形式に捕らわれる必要は
全くと言っていいほどありません。
独身同士でも、供に生活しなくてはいけないという事もありませんし、
既婚者同士なら、そのために離婚しなくちゃと思う必要もありません。
形式に捕らわれる事無く、心地よい魂の関わりを体験するために
常に内を見て真我に向かってゆくことをお勧めします。
また、真我に向かったままで居ると、分離とのバランスが取れないと
感じている方も居るようですがこれは思考が作り出した幻想です。
内的探求の先に、宇宙全体がありそこには叡智が溢れており、
自然な流れに身を任せていることで、意図せずとも
内と外のバランスは自動的に取れて行きます。
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