時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

忘れられない「こころの風景」

2023年10月18日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の42)」
忘れられない「こころの風景」

俳優の火野正平さんが、視聴者からの手紙に記された、忘れられない「こころの風景」を、
自転車で列島の各地を巡りながら訪ねる、
「日本縦断こころ旅」という番組があるのをご存じだろうか?

BS放送で、朝ドラの後に放映されている同番組を見ながら、朝メシを食べるのが、
ここ最近のルーティンのようになってるんだが、
今朝、女房が不意に「あなたのこころの風景って、いったいどこよ?」と尋ねてきた。

そんなこと急に尋ねられても、即答に窮してしまうが、
「小学生のころの通学路だった、ガード下と線路沿いのあぜ道」かな・・・ と応えると、
「なんなのよ・・・ それ?」と、今度は詳しく説明を求めてくるから、面倒くさいやつである。

私のこころの故郷の「ガード下」と「線路沿いのあぜ道」は、いまもあるかどうか分からないが、
JR(当時は国鉄)の駅に隣接するガード(アンダーパス)を出て直ぐの急な階段を上ると

当時住んでいたマンモス団地(4階建てアパートが8棟、2階建てが5棟)につながる、
幅1メートル半ぐらいの、舗装が施されてない・・・ デコボコの一本道だった。

あぜ道というぐらいだから、西を向いて右手は田んぼと畑だが、
左手には小川が流れていて、その直ぐ先の土手を上ると山陽本線と山陰本線の線路があった。
女房は知らないだろうが、このあぜ道には春夏秋冬を通して、
忘れることができない・・・ プッと吹き出してしまいそうな思い出が残っている。

まず春の話をしよう・・・ それは小学校2年生のときだった。
2時間目と3時間目の休憩時間に、牛乳を飲む習慣があったんだが、
あるとき牛乳瓶のなかに、塊みたいな物があるのを見つけたクラスメイトが、
突然「ミルクセーキ」だと言ったことから・・・ 事件は始まっていた。

「ミルクセーキ」などといった、ハイカラな飲み物など飲んだこともないのに、
私も含めて4~5人のお調子者が「ミルクセーキ、ミルクセーキ」と言いながら飲んでると、
傍にいた女子が不吉なひと言を発した・・・ 「これっ。腐ってるんじゃない?」
早く言えよだが、そのひと言は的確で正しかった。

数分後に腹痛を起こすと、家に帰って休みなさいってことになり、
同じ通学路で通ってた3人が「おまえのせいじゃ。」と罵り合いながら、
お腹をさすって・・・ トボトボと歩いて帰ったのが線路沿いのあぜ道だった。

続いて梅雨時のお話、大雨が降って・・・ 小川は溢れるし、田んぼは水浸しで、
どこがあぜ道か分からないなか、水が入って重くなった長靴を引きづりながらあぜ道を歩いてると、
向こうの方から枯れ木が流れてきた。

友人がそれを指さし、拾って杖にしようかと言いながら枯れ木に向かうと、
枯れ木は蛇行しながら、不規則な動きで私たちの前を通り過ぎたのだ。
枯れ木が近づいて分かったのは・・・ めっちゃ大きな蛇だったのである。
心臓が止まりそうな思いをしたが、噛まれなかったのは、ホントにホントにウンが良かったと思う。

続いて夏の話し、1学期が終って、なんだか憂鬱そうな顔をしている友人と一緒に帰ってると、
団地の一番最初の棟の1階のベランダに、その憂鬱そうな友人のおばさん(母)が私たちを見ていた。
オバさんは友人ではなく、私に向けて「◯◯君、通知表を見せなさい。」と命令してきた。

なんと・・・ いつもは優しいおばさんなのに、
その日だけは、関所を守って厳しい取り調べをする・・・ 怖いお代官様に変身していたのだ。

小学校低学年の私には、通知表を人に見せることに違和感がなかったというか、
気にもしてなかったもんだから「いいよ。」ってことで・・・ オバさんに見せたら、
みるみるうちに顔色が変り、怖い顔で「◯◯(友人の名前)、サッサと家に入りなさい。」と言い、
友人が泣きそうな顔をして、急いで家に入ったことを覚えている。

自慢じゃないが、小学校のころの私は、いまじゃ信じられないぐらいできが良かったので、
それを見たオバさんが、息子を叱ったのだと思う。

その証拠に・・・ 数時間後、友人を遊ぼうと誘ったら、
「◯◯はいま勉強してるので遊べない。」と、オバさんに言われてしまったので、
きっとなにかあったんだと思うと、なにも悪いことしてないのに、悪いことしたような気分になって、
それ以降は、通知表をもらった日は、あぜ道を通らず遠回りして帰った記憶が残っている。

続いて秋の話しだが・・・ その年の夏は、めっちゃ暑かった。
通学路のあぜ道には、肥溜めが二つあって、見た目でも分かるぐらいカチンカチンになっていた。
友人が度胸試しをしようと言いだし、肥溜めの上に乗って軽くジャンプをすることになってしまった。

私は運良くジャンケンに勝ったので、3番目に乗ることになったのだが、
最初に乗った友人が3度目のジャンプをした直後、右足だったか、左足だったか忘れたが、
片足が、カチンカチンのはずの肥溜めにスボッとはまったのである。

一緒にいた友人とともに、肥溜めにはまった友人を助けたものの、
友人の足からズックは脱げ落ち、なんとも言えない匂いが・・・ プ~ンと臭ってきたのである。
友人は小川で足を洗い、片足だけ裸足で帰ったが、
冗談のようでホントに起こってしまった・・・ あぜ道あるあるだった。

いやぁぁ・・・ まいった。
こればっかりは、二度と見たくないし、経験などしたくない忘れ得ぬ思い出の一つである。

最後に冬のお話・・・ 西国の山口とはいえ、60年前は普通に雪が降り、積もる日もあった。
この日は、1人で帰宅していて、思い起こせば・・・ 実にウンが良かったと思う。

寒かったもんだから、パッチ(ズボン下)を履いて、その上から長いズボンを履いていた、
突然、オシッコがしたくなり、たちションをしようと思って、ズボンのチャックを下げ、
アレを引っ張り出そうとするが、パッチがピタッとしてて、なかなか引き出すことができなかった。

そんなに時間がかかったわけでもないと思うが、我慢の限界を超えた私のアレは、
パッチと足の間の密着部分に、暖かいオシッコをぶちまけてしまったのである。

いやぁぁ・・・ まいった。
出たときは暖かかったが、雪が降る寒さである。

漏れたオシッコが、あっという間に冷たくなることを、私は実体験したのである。
家に帰り着くまで、だれにも会わないよう祈りながら「がに股」で帰ったのは、
私の人生で消すことができない・・・ 最大の汚点かもしれない。

ここまでは2年生から3年生のときの話しだが、
番外編として、6年生のときの話しをもう一つさせてもらうと、
8月後半のある日、まだ夏休みなのに・・・ 6年生だけが学校に集められていた。

私が通っていた小学校は、少子化のいまじゃ信じられないが、
子どもの数が増えたもんだから、6年生になったとき、学校が分割されたんだが、
面白いことに、新しい小学校は、前の小学校に・・・ 1年以上も間借りしていたのである。

校舎の建設が、間に合わなかったんだが、
二学期から6年生だけが新しい校舎に移ることになり、
机と椅子を、1キロとちょっと離れた新しい校舎に子どもたちで運んだのである。

大変だったのはガードをくぐるときである。
当時はまだ車社会ではなかったが、車がすれ違う薄暗いガード下を、
子どもたちで、机と椅子を運んだのである。

おそらく予算が足りなかったんだと・・・ いまとなっては理解できるが、
途中で何回か休憩はあったものの、炎天下の真夏に男子だけじゃなく、女子も運んだんだから、
いまの時代なら、間違いなく虐待であって、大問題になっていただろう。

また、その年の運動会を1年生から6年生までみんなでやるため、
6年生は二学期が始まると、1週間ぐらいかけて、
放課後になるとグラウンドにでて、帰宅前に小石を拾っていた。

このことについては、だれも褒めてはくれないし、褒められたこともないが、
後輩たちに胸を張って自慢できる、忘れ得ぬ思い出の一つとして、
記憶の引き出しのなかに・・・ キチンと整理されている。

また、全員が集まる体育館の完成が間に合わなかったので、
卒業式は6年生だけでやることになったが、
新校舎で過ごした期間は・・・ わずか7ヶ月だったのに、
私たちは、栄えある第一期卒業生になったこともまた、忘れられない思い出だろう。

こんな話しを全部話し終えた後、女房はフフっと笑いながら、
それ、面白いから・・・ 「こころ旅」に応募してみたらと言うではないか。

「冗談じゃない。」まかり間違って採用されたら、孫や子どもに笑われるどころか、
名前が出るので、同級生の目に留まるかもしれないので、
こればっかりは、いかに女房の頼みとはいえ・・・ 応募することはできない。

とはいえ、ブログなら良いのかってことになるが、
60数年前のことだし、匿名なんで・・・ ギリギリ許せる範囲としておこう。

追伸
フォロワーさんから、応援のコメントを頂戴したことから・・・ ちょっとその気になってしまい、
思い出の「ガード」と「あぜ道」をグーグルマップで調べてみたら、
なんと・・・ 思い出の場所にあるにはあったが、
田んぼと畑は、既に住宅地になっていて・・・ 残念ながら面影は一つも残ってなかった。

また、一本道は拡張され、舗装されているようで、イメージが重ならなかったことと、
いまさら、この界隈に肥溜めが二つあったなんてことを手紙で書いたら、
いまそこに住んでる方々に迷惑をかけるので、
この話は、私の「こころの風景」のまま、記憶の引き出しにしまっておくことしようと思う。

コメントを頂戴し、応援していただいた方々に・・・ 改めて感謝とお礼を申し上げたい。
ありがとうございました。

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14 コメント

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Unknown (つぼうちえつこ)
2023-10-18 06:28:19
おはようございます。
非常に楽しく拝見させていただきました。

火野正平さんの「こころの風景」、私もまったく同じく朝食の一連の流れのなかで毎日見ております。
そしてこれまた奥様と同じように、うちの夫に、
「あなたにもこういうの、ある?」とか、私だったらどこかなぁ、と考えてみたりします。

面白いのは、風景を1つ思い浮かべると、そこから芋づる式にずるずると思い出がつながって湧きあがってくることですね。

私も奥様と同じく、これ、応募されたらいいんじゃないか、と思いますよ!
あれは匿名ではだめなんですかねぇ?
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Unknown (keiko(けいこ))
2023-10-18 06:52:39
おはようございます。
私は夜にたまーに見てました。
で、、奥さまと同じこと夫に尋ねましたよ😆

そうしたら、、一番好きだった叔父さんの話から始まりました。
私より 豊かな思い出〜息子たちにも聞かせたら良いなあとも思いました。
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Unknown (1948219suisen)
2023-10-18 07:28:03
どのお話も面白かったのですが、特に冬のお話は吹き出してしまいました。最近、笑うことが少なくなっている私を笑わせてくださり、ありがとうございました。m(_ _)m
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Unknown (多摩爺)
2023-10-18 08:23:13
つぼうちえつこさん、おはようございます。

朝起きて、新聞撮ってきてソファに座り、思い切り背伸びしたら足が攣って、
つい先ほどまで、のたうち回っていました。
そんなそそっかしい爺さん話ですから、女房には話しましたが、恥ずかしくてとてもとても応募はできません。
笑ってやっていただけたら、それだけで満足です。
ありがとうございました。
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Unknown (多摩爺)
2023-10-18 08:26:25
けいこさん、おはようございます。

こころの風景って、けっして風光明媚な場所でなければ、名所旧跡でもないと思いました。
女房からの突然の問いに、なんでそこが思い浮かんだのかさえ分かりませんが、
恥ずかしながら、私にとっては忘れられない場所の一つでもあります。
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Unknown (多摩爺)
2023-10-18 08:28:34
水仙さん、おはようございます。

女房に話した後、よくもまぁ、こんなくだらんことを覚えているもんだと笑ってしまいました。
私の思い出話で、笑っていただけて嬉しく思います。
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Unknown (1948of)
2023-10-18 14:56:25
こんにちは。いつも有り難うございます。私のブログを沢山見て頂き嬉しく思います。

幼き頃の面白い思い出話し、楽しく拝見しました。懐かしい昭和の風景を感じながらクスッと笑いました。

フォローさせて頂きますね。
今後とも宜しくお願いします。
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Unknown (馬鹿も一心です。)
2023-10-18 15:18:05
少年はミルクセーキと勘違い。
少女は、本能的腐っていると察する。
男と女の性差があって互いに生きてます。
私の本日のブログ 破傷風菌感染に
危険察知予測を書きました。
一心を似非登山家と誹謗中傷もあります。
野生動物の本能は、じっと感じ取ることです。
男はなかなか気づかない。
少年時代は、振り返ると冒険を本能的にしたい。
懐かしい想い出ですね。
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Unknown (多摩爺)
2023-10-18 15:23:43
1948ofさん、こんにちは

フォローしていただきありがとうございました。
フォローバックできないのが残念ですが、
また、ちょくちょく訪問し、読ませていただこうと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。
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Unknown (多摩爺)
2023-10-18 15:26:40
一心さん、こんにちは

いまになって振り返れば、おバカな経験ですが、
クスッと笑えるような、かけがえのない経験だったと思います。
コメントを頂戴し、ありがとうございました。
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