時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

自然災害は予見できない。

2022年06月21日 | 時のつれづれ・水無月

多摩爺の「時のつれづれ(水無月の27)」
自然災害は予見できない。

日曜日の昼下がり・・・ テレビ画面に突然流された「緊急地震警報」
一瞬身構え、リビングにいた女房や娘に声をかけたが、
震源地が北陸の能登だと分ると、あっという間に気持ちが緩むんだから、
能登地方にお住まいの方々には・・・ 大変申し訳ないと思う。

確か能登にも原発があったような・・・ と思って調べてみたら、
震源地は能登半島の北東部で、原発は南西部だし、
テレビに映し出された各地の震度や、地形や海の方角を見て、なんとなく心配はなさそうだが、
東日本大震災を経験してからは、地震警報が出ると「直ぐに原発は大丈夫か?」になってしまう。

一方で・・・ 先週末に、ちょっと気になっていた大きな判断が下された。
東京電力の福島第1原発事故で避難した住民らが起こした集団訴訟で、
最高裁は、国の責任を認めないとの判断を下したのだ。

この裁判の論点は・・・ いったい、どこにあったのだろうか?
巨大な津波が来ることを、国は震災が起こる前に、予測することができたか否かという論点と、
仮に予測することができたとした場合、国が東京電力に有効な対策をとらせていれば、
事故を防ぐことができたか否かという・・・ 二つが論点だったと思う。

結果的に、最高裁の判決では、
「自然災害を予見し、対策を取っていたとしても、事故は免れなかった。」との理由で、
被災して、故郷を追われた方々は、本当に気の毒で、悔しくて堪らないと・・・ 心中を察するが、
「国は責任なし。」との最終判断が下ってしまい・・・ 本件は、ジエンドになった。

あくまでも私見になるが、豪雨ならまだしも、地震や火山の噴火などの自然災害は、
予見できたとしても「いつ、どこで、どれぐらいの規模で」を予測することは極めて困難で、
防ぎようがないと結論づけられたことは・・・ ある意味、仕方のないことかもしれず、
そこに国の責任を求められたら、この国には住めなくなってしまう。

昨日の能登で起こった震度6強の地震にしてもそうだ。
脳天気な私は、知らなかったが、この地域では小さな地震が頻繁にあったらしい。

専門家は流体によるものかも?と、聞き慣れない仮説を立てたが、
その実態は未だ不明であり、新たなメカニズムによる想定外なのか、原因究明が急務だが、
分ったからといっても、対策が打てるようなものでもないようだ。

だからといって、国が耐震基準を厳しく見直し、その実施を義務づけたらどうなるのだろうか?
住民全員に一部補助金は出せたとしても、全額を補助することなど出来るわけがないし、
ましてや、被災は仕方がないので、離れた所に引っ越してくださいなんて言えるわけもない。

さらに、様々な対策を講じたとしても、
対策が完了するまでに、数十年の月日を要することも忘れてはならないし、
対策完了を待たずに、被災してしまう可能性だってありうることだ。

極論すれば・・・ 首都直下地震の起きる可能性がある、
富士山が噴火する可能性がある、東南海地震が起こる可能性があると言われ続けて10年超が経つ。

最近では、被災規模を想定したシミュレーションが、
3Dなどを駆使して、リアルな情報としてメディアで使われているものの、
個人レベルでは、家族で「怖いね。」と話すだけで・・・ どうすることもできない。

この国の人々は・・・ 私も含めて「そうなんだろうな。」と思いつつも、
「じゃぁ、どうしよう。なにをしよう。」と、具体的な行動に移した人は多くない。

けっして、対策をしたくないわけじゃないが、
地震が少ない地方に引っ越すから、
引っ越し代金を出してくれと・・・ 市役所の窓口に行って訴えても、
つまみ出されるだけで、誰も相手にしてくれないのがオチではなかろうか?

被災する可能性が高い地域から、住民を退避させることが一番の対策ではあるが、
そんなことをやったら、首都圏から人は居なくなってしまうし、
漁師さんという生業そのものが・・・ 成立しなくなってしまうだろう。

デジタル化を推し進め、テレワークを推進するなら、
一昔前に議論された、首都機能の移転ぐらい、そろそろ真面目に考えていた方が良いと思う。
最高裁の判決が出たものの、不満が燻る福島に、環境省を移転させれば、
判決では見えなかった、取り組み姿勢の本気度が・・・ 伝わってくるかもしれない。

なんだか、もの凄く無念であり、やるせない気持ちでいっぱいだが、
自然災害は予見できないし、予見できたとしても被災を回避することはできない。
さらに国や地方行政が、いくら対策を打ったとしても、想定外は必ずあると思わざるえない。

分っちゃいるが、これが最高裁の判断だから、
公助も共助も大切で、しっかりやってほしいが・・・ まずは自助だろう。

原発だけは、どうしようもできないが、困難な不安や無力感を嘆くことよりも、
身の回りにある危険を洗い出して、
自分で出来る対策を無駄と思うことなく確実にやっておく。 
それで不安が解消できるわけじゃないが・・・ それしかないだろう。

最後になって、大変申し訳ないが、
今回被災された能登地方の方々に、お見舞いを申し上げるとともに、
いまなお続く余震が、少しでも早く沈静化し、
復旧が進んで、いつもの毎日に再び戻ることを・・・ 祈念してやまない。

ガンバレ! 能登

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