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◆あるということ、つまり「存在」をどうとらえるか
ここでは、ハイデガーとニーチェを見比べて、「有るとは」説
を考えてみましょう。
ニーチェの場合
「万物はみな自らを乗り越えて より強くなる意志を備える」
これは、「力への意志」説と呼ばれて、ニーチェの主要な教説です。
ニーチェは、未完の主著「力への意志」という本で、
「存在の本質は、力への意志である」と言い切っています。
ハイデガーは、ニーチェを最後の形而上学者、と呼んだり、
存在を人格化するミスをおかしている、など結構、
悪口を言っていました。
その実、ニーチェの著作を熱心に読み、
その後継者を自認していたことは、ハイデガーを読めばわかります。
ハイデガーの場合
「ものごとを立ち現わせる 在るという はたらきに目をじっと凝らそう」
ハイデガーは、自分で考える存在者が、どう生きるべきか
主著「存在と時間」で描き出し、実存思想で一世風靡しました。
その後、「存在論」にくりかえし挑戦し、ものごとは、「ある」という開けた場所で、
ようやく成り立つ、と説明しました。
ここでは、ハイデガーとニーチェを見比べて、「有るとは」説
を考えてみましょう。
ニーチェの場合
「万物はみな自らを乗り越えて より強くなる意志を備える」
これは、「力への意志」説と呼ばれて、ニーチェの主要な教説です。
ニーチェは、未完の主著「力への意志」という本で、
「存在の本質は、力への意志である」と言い切っています。
ハイデガーは、ニーチェを最後の形而上学者、と呼んだり、
存在を人格化するミスをおかしている、など結構、
悪口を言っていました。
その実、ニーチェの著作を熱心に読み、
その後継者を自認していたことは、ハイデガーを読めばわかります。
ハイデガーの場合
「ものごとを立ち現わせる 在るという はたらきに目をじっと凝らそう」
ハイデガーは、自分で考える存在者が、どう生きるべきか
主著「存在と時間」で描き出し、実存思想で一世風靡しました。
その後、「存在論」にくりかえし挑戦し、ものごとは、「ある」という開けた場所で、
ようやく成り立つ、と説明しました。
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