今日は雨が降った。
午前は確かに
光があったような気もしたが
一日中どんよりとした空模様。
午後に用事を控えていたため
朝にはもう家を出て
乃木坂に向かった。
副都心線で明治神宮までいき
そこから千代田線に乗り換え
30分くらいで到着。
乃木坂というと
ピンポイントでの住所はなく
もちろん歴史的なエピソードを
背負ったシンボルでもあり
それは青山であったり
赤坂でもあったり
六本木でもあったり
個人的には
外苑東通りから赤坂通りに入る
通過点としての「街角」の
ひとつの風景であっただろうか。
「のぎざか」のコトバの
その響きのイマージュを
やわらかくたぐり寄せるような
心地良さが脚を向けてしまう。
さらに秋の季節がその行動のアシストを
してくれているかのように…
国立新美術館の壮大な建築の像。
館内の圧倒的に広がる曲線の空間に
浮かぶように位置する
カフェ『サロン・ド・テ ロンド』で
休憩をした。
珈琲とパウンドショコラ。
店員さんに
『珈琲のおかわりはどうですか?』
声を掛けられるまで
おかわり自由のサービスに気づかなかった。
好みの濃いめの珈琲がおかわり自由とは。
当初は展示に関心はなかったのだが
せっかく来たのだからと心変わりし
入口まで後戻りしてチケットを買って
開催中の展示室へ向かった。
『モダンアート・アメリカン』。
19世紀から20世紀半ばまでの
題材が大自然の動きから
都市の成り立ちへ発展していき
最終的にはキュビズムまでも
取り込んでいくアメリカ絵画の
歴史的な流れを把握できる企画物。
美術に明るいわけでもなく
ミーハー的な自己満足もありながらも
さすがアメリカらしいというか
印象派やリアリズムにしても抽象画にしても
その当時の欧州の影響が強いかなぁ
くらいなのはわかった。
こうして美術館があったり
目と鼻の先には六本木ミッドタウンが
あったりとほとんど六本木圏内という
以前の印象とはすこし変わってきたが
青山公園や霊園の方は静かなところもあり
外人さん達が公園の隅でチェアを並べて
リラックスした様子で談話を重ねている
情景が見えた。
色づくにはもう少しの時間が
必要だなと樹木の静かな
揺れ具合のゆったりさが
昨日までの息詰まる都会の
喧噪から解放され
休日のひと幕として
あらゆる忘却を許されたような
思いで午後までの散歩を
ひたすら楽しんだのだった。
午前は確かに
光があったような気もしたが
一日中どんよりとした空模様。
午後に用事を控えていたため
朝にはもう家を出て
乃木坂に向かった。
副都心線で明治神宮までいき
そこから千代田線に乗り換え
30分くらいで到着。
乃木坂というと
ピンポイントでの住所はなく
もちろん歴史的なエピソードを
背負ったシンボルでもあり
それは青山であったり
赤坂でもあったり
六本木でもあったり
個人的には
外苑東通りから赤坂通りに入る
通過点としての「街角」の
ひとつの風景であっただろうか。
「のぎざか」のコトバの
その響きのイマージュを
やわらかくたぐり寄せるような
心地良さが脚を向けてしまう。
さらに秋の季節がその行動のアシストを
してくれているかのように…
国立新美術館の壮大な建築の像。
館内の圧倒的に広がる曲線の空間に
浮かぶように位置する
カフェ『サロン・ド・テ ロンド』で
休憩をした。
珈琲とパウンドショコラ。
店員さんに
『珈琲のおかわりはどうですか?』
声を掛けられるまで
おかわり自由のサービスに気づかなかった。
好みの濃いめの珈琲がおかわり自由とは。
当初は展示に関心はなかったのだが
せっかく来たのだからと心変わりし
入口まで後戻りしてチケットを買って
開催中の展示室へ向かった。
『モダンアート・アメリカン』。
19世紀から20世紀半ばまでの
題材が大自然の動きから
都市の成り立ちへ発展していき
最終的にはキュビズムまでも
取り込んでいくアメリカ絵画の
歴史的な流れを把握できる企画物。
美術に明るいわけでもなく
ミーハー的な自己満足もありながらも
さすがアメリカらしいというか
印象派やリアリズムにしても抽象画にしても
その当時の欧州の影響が強いかなぁ
くらいなのはわかった。
こうして美術館があったり
目と鼻の先には六本木ミッドタウンが
あったりとほとんど六本木圏内という
以前の印象とはすこし変わってきたが
青山公園や霊園の方は静かなところもあり
外人さん達が公園の隅でチェアを並べて
リラックスした様子で談話を重ねている
情景が見えた。
色づくにはもう少しの時間が
必要だなと樹木の静かな
揺れ具合のゆったりさが
昨日までの息詰まる都会の
喧噪から解放され
休日のひと幕として
あらゆる忘却を許されたような
思いで午後までの散歩を
ひたすら楽しんだのだった。