何度も体験して自分の進化も認めるという話をしていました
それを何度も繰り返すんだけど、またその先に「あっそうだったか!」とその奥に気づくからですよね
自分の概念が進化していき、
もちろん時代の概念も進化しているので、また自分が追いついていかないといけない
新しい言葉もしると、また自分の体験にリンクさせていきまた概念が進化するんです
辛い事や苦しい体験はもうお腹いっぱいだと言い聞かせているので、何でもが良い事なんだ必要なんだ感謝なんだと意識も進化ししてきた
その途中には相手の成長が伴う訳でもないので、自分が進化していくしかないと思い込み頑張るとかって (^.^)
まあ例えば自分の母親では自分の世界にこもっている人なんで私に対しては否定的なんですよ、
私が私の考えを言おうものなら、あんたの意見は聴きたくないねんと言うぐらいなんで、段々話す気も失せてくるんですよね、
ただただ母の話を「そうやね」「そうなんや」と受け取るしかないと決めたんです
まあそれを真剣に受け取るかどう聴き流すかは私の学びなんで、しっかり内容は受けとめますよ
でも反論は一切しないと決めただけです
その為にマンションの14階に住んでいるんですが、そのエレベーターに乗る時にいつも「そやね!」「そやね!」と呪文のように練習していました
でも受け取る内容は常に違うので、同じ反応が出来るとは違うんです
「えっ!?」って意見を言いたくなったり考えや価値観が違うと思ったりして反応しそうになってました
その度に次こそはって、母親の所へ行く度に何か訓練でもしている様に(^_^;)
普通ならそんな親子でも喧嘩したり言い合ったりするんでしょうが、うちの母親は異常に興奮するんです
そのまた母親(祖母ですが)がよく似ていて、おじいちゃんと喧嘩して興奮してそのまま息を引き取っているので、
同じように興奮する母親のそんな状況に遭遇していると、それも勝手に思い込みで、自分の世界以外は受け入れない状況なので、私自身はそれ以上はもう良いかなと思ってしまう、
興奮して感情的になってる人との温度差の中では何も解決しないという気づきにもなったし (^.^)
人間関係って共に成長出来ると理想だなと思うのですが… (^.^)
中には…たまに友達の仕事場での人間関係の愚痴を聞くんだけど、
同じような友達が数人いるんだけど
そんな愚痴を聞くのが嫌だとかじゃなくて
何度も同じような口の時もあるんだけど
その度に私も共感しながら、あ~だよね、こ~だよねとその話しに付き合います
その人間関係にも出来事にも問題にも一緒に理解し合ったりして…
こっちも本音を話すけど、人の考えを否定する事は無いです
なんだか相手は愚痴とか言ってるんだけど、一生懸命向き合ってるなって感じるからです
話している間に相手が「そうなんよ!」と自分の言葉やその問題の本質にヒットし、何かに気づく瞬間が分かるというか感じるんです
そしてまた帰っては相手も仕事場で同じ状況とか何か向き合う事をする様で
またうちに来て同じような問題を話すんです
それでも新たに向き合った事やこんな事やってみたとか自慢げに話すんです
なんか子供が学校で頑張って来たよって言ってるみたいで愛おしくなるんです
状況が変わらない場合もあるんですが、ちょっとずつでもその友達が成長しているのも進化しているのも感じるんです
そうすると、私以上の頑張りを感じ、私以上というのは、私が全然知らない世界で進化している友達とかが自分には出来ない事をクリアしているようでちょっと羨ましく感じたりして尊敬を感じるんです
そんな時にそれを感じている自分自身にも広がりを感じるんです
自分の知らない世界を知った?って感じ?
それが嬉しく感じる…変かな (^_^;)
だから愚痴やったり文句をいくら吐いてても、その先には絶対に成長があるんだなと思うし、
何度でも繰り返して良いのかなって思ったりする
なんでも真剣だと、お腹いっぱいだと気づいてもう止めよう、もう放そう、離れようっていうところも大切だという事に気づく事も知っている
何でも循環なんでしょうね
それが感動を生むって感じるのは私だけなのかなぁ~ (^.^)
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