自分の道は天への道という事を数日話しています
私が怖がりで、って話をして
自分の先に信じれる道を観てるけど、ア~なったらどうしようとか、こうなったらどうしようとか思うと言っていました
でも結局は神様や魂が連れて行ってくれる道だと。
そして我が魂も戻りたがっているところだと…そこへいざなってくれているんだと… (^.^)
あとは如何に委ねながら抵抗しないで無意識に進むんだという話でした
それでも
それがどうして100%信じれるのか?と思うはず(私は特にでしたが)
その根拠は!?…なんて思いますよね
そうです
誰でも根拠なるものを求めます
根拠は自らの体験なんです
過ぎ去った道を振り返るとそこから根拠が見えてきます
目の前には根拠なんて無いのです
私のって言っているんじゃないです
みんなそれぞれの体験が根拠となるんです
根拠となって行くんです
心配ないです
その根拠の体験が宝物にもなるし
それがたとえ初めは悪の道ちゃうの?辛い道ちゃうの?と思っても
その悪や辛さを知らないと概念の本質に到達しないからです
根拠にするために
私達の魂は元に帰るために連れてってくれてるし、私達の事を一番知ってる
絶妙に私達の超えれる道を誘導してくれる
もうちょっと簡単な道にしてって言ってみてもイイかも
私も体験しながら越えてしまったら「あぁ~なんだ良かったぁ」ってほっとする事多いです
病院で切腹した時もお産も怖くて仕方なかったけど、案ずるより産むが安しとはこういう事かと屁でも無かったという (^_^;)
体験が根拠で根拠を貯めて信じて進む
あっという間に何十年も過ぎていたという感じです
そう思うと、前にある霊媒師にも「あなたは洗心しましたね」とか、「大きな樹になりましたね」とか言われたんだから…
もうそろそろ魂は戻るんちゃうの?って、たまに自分の魂に尋ねます
それに、私はいつでも良いよって言います
家族にも心残りは無いのになと
心残りに気づいていないって事も在るのかな (^_^;)
まだ手放せていない体験が在るのかな
任せていたら体験はやって来るはず…と、
矢だけは刺さっていると思うからなぁ~ (^.^)
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