先入観に長い年月惑わされる人生だったという話をしていました
40歳から徹底的に客観的になるという事について色んな場合でも考えるようになりました
ホントそれぐらいから自分に対して真剣に向き合えるようになったんだと思っています
それまでも人の事は好きだったけど、自分をないがしろにしていた、自分の心を押さえていたように思うので、真に人の事を考えてたかは分かりません
ただ人の為にやると言っても色んな概念ありますからね
中には無意識の自分のエゴの為でもあったりするから
自分の事を幸せにできないのに、人の事まで考えて幸せにしてあげようなんて嘘だと思うし、
やっぱり自分から溢れ出す愛で人を幸せに出来るんだと思うからです
真実の愛は枯渇する事がないからでしょうね
まあそれでも人に先に愛を与えることで、自分が幸せだと感じる順番もありですけどね
自分が愛に溢れている事に気づかない人、また、愛が分からない人はボランティアをしてみれば気づく事多いですから。
何かそれまでに思っていた事、それまでの思考、先入観、擦り込み…等
人はある角度から、また、ある視点からしか考えられなかった事でも
何かのきっかけで全てが変わる事があるんです
ホント、オセロのコマの様に
圧倒的に黒のコマが占めていたのに、白のコマが一つの角を取った途端に白に裏返るって事ありますよね
私も、42~3歳ぐらいだったかの時にインドの聖者アンマのイベントのボランティアでちょっと部門のリーダーをした事がきっかけで変わったという体験があります(自分のトラブルじゃないのにちょっとしたトラブル解決で勝手にひとりもがいてた事があって、解決したんですが)
そのイベントが無事終わった時に脳が覚醒したように「全てはオーケーなんだ」という気づきを得ました
その気づきは大きかったです
その後のいろんな事に影響しました
その時からです見る事、知る事、全てがオーケーなんだと
それまでの自分とは全然違う
視点が変われば、見方も変わり、
解釈の仕方も変われば、理解の仕方も変わる
説き方が変わっていたら、全てひっくり返ったという感じです
たまにそんな時でも考える対象がオットだとして、何でこうしてくれないのか、自分がどうすれば良いのか、なんて考えていた事でも
私はオットと結婚したのは不幸になる為じゃない、
私は幸せになる為にこの人と結婚したんだと考えて答えを出せるように変わって行ったみたいに、説き方が変わっていくと、それに付随する事がドンドン変わるんですね
そんな感じです
そうすると自分の脳の中枢、潜在脳の働きも変わってくるんですよね
課題も厳しくなる場合もあるけど、説き方の方程式みたいなものが違うと
小学生の問題だったものから大学の問題に変わったぐらいになるんですが
色んな多角度から導き出せるようになるんですね
時に、難題が来ても幸せになる為にの視点から
全てはオーケーなんだと思えた自分を思い出す
人生は自分の為にあるんだという事もですよね
周りに縁が繋がる事も自分の為に、幸せになる為に、全てオーケーなんだという視点からに気づくと
どんどんひっくり返る
それに、ひっくり返さなくても幸せだと気づけるんですよね (^_^)
何でもそう思って楽しめばひっくり返るし、
ひっくり返さなくても今幸せなんだし
見方で黒に見え、白に見えのオセロ
ですよね ヽ(^。^)ノ
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