緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

人間は何故死ぬのかの問い

2022-06-22 | 人生観
  人生には節目があり、
節目には何を考えるかという話を数日しています。
節目には厄落としをしたりすると言います。
厄を落としたり、祓ったりするとは、
それまでに一生懸命に物事に向き合って生きていると、
当然、雑念もでてきたり、負の感情や低次元の意識が出てきます。
向き合えば向き合う程出て来るもんです。
そんな事を肉体にまといながら頑張っています。
だから節目の時に次へ進むために雑念や厄を祓うのです。

その時点で自分の心や肉体にまといついた物を認識するために
自分の心を見つめ、自分の肉体を見つめるのだと。

そして自分の次へ進む道筋を決めて行くのです。
昨日に言ったのは、
その時に根底となる心や考え方に
「仏教では仏になる」「神道では今を生きる」
その根底を元に自分の道筋を決めて行くと良いと話していました。

まあ仏教でなくても神道でなくても良いと (^.^)
いつも言っていますが、自分の経典でも、哲学でも、お経でも、御真言でも座右の銘でも良いのです。
その様に生きる、または、その様に生きるための道を選ぶ
その為の道しるべが必要だったり、
心に道しるべを持っていたりすると良い。

何かに迷った時、壁にぶち当たった時に持っていると良い。
その何か?…の大きな壁となるのが節目だったりするという事です。

人間は、勝手に親が交わって生まれて来たと思っている人も多いと思いますが。そうなんでしょうか?…。

生まれてきて生きて死ぬ。
本来は単純な事ですよね。
虫や動物の命という事もある。
雄雌関係なしに生まれて子孫を残して直ぐに死ぬ世界も在る。
勝手に産んでくれて自分だと思っている自分がいる。
本当はこの単純な事を考えるだけでもいろんな答えや真理があります。
考えない人は単純に命を授かり死ぬと思っているだけなんでしょう。

答えを出そうと思うからいろんな出来事を与えてもらっている。
体験させてもらっている。

神様がこの世に命を授けてくれた時には
「死ぬよ」という事だけ決めてくれています。
「いつ死ぬよ」という事だけ決められます。
後は自由に生きなさいと「自由」を与えてくれているんです。
いつって知らないから単純に生きられるのです。
自由じゃないから頑張って自由になるために生きている。
自由って何だと考え生きている。
もがいて、あがいて、自由の羽を生やそうと生きている。
自由に生きるという事はどんどんと積み上げている過去を終わるために生きている。
過去を終わるって、蓋すれば良いとか止めれば良いとか
昨日が終了ですよというような簡単なようで簡単じゃないから続いてしまう。
昨日の出来事が、または、昨日までの仕事が…、
または、昨日までの人間関係が…、
簡単に終わるわけじゃないから続いている。

本当は単純だから昨日にあった人が嫌な人でも、
ハイ終わりました!!と心もスッキリできるなら良いんでしょうが。
そうなっていない事が多いでしょう。
だから人類も時代も未だに続いている。

それに気づいた時に一つひとつ終わらそうと思った私です (^^;)
蓋をせず、概念を理解し、仕組みを理解し、終わらせようとしている私。
スッキリと続きが無いぐらいに片付けて終わらせようという事を目標にしている私(^^;)
それで魂が納得してくれて、源(宇宙)に帰っていくと思っている私です。
なので、死んだ時にはこの世での肉体を労い感謝し、
火葬して散骨してくれていいよと子供達に頼んでいる。


先日TVを観ている時の情報ですが…、
「世界一受けたい授業」の一部です。
「何故人間は死ぬのか?」という問いがありました。
パネラーの人もいろいろ答えていましたが、
その一人の女優の北川景子さんの答えがほぼ正解、
その先生曰く、何故死ぬのか…、それは「進化」するためですと。
たまたま今回の先生の答えですが。

もちろんいろいろ宗教家でも僧侶でも神職さんでも答えは色々でしょうが、
答えの先は同じです。
言い方や向かう道や概念の捉え方が違うだけです。


私も「進化するため」だと思いました。
成長がその命の期限の間に成し得なかったら、
次へ進化するために生まれ変わるんだと。
その為に死ぬんだと思いました。

今までも時代と共に肉体も進化しています。
今となっては、自分達の祖先が微生物や恐竜や猿人類だと言われても
ピンとこないし、信じる人はいないでしょうが、
続いているという事実は紛れもない事です。

その度に進化している
何かを得て次に成長するために進化を続けている。
猿から考えると年月が遠く離れすぎているから
そんな事実を忘れていたり、受け入れる事が出来ないだけ。


自分の親から生まれて来た事すらも本質を認識しようとしない人もいます。
交尾して生まれて来た事をどう受け入れて良いか知らない振りしているぐらい。
今では性教育もとても必要だと言われているけど、
昔の日本では秘め事で、はしたない事のような下品な事だったり、
妊娠した女性は汚れているとまでも言われていた程で、
神秘や奇跡から程遠い離れている出来事となっている。

そうなると命に向き合う事も何か人生とかけ離れた問題のような、
ましてや死ぬ事も幽霊やお化けのような世界にでも行くような事と。

次の進化のために死ぬんだと思うと
少しでも名誉だ誇りだと人生のバトンを渡すんだと思えるんじゃないのかと思うんだけど、私だけかな (^.^)


それなら最後が病気で苦しんだとしても
人へ感謝も湧くし、病気の病理にも貢献できるし
そう考えると自分の人生に誇りも持てて
納得して進化へ繋げれるんじゃないかなと思うんだけど、

そんな事を考えている私です (^.^)
だけどそんな答えを出して終わりじゃない、
簡単に終われればそれも良い。
簡単じゃ無ければ自分を縛り付けているモノを見つけ
その答えに心も納得し近づけるように執着も手放して行くのかなと。
そして、今までは輪廻転生の生まれ変わりが
その進化するためにあったんですよね。
何度も何度も生まれかわる。進化するために。
自由になるために。

でももうその輪廻転生が無くなると言われている宇宙です。
自分と共に生きている魂の進化物語はどうなるんでしょうね。
しっかり今生で答えを出せると良いですね。
若い頃の節目はまだまだ課題を求めて生きている時。
年齢を重ねると共に心も成長し、答えに繋げて行く節目へ変わる。
命の期限に向けての課題へとステップアップの時、

一応は答えが出ているのでその方向で生きて行く私です (^.^)





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