人生の節目にはお祝いをしますよね、
赤ちゃんで産まれた時には初宮参り、七五三参り、十三参り、成人式、厄払い、還暦、古希、喜寿、米寿…なんて節目を祝います。
産まれたばかりの時などは初参りで氏神さんへ命の感謝して、
その地ですくすく成長する事を願い、
育って行くよ、育てるよという宣誓をするんですね。
最近ではお祭りに関してもですが、
謂れや神事というところをつい忘れがちですよね。
実際に私もその本質を教わって育ったわけじゃなかったので、
体裁や形式重視で育ってきたので、
当然、我が子の七五三の時なども着物を着せて赤い鳥居の前で写真を撮りたいと思い、わざわざ一時間もかかって京都の平安神宮へお参りしていました。
後にそうじゃなかったなと、本質を考えるようになりましたが。
それぞれに謂れもありますが、
節目には年齢も関係してきて、環境や状況もちょうど変わる時、
肉体的にも精神的にも変化するタイミングです。
その時々に謂れと繋げ合わせたメッセージや課題が神様から与えられます。
人生のステップアップのための課題でもあるのでしょう。
それを一つ一つクリアして行き、次のステップアップへと繋げて行く。
その大きな変化の時がある意味「厄年」でもあって、
それまで一生懸命ミッションを積み上げてきて
成して来たって事はいろんな雑念も出たりして当たり前
その溜まった雑念など大きな厄を払ってもう一度生まれ変わるという。
その時に自分はどんな方向へステップアップするのか
それを決めているか知っているか、
その時に、神様に命を頂いて、
生かさしてもらっているとうのに
歳やから仕方が無いとか、
歳やから病気になって当たり前とか、
歳やからガタが来て当たり前やとか言いたくないですよね。
自分がそうしているのに。
自分が自分の心や身体を自覚しないといけないのかなと思います。
ついつい自分の身体なのに、自分の心なのに、
棚の上にあげていたり、自分に置き換えれなかったり、
人のせい、社会のせい、逃げてしまったりして
自分を見つめるのを忘れがちです。
そんな事を節目には思い出し、
神様の前で誓うと良いのかなと思うのです。
神様は何でも許してくれ見守ってくれます。
自分の事をしっかり観れていたらだと思います。
神様はみんな神様の一部だと思ってくれているので、
避けたり、逃げたり、無視しているのを嘆くだけです。
神様は全てが愛おしいのだから (^.^)
仏教は、人生を仏になるために生きると言われています。
神道は、今一瞬を生きると言われています。
仏になるという事はどういうことなのか、
今を生きるとはどういうことなのか、
悩んで辛く楽しく、目の前の出来事にしか意識していない時にはそんな事も思い出せません。
独身を謳歌している時、仕事ばかりに意識が言っている時、
結婚生活や子育てに一生懸命な時、
そんな時には仏になるとか、今を生きるとか考える暇も時間もありません。
でも、節目の時にはある意味分かれ道でもある。
そんな時には根底に心をリセットして
神様や仏様、地球が存在する宇宙神様になるという意識を
根底に考え直してみるのは生きる根底の課題かなと思います。
そんな心で生きるためのきっかけがそれぞれの節目かなと思うのです。
難しく考えずに基本は何でも「心」なんですよね。
心を見直す時なんですよね (^.^)
誰かに祝ってもらうだけでもない、
形式や儀式や体裁で行う時でもない、
自分が自分を見つめ、心を改める時
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