昨日は……、また難しく理解し難い言葉にしてしまったな (^.^)
こんな事が話したいなと思って頭に浮かんだとしてもその「こんな……」というのを表現したり言葉にするってホント難しい、といつも思う (^^;)
対話について話してたけど (^^;)
対話、ディスカッションが好きだと!
何で好きなんかなぁ~、どんな風に好きなんかなぁ~って考えたりしてるからやろうなって (^.^)
だって、好き好きって何度も口にしてるから (^.^)
結局のところ魂の対話が好きだと (*^^)v
対話って自分の事を理解するツールだと思っているからなんだなと (^.^)
世界観って、大きな広がりも在れば奥への深さもあって、どちらも宇宙意識の世界観へ通じていると思ってるので、
この「そもそも」が交わらないと対話は成立しない、そう一言で言ってしまえば終わってしまう。
人生が哲学する事だとか、魂の話や宇宙意識の話の根底の世界観も違うとそれも成立しない、そもそもが違うから。
でも本来はそこが繋がっていると信じているので表面的な肉体も奥の魂も生きている私だなと (^.^)
それでもお互いに通じた時の喜びがあるから対話って良いんだなって思うんだろうなぁ
表面的(肉体的、肉体レベル、3次元)で生きている人はやっぱり言葉や行動も表面的で、それも自由で良いんだろうけど、人間関係でエラーが起こる要因にもなっている。
たまに表面的な対話であると、私は気を読んだり気を遣ったり、配慮の方が強くなって、申し訳ないなとか、時間かけたらあかんなとか、興味ないやろうなと思ってしまうので気疲れして心底は楽しくない。
楽しくなくても何とでも付き合えるから平気だけど、そんな時には気のスイッチの切り替えも必要。
何種類か自分のお喋りモードのスイッチ持ってる (^^;)
それは全て自分でもあるけど、心底というとそうではない (^.^)
表面的対話、魂の対話、表面的と魂の対話、それぞれで違う。
表面的同士なら良いでしょう、どうでも良い話、体裁を保ちながらの話。
ましてや意見の対立にもなる恐れもある。
表面的な人と奥の魂的対話だとトラブルやエラーになる場合もある、魂の次元にもよるけど。
これらの対話もするけど、
私が昨日の記事に話したホッとする対話で、初対面でも表面的の対話しながらでも魂が通じて似ていたり、
表面的な論点を理解した上で魂を感じる対話になると嬉しいなと感じるという事でした。
たまに愚痴や文句や悪口を言ってる人でも、これは表面的な肉体次元で、魂はそんな事言いたくないし、思っていないかも知れないし、魂の学びのためであったりする。
本人が表面的自分に気づいていないし、魂の自分にも気づいていないから仕方ない。
だからそんな人には心に刺さる言葉を話す人との対話があったりするんでしょうね、それが傷付く言葉だったりしてもです。相手は魂的対話をしている人かもしれないからです。
魂と一体化になると学んだ時に、それには何が必要かなって考えた事があって、「正直になるって」事かなって気づいた。
この「正直」って簡単なようで難しいし、勇気がいる事でもあって奥深い哲学。
でもそれが私の人生の課題でもあるかなって思ったりした (^.^)
先ずは自分が正直になって奥からの魂の対話に向き合っていかないとアカンなって !(^^)!
なので、それが通じたり繋がったりすると凄く嬉しいんだなって (^.^)
たとえ初対面でもそうなると、神様から、また、魂から「良くできました」のスタンプをもらった感じになるんですよね
有難い!! (^.^)
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