母の事。
2024-09-17 | 日記
私の母親は今年の11月で87歳、
父親が亡くなって17年なんですが、一人で暮らしてくれています。
これと言って内臓の持病があるわけではなく、三叉神経痛で顔面が痛い、そして数年は白内障と緑内障。
一応内科に掛かっていた方が良いよと父親の時に学んだのと後期高齢者の検診などのために内科に行っているのみです (^.^)
それでもその神経が痛いので皮膚も痛くて、口も痛くて、喋れなかったり食べれなかったりで、
多分気力にも影響が大きく体力がありません。
唯一うちの長女が来た時だけは元気になるみたいです。
長女はおばあちゃんの話も面白いよと言います!!
そう思って話を聴いてくれるもんだから母親も嬉しいのでしょう、
2週間に一度孫の顔見れる事が生きがいです。
次何話そうかなとメモしているようです(娘曰く)
その母親が病気は無いけど、体力がないのでフラフラで、ふとどこかで転んでしまうという。
昔お客さんにもいましたが、気丈な性格の83歳のおばあちゃん、全然何もない道でコケてしまって手首を骨折してしまったんです。
その骨折自体はそんなに大変じゃなかったんですが、心の方がそれ以上にショックで凄く心折れてしまって一気に年取ってしまったようになったんです。
多分自分の頑張りと心のバランスを取るのが大変になったのもあるんでしょう。
人間って、老いて必ず病気になるってことは無いです。
どんなカタチで年老いていくかは人それぞれです。
周りの家族にとっても関わる事なので、
全てが病気になって、介護が必要となって、老いて最期を迎えるというだけではない。
現に、昨日まで喋ってぴんぴんしていたのに静かに亡くなったという人もいる様にです。
生き様は死に様でもあるし、家族にも見えない宿題やメッセージを残す場合もあります。
私もそう感じていますし、自分の事も受け入れようと思うし、親の事もそのように考えて受け入れようと思ってる。
そのままの人生を尊重するという事が人間の尊厳を受け入れるという事かなと。
そんな母がそうやってコケる事が多くなってきたんですが、それで余計に自信も無くなっていってるし、こけた場所とそこで何をしていたかがトラウマになって、そこには二度と行きたくないとか、それをしたくないとかって心がその方向に進んでいます。
常に気を付けようというよりも避けようとすることを選ぶ母です。
私を育てていた時にも孫のと関わっていた時にも「不安・心配・怖れ」から自分や子供を守らないといけないという神経に過敏でした。
なので、私もそうだったんですが、よく似ています。
何となく私は子育てによって、それらを手離してきましたが、
母親はずっと抱えてそれに生きています。
きっとそれを手離す経験もあったんでしょうが、常に神頼みな昭和人間ですので、中々手離せない人生でした。
少し前にも暑い日に内科に行ってお薬をもらって帰ろうとした時にコケてしまって、周りにいた人に救急車を呼んでもらったんです。
母はその神経痛から冷房が大嫌いで、病院の待ち時間も外で待っていたりして、長い時間になったんでしょう、多分軽い熱中症でふらついてしまったんだと思います。
その日のうちに帰ることが出来ましたが、
今朝、というか夜中2時にセコムから電話がありました。
母の家に見守りセコムを契約しているので、
その前に長女に電話したらしいけど、眠った娘は出ることも無いので。
そして、セコムの緊急ボタンを押したみたいです。
そのボタンも本来なら首から変えておくんですが、それは嫌だとテーブルの上に。
でも今回はそれを押したんだと。押せたんだ。
それでセコムから兄の方へ電話したけど繋がらず、
私の所へかかってきました。
私は、枕もとに電話おいていますが、私電話に敏感なんで大体ワンコールで取りますが、
その電話がお客さんと同じ名前だったので、ちょっと自分がどれだけ寝たのかなとか、今何時なのかなと真っ暗で何も見えないからボケたんかなとボケていました (^^;)
それで救急車呼びますと!
私にもどれぐらいで来れますかと言われ、10分で行けます!と言いましたが。
病院決めるのに少しかかりますと言われて待機でした。
母親の体験で救急車を2回呼んだって凄い事だなと。
これも母の体験だなと色々考え気づく事がありました。
ほぼ救急車と同着で病院に着きました。
病院の医師とか看護師さんはこの年齢で入院歴が無いのも凄いねと仰ってくれました。
が、救急隊員の人にも看護師さんにも認知はありますかと言われ、無いですとは言ったものの、えっ?と思いました。
多分、耳が聞こえずらいのと口が痛いので喋れないのと、自分が救急車で運ばれたことがショックで頭がパニくっているんだと思いますと言いましたが、
認知でもせん妄でもパニくったら脳が処理能力フリーズして発症してしまう事あるから、ちょっとびっくりしました。
親が認知だと言われるとビックリする気持ちも分かります。
今回のこんな事も私の体験だなと。
母親との別れは年齢的に覚悟している事なんで受け止めようとは普段から思っていますが、
入院の説明とか、延命措置の説明とかを聞いていると、やっぱり考えますね。
目の当たりにすると何でもですが心を冷静に受け入れるのは体験でしかないなと。
それでも普段からの当人とのコミュニケーションって大事で、当人の思うとおりにしてやりたいなと。
それには自分たちも覚悟です。
どう覚悟、何に覚悟するかだと思います。
娘の結婚時にも考えましたが、
自分自身の事なら自分の価値観とか考えを通そうと思えますが、
子供の事を共有したり、親の事を共有したりする時に、自分の考えだけを通そうとして良いのかと考えてしまいます。
自分自身も心残りのないように普段から常に価値観のアップデートしながらの覚悟だなと (^.^)
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