人間だれしも一人で産まれ一人で生きて一人で死んでいくわけですが、
自分を知るために人と混じり合います。
それがこの世。
人と出会い、混じり合い、体験をし、
いろいろ求めて手に入れて行きますが、
手に入れ納得し、自分の感情や心に納得すれば手放していく事も必要です。
手放し、離れ、別れ、止める…、
結果こういった事になるのも必然で。
手放してスペースが空けばエネルギーも入ってくる。
エネルギーは新しい人との出会いや縁、お金や仕事でもある。
私も子育て中にホント色々学ぶ事がありました。
子供からも学び、そこから派生しながら人間関係も広がると
人間の感情の絡みや、見えない心の絡みも数多く体験し、
人間不信に陥ったりしながら
それでも自分を見つけて行こうとしたりしました。
そんな時の方法として手放す努力、離れる努力、止める努力
そんな事をしていました。
自分が求めている時には何を求めて何がくっ付いてくるかにも気づかなかったりしたかのかな。
求める事しか見えていなかったからだと思います。
一般的には人生の前半はほぼ求めていると言われてて、
後半の人生に手放す事を考えると言われていますが、
私はたまたまその手放すを考え出したのが
もしかしたら早かったかもしれません。
30代前半ぐらいには求める事と同じぐらい、
それ以上かも知れない止める事を考え出した。
輪廻転生…、魂が古いから手放すもう後半だったのか (^^;)
魂の総仕上げだったかも知れないしね。
止めるとか手放すとか、離れるとか、孤独とか
どんな事でも求めて手に入れると同時に終わりが始まるとか。
手に入れる事を求めていると観えないモノ
心とか考えの価値観とかが浮かび上がってくる
そうすると、その浮かび上がってきた感情を
手放す方が必要なんじゃないかと思うようになってきた。
物質でも物質にくっ付いた感情や思いです。
ただ手放したらいいわけじゃない、
ただ捨てたら良いわけじゃない、
ただ止めれば良いわけじゃない。
自分に必要のない感情な訳で、
自分の中で邪魔している感情でもあるからです。
それを手放すのも一筋縄ではいきません。
自分の未熟な感情、苦手な感情、醜い感情と向き合わないといけないからです。
ただ私はその前に「自分を好きになろう!」という目標を立てたので、
その苦手な感情なども先に好きになろうとしたのでした。
その苦手な感情も分かって理解してやろうと努力したのでした。
怒って当たり前だなとか、泣いて当たり前、
寂しくても当たり前、苦しくても当たり前、
どんな私も恥ずかしくない、そんな私も好きだと。
なんで怒っているんだろう、
何に怒っているんだろう、
何で悲しいのか、何で悔しいのか
何でも止める時って意外と多くの感情がみえてきます。
手放した事や手放すのにどれ程努力した事かなど
誰にも理解してもらえないんだけどね。
あの人凄い努力したね!なんて褒めてもらえない訳で。
なんでも自分が努力して、自分が納得して、自分で褒めて
ある時に自分の目の前の世界がふと変わっているってなるんですよ。
でもまだ名残りはあるのでまたふと戻りたくなる自分もいる。
手放し、離れ、別れ、止めて…からも多少の時間は必要で、
それもまた良いんじゃないかと。
誰かに変わった自分を認めてもらいたいのも分かるしね。
頑張ったんだよって言いたい事もあるしね、
それでも自分が自分を認めないと、
やっぱり目の前の世界は変わらない。
少しずつでも進めば、
大きい変化が目の前に来ているのかなって (^.^)
パラレルワールドってよく言うけど、
ある意味一時は両方を行き来している、
行き来しながら次元を上げて行く。
次の次元に到達している時には
また次の次元が見えて来る。
その時は既に通り過ぎた世界は納得していたらもう別世界。
ひとつのキーワードに関しても
それはその人の価値観で、
価値感は次元が変わると全く別世界です。
今のこの世の価値観とは別世界なんです。
お金、仕事、結婚、性別、衣食住、病気、痛み、
あらゆる事に対する価値観で別世界。
今目の前に観えている事、やっている事、考えている事
それはどんな事でも手放す事で、止める事。
その為に3次元に生きている、
意味があって、目的があって生きているのかなと。
そんな風に思える。
止める努力した成果でもあるのかな (^.^)
それでも今日も生きている
目の前の事に向き合いながらですよね !(^^)!
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