昨日は話が流れて行きましたが
死生観を持たないと中々お葬式の事まで考えないのでね
随分前から自分が亡くなった時にはって考える事があります
年齢にしたらまだまだだと人にも言われ、そんな事を年寄りの前でしたらあかんよと言われたりします
昔から死ぬ時の話は縁起が悪いと言われるんですね
その考えもどうなんでしょうね
普段から何事にもシンプルに生きている人は身の回りの物も人もシンプルで、
多分死生観も持っているのではないかと思います
シンプルな生き方の人はごちゃごちゃ考えるのも苦手だろうと思うので、亡くなった時に考える事を残さないと思うからです (^.^)
そこで私は昔から死んだときにはお葬式もいらないし、海洋散骨ねって思っていました
昔は手続きも大変で、外国に行かないといけなかったりして海洋散骨にも結構お金が掛かっていました
最近ではメジャーになってきて代行会社も増えてきたので日本でも簡単に出来るようになってきているようですが
そんな事を決断するにも色んな事を知らないといけないかなと思うので、死生観も必要かと。
本来何が必要で、必要でないかとかです
日本の法律も関わりますが
死ぬってどういうことなのか
死んだ後の肉体っていったい何なのか
死んだ後のお墓を持つ意味は、お墓に入る意味は
お仏壇はなぜ必要なのか
神道とか仏教とかキリスト教とか宗教と死との関係は
いろいろ考える事、納得する事はあるでしょう
それを死んでからでは自分の身内には伝わっていないので慣例の如く済まされてしまいます
死んでしまったら何でもいいでしょうと、今までの先祖代々のままでと言いながら今の現代に受け継がれていたりするので
誰も考えないで「縁起の悪い事」という概念で過ぎてきているのかなと思ったりします
そしてお金の価値で決めたり、何も考えないで変えたり、親戚親子間で問題が起きたりもあります
最近では墓じまいを考えたりしますが
その理由も様々で、それこそ死生観とかではなく利便性だったりの簡略化だけに留まったり
私は、随分前から死ぬまでにお葬式の代わりに自分で挨拶をDVDに撮って残そうかなとか
自叙伝の書籍化まではいかないけど、自叙伝ノートを書こうかとずっと考えています
このブログもそれのうちの一つだと思ったりしていますが
自分が生まれてきてこの方の全て、平凡でも思い出すかぎりの全ての記録
その時の思いや考えの記録
それを子供に伝えたい、話したい
その子供がその時点では理解できなくてもそんな血が流れていて、そんな考えが自分にもあったりして、嫌な部分だったりするかも知れないけど、親が納得した事をいつか子供も納得できたりするかもしれない
そう思うと、親の赤裸々の全て、良い部分、苦手部分、親の弱い部分を残しておこうかなと思い続けています
それでふと浮かんだ言葉が生前葬だったんです
子供と主人の前でやってみようかなと(^.^)
お世話になった人とか、繋がりがあった人には前もってハガキかDVDかで感謝を記しておいて送る人のリストなんかも添えておいて準備しておこうかなとか
考えてから数年経っているのに進まないでいるんですが
家族だけの生前葬的な事は良いタイミングの時にやろうと思っています
子供に見せてきた母親の姿って、自分のほんの一部分だったように思うし
一人の人間としての私の人生の話が出来るのが生前葬で、出会った子供にどれだけ感謝しているかも伝えたい
亡くなってから親の事考えたり、親孝行が出来たかなと後悔させるよりも、親や先祖の何の念も残さない事が先に逝くものの役目かなと思ったりするので。
よく子供の結婚式で親に感謝の手紙を読むけど、その反対に子供への感謝を生きているうちに伝えたい
人生の色んなタイミングでの感謝があるんで、いっぱい話したい
親の成長は子供のお蔭です
三人育てて本当にそう思えました
生前葬とでも言えば一時間や二時間ぐらいの長い話も聞いてくれるかも
その望みが叶えば、本当にお葬式なんて必要ないと思っています (^.^)
思いも念もカタチあるもの(お骨も墓も位牌も)残さないでパァ~ッと散ってしまいたい
そう考えておりますヽ(^。^)ノ
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