つれづれの動画日記

コンデジ片手に日常の些細なことを動画やスライドショーで綴る1941年型の爺のHPです。

小遣いを握りしめて走ったあの頃

2021-11-25 00:00:00 | ちょっとひと休み
 小遣いというものをほぼ毎日もらうようになったのはいつの頃からか記憶は確かではありませんが、金額は1円だったと思います。紙幣1枚か50銭玉2枚でした。私の家は当時父が病気がちで貧しく、他の家の子はもっともらっていたと思います。
 1円札をにぎって近所の駄菓子屋に小走りに出かけました。芋飴が1円で3,4個買えたと思います。甘いものに飢えていた当時は飴はとてもごちそうでした。
 しだいに小遣いが増えていきました。家に余裕が出たからではなく多分物価が上がっていったからでしょう。3円もらえる日が次第に多くなっていきました。 
 夏は、駅前のアイスキャンデー製造店へ出かけ、棒の周りに円筒状の氷がついたアイスキャンデーを買いました。ピンクや青色で染めてあり、どれも甘くおいしいものでした。少しでも長く味わうため、決して囓ることはなく最後までペロペロと舐めました。アイスクリームなるものが出たのはずっと後のことです。
 大きくなるにつれて小遣いは5円、10円と多くなっていきました。昭和27,28年小学の高学年の頃です。この頃は父も健康になり、家も少しは楽になったようです。
 小遣いは少しは貯めて本やおもちゃを買いましたが、大半は食べ物に替わりました。コッペパンが確か5円くらい。そして、コッペパンの端の一部を少し残して水平に包丁で切れ目を入れ、その間にジャムを入れてもらいました。追加料金は3円くらいだったと思います。間に挟むジャムの量は店のおばさんのさじ加減ひとつ、機嫌のいい日は少し多かったような気がします。ジャムをたくさんぬってくれるよう祈りながらおばさんの手元を見つめました。
 一頃カバ屋のキャラメルに凝りました。キャラメルも美味しかったですがそのおまけについてくるカードの点数でいろいろな品物がもらえるのが楽しみでした。50点ためると本がもらえました。確か本棚には10冊程度は並んだと思います。一度は50点カードが当たり、町内の仲間たちに大声でふれて回ったこともありました。
 そんな頃の風景が垣間まぶたに浮かぶことがあります。もう70年ほど前のことです。