SEXTUS barbaroi-gambado 照深坊さんの遊行記録

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命短し 恋せよおとめ

2015-01-30 | ソラチュアの旅日記
場所は征西府の居所小さいがブランコや砂場を整えた公園である。

乗るものが居ないはずのブランコが揺れて居る、さっきからずっと揺れているんだが…。


ドレキュファ 「ようw ネウス神父、死んじまったんだって?」

       「主人公もたいへんだなw」「あの歌は歌わんのかw」「い~のち、みじ~かし~」


ネウス神父  「ドレキュファには見えるんか?」


ドレキュファ 「私をだれだと思っている、審判団の審判員だぞ」


ネウス神父  「なんでも「わたしはだんし」とか言うヤシが来るから逃げろって言われてここに来たけどひまでな」


ドレキュファ 「今どきそんなヤシがいるわけないだろ、作者に担がれたんじゃないんか?」

       「さっき作者は「私は不死身だ」と言いながらコンビニに飯買いに行ったぞw」

ネウス神父  「なんちゅう作者じゃ」


ネウス神父に死んでいただいたのには訳があるこの「第一のバルドゥ」である。


チカエ・バルドゥ 〈ダルマカーヤのオセエルにおける《ナムシエギエル》でのバルドゥ〉

死して通常最初の一週間(七日)の中での〈ナムシエギエル〉の期間(三日半から四日または五日間)


チョエニ・バルドゥ

〈ナムシエギエル〉を過ぎて行われる第二派のバルドゥ死後十四日までの己の本来を知覚できる期間

ドルチェンモ ではこの期間が十四日間とされているがこれは実際の十四日ではなくナムシエギエルの時間を取り戻すための時間つまり十日半を十四日間として認識し実際に経過した日数に合致するまでの期間であろうと推測される。

このバルドゥの期間は実に特異な時間である、意識を集中するだけでどこにでも時間を要すこと無く移動出来ると言われているからだ。

とくにネウス神父の輪廻はその誕生日から推測するとニネベ定数から来ているのは間違いない、これは宇宙の輪廻そして西暦の起点は「ヘロデ王の没年」とされる。

つまりネウス神父は意識を集中するだけで西暦の今までの世界をどこでもいけるかもしれない、そう期待しての事です。

よく考えたら、ネウス神父は作者の身代わりで作者はまだ生きてるわけだから「なんじはしんだ」さんもまだ来ませんねw。

まあ、杞憂だったと言う事で。